足をつかないで飛び越えたことになります。十メートルも跳躍することは人間業じゃできないことだと思います」
道夫少年のこの推理の正しいことが、誰にも了解された。が、そうなると、川北先生の失踪の説明は一層つかなくなる。ただふしぎふしぎというばかりであった。
「われわれの手に負えませんなあ。どうです。やっぱりできるだけ早くその筋へ申告して、警視庁の手で調べて貰《もら》うことにしてはどうですか」
「そうだ。そうする外、道がありませんねえ」
これで方針が一応おさまるところへおさまったようである。その証拠には、隣組の人たちはもう誰も発言せず、夕暗《ゆうやみ》の迫る中にじっと塑像《そぞう》のように立ちつくしていた。
が、そのときであった。突然、金切り声が一同の鼓膜《こまく》をつんざいた。女の声らしい。その声の起ったのは、どうやら木見さんの家の中のように思われた。一同ははっとおどろいて互いの顔を見合わせた。
「あ、あれはうちの家内の声のようだ」
武平はそういってかけだした。
「ああ、木見さんの奥さんの声……」
「さあ、皆いってみましょう」
一同は武平のあとを追い、庭をぐるっと廻《まわ》って、木見邸の表座敷の方へかけだした。
かけつけてみると、それは果して雪子の母親の発した叫び声だとわかった。
「何を見たって、やっぱり雪子の幽霊かッ」
武平は、座敷へ飛び上って、夫人をかかえ起しながら、息せき切ってきいている。
「わたしは、お父さんが外から家へ上って廊下を歩いていなさるのだと思っていたんです。でも、何だか変だから、立っていって廊下の方をすかして見たんですの。廊下はうすぐらくて、よく見分けがつかなかったんですけれど、たしかに黒い人影が向うへ動いていきます。背の低い、熊のようにまっくろな者が離家《はなれや》の方へ。……ああ、こわかった」
「雪子の幽霊なのか、幽霊じゃないのか」
「さあ、どうでしょうか、でも雪子の幽霊なら、その後姿はありありと見える筈なんですがね、ところが今見たのはただまっくろでしたよ」
「よし、そうか。離れの方へいったんだな。皆さん、手を貸して頂きましょう」
武平の言葉に、隣組の人たちはもじもじしながら、それでも上へあがった。そして武平を先にして廊下に一かたまりになって、たがいの身体を押しあいながら、雪子の研究室の方へ忍び足で近づいていったのである。
何者?
誰も彼も、息をのみ、全神経を耳と目に集めて、もし怪奇があらば、真先に自分がそれを見つけて声をあげるつもりだった。全身の毛穴がぞくぞくしてくる。足がだんだんと重くなって、先へ進みかねる。
と、研究室の中と思われるところから、ざらざらと硬い物のすれ合うような音がしそれに続いて、何だか溜息《ためいき》のようなものが聞えた。
「おッ……」
研究室を目指す一同の足は、もう一歩も前には進まなくなった。
(あれは何物だろう? あれは何の音か?)
そのとき、研究室の中で、第二の物音が聞えた。それは前回よりもずっと大きいはっきりした物音で、何か物がぶっつかったようで、それにぴいんと硝子《ガラス》の響くような音もまじっていた。
「早くいってみましょう。研究室へ……」
道夫が叫んだ。
「よし、いこう」
互いに相手を前へ押しやるようにして、一同はどやどやと研究室へなだれこんだ。
電灯がついた。道夫がそうしたのだ。
室内は明るくなった。一同は拳《こぶし》を固く握って、きょろきょろと各自のまわりを見廻《みまわ》した。
だが、何にも異状を発見することができなかった。
「いないぞ、どうしたんだろう」
「たしかに誰かこの部屋にいたんだが……」
いないとなると、一同は少しく元気を取り戻した。いない、誰もいない。研究室に隣合った寝室にも図書室にも、机の下にも戸棚の蔭にも、猫一匹ひそんでいなかった。
「いないぞ、変だなあ」
「でも、この部屋でたしかに人のいる気配《けはい》と物音がした」
「あれ[#「あれ」に傍点]はすぐ消えて見えなくなるのじゃないですか」
幽霊は――というのをさけて、あれ[#「あれ」に傍点]はといった。
「あれが、あんな大きな物音をたてるというのはふしぎだ。あれは元来静かなもので、ただ自分がかぼそい声をだして、『恨《うら》めしや』とかなんとか……」
「よしたまえ、そんな変な声をだすのは」
といっているとき、道夫が大声をあげた。
「わかった。これだ」
道夫は硝子窓を指《ゆびさ》している。
「えっ。わかったとは何が……」
「この硝子窓があいているのです」
「硝子窓は閉っているじゃないか」
「いや、この窓は一旦《いったん》あけられた上で閉められたんです」
「どういうのですって」
「つまり、何物かがこの部屋にいて、この窓を明けたんです。ああ、そうだ。それから彼は
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