ょう」
「ほら、きいてはいけないといったでしょう。そんなことは……」雪子はそういって、やさしく道夫をにらんだ。
「さあ、お話があるから、その椅子に腰をおかけなさい」
 そういわれて、道夫は気がつき、あたりをじろじろ見まわした。彼の顔に、大きなおどろきの色があらわれた。
「おや、どこだと思ったら、ここは雪子姉さんの研究室だ」
 いつの間にか、雪子の研究室へきていたのだ。病院からここまで、最短距離でいっても二十キロメートル近くあろう。その間を道夫は、どうしてここまできたのであろうか。どの道を通ってきたのであろうか。時間にしてものの十秒とかからなかったと思うのである。ふしぎなことだ。
「また、何かききたいんでしょう。今はいけませんよ」先を越して雪子が道夫にいった。「それよりもこれから重大なお話をします。それは四次元世界のことです」
「なに? それは……」
「四次元の世界のことよ。知っていますか、道夫さんは、四次元世界がどんなものであるかということを」
「ぼく、知らない」
 道夫は、なぜ四次元などというへんな名前のものを大事そうにかつぎだしたのか、気がしれなかった。それよりも今の問題、二十キロをどうして十秒ぐらいで走ったかその説明の方が聞きたかった。
「四次元世界のことから説いていくのが順序なのよ」雪子はそういった。「この話が分れば、幽霊というものが科学的に説明がつくんです」
「へえ、幽霊? 幽霊と四次元世界とかいうものとの間に関係があるの」
 幽霊と聞いて、道夫はひじょうに興味をわかした。幽霊問題は、このごろたいへんやかましい。そしてその幽霊の御本尊《ごほんぞん》というのが、外でもない、かれ道夫の前に、卓子《テーブル》をはさんで椅子に腰をかけている雪子姉さんなのである。
 雪子姉さんは、はたして生きているのであろうか、それとも幽霊なのであろうか。その謎をとくには今がいちばんいいときだと感じた道夫は、それとなく雪子の身体に注目の目をくばった。
(おやッ!)
 道夫は、心の中で、おどろきの声をあげた。それは、こうして眼の前に、椅子に腰をかけている雪子の姿は見えていて、たしかにそこに生きている雪子がいることが感ぜられるのにもかかわらず、よく気をつけていると、ときどき――それはほんのまたたきをするほどのわずかの時間ではあるが――ふいに雪子の姿が消えてなくなり、卓子のむこうにはただ椅子の背中だけが道夫に向いあっていることがあるのだった。道夫はそれに気がついてぞっとした。なんという気味のわるいことだろうか。
 ところがしばらくすると、その椅子に、前のとおりに雪子がちゃんと腰を下ろし、道夫へ向いて、さっきと同じような姿でいるのであった。しかも、そうして雪子が椅子の上にもどってきても、音一つするのではないし、雪子の表情もかわらず、まことにふしぎなことだった。
 しばらくすると、また雪子の姿が、道夫の眼の前からぱっと消えて、椅子の背中だけになってしまう。とまた雪子の姿があらわれるのであった。
 こんな奇怪なことがくりかえされるので、道夫は自分の神経がどうかしたのではないかと疑った。だが神経のせいではないらしい。雪子の姿がしきりに消えるときには、眼の残像現象の理により、雪子の姿と、雪子のかけている椅子の背中とが重なり合って、まるで雪子の身体がガラスのようにすいて見えるように感じられた。
「道夫さん。へんな顔をしているのね。分っているわ。あたしの姿がへんにぼやけて見えるからでしょう」
 ぼやけているというのでもない――と道夫がいおうとしたとき、雪子はいきなり立上って、隅の机の方へ歩いていった。そしてすぐこっちへもどってきたが、手には紙と鉛筆とを持っていた。
 何事かを説明するに、紙の上に書くつもりらしい。幽霊に文字が書けるであろうか。

   四次元世界

「道夫さんたちの住んでいる世界は三次元の世界よ。分って」
 雪子は道夫にきいた。
「分らないね」
「だって三次元よ。つまり、その世界にあるあらゆる物は、横と縦と高さがある。たとえばマッチの箱をとって考えると、横が五センチ、縦が四センチ、高さが二センチ位ね。つまり横、縦、高さという三つの寸法ではかられるものでしょう。人間でもそうだわ。横も縦も高さもあるわね。つまり三次元というと、立体のことなの。道夫さんの住んでいる世界は立体の世界なの。わかります?」
「わかるような気がするけれど……」
「まあ、わかるような気がするなんて、心細いのね。――二次元世界というとこれは平面の世界なの。そこには高さというものがなくて、横と縦とだけがあるの。ちょうど、紙の表面がそれね。これが二次元世界」
「立体が三次元、平面が二次元というわけだね。じゃあ一次元というのがあるかしら」
「もちろん有るわよ。それは長さだけがある世界のこ
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