しかし道夫は、家のまわりにかわったことがないことをたしかめた。もちろんあの老浮浪者の姿もなかった。明るい探険電灯で、高い銀杏の梢《こずえ》をてらしてもみたが、老浮浪者の姿はなく、あるのは雁《かり》のような形をした葉ばかりだった。
「大したことはなかった。じゃあ、もう家へもどろう」
と、彼は探険電灯の灯《あかり》を消し、一ぺん表通りへでるため木見家の裏手を通りかかった。
そのとき道夫は、何気なく、木立越しに、雪子姉さんの研究室の方を見た。
と、その研究室の中に、ぼんやりしたうすあかい灯がついているように思った。
「誰だろう、今頃、あの部屋の中を調べているのは……」
刑事たちではなかろう。では誰か家の人だろうか。雪子姉さんのお父さんかお母さんに違いない。
そうは思ったが、道夫は何だかその灯のことが気になって仕方がなかった。それで彼は思い切って、くぐり戸を開くと、お隣の庭へすべりこんだ。そして研究室の方へ近づいていった。
研究室の窓は高かったので、中を全部見ることはできなかったが、庭石の上に乗ってやっとガラス窓から部屋の一部を見ることができた。その刹那《せつな》、
「あっ、あれは……」
と、道夫はその場に立ちすくんだ。彼は何を見たか。暗い部屋の中に、宙にうかんでいる女の首を見たのであった。
のびる顔
道夫は、おどろきのあまり、その場に化石のようになってしまった。
しかし道夫の眼だけは生きていた。彼の眼は、おそろしいものの影をおっていた。闇の研究室の中に、そのおそろしい女の首だけが見えている。宙にうかんでいる女の首。ぼんやりと赤い光に照らされているようなその首だけが見えるのだ。
(なぜ、あんなところに、女の首が宙にうかんでいるのだろう?)
道夫は、そのわけを早く知りたかった。が、そのわけはさっぱりわからない。
(おや、あの首は、雪子姉さんに似ている……)
道夫は、ふとそのことに気がついた。
(雪子姉さんが、家にもどってきたのだろうか)
それなら、こんな喜びはない。――雪子姉さんが戻ってきて研究室へ入ったのだ。室内の灯が、雪子姉さんの首だけを照らしているのだ。だから、姉さんの首だけが見えるのだ。
「ああ、何という僕はあわて者だったろう」
道夫は、おかしいやらはずかしいやら、そしてまたうれしいやらで庭石の上から芝生《しばふ》へ下りようとした。
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