椅子の背中だけが道夫に向いあっていることがあるのだった。道夫はそれに気がついてぞっとした。なんという気味のわるいことだろうか。
ところがしばらくすると、その椅子に、前のとおりに雪子がちゃんと腰を下ろし、道夫へ向いて、さっきと同じような姿でいるのであった。しかも、そうして雪子が椅子の上にもどってきても、音一つするのではないし、雪子の表情もかわらず、まことにふしぎなことだった。
しばらくすると、また雪子の姿が、道夫の眼の前からぱっと消えて、椅子の背中だけになってしまう。とまた雪子の姿があらわれるのであった。
こんな奇怪なことがくりかえされるので、道夫は自分の神経がどうかしたのではないかと疑った。だが神経のせいではないらしい。雪子の姿がしきりに消えるときには、眼の残像現象の理により、雪子の姿と、雪子のかけている椅子の背中とが重なり合って、まるで雪子の身体がガラスのようにすいて見えるように感じられた。
「道夫さん。へんな顔をしているのね。分っているわ。あたしの姿がへんにぼやけて見えるからでしょう」
ぼやけているというのでもない――と道夫がいおうとしたとき、雪子はいきなり立上って、隅の机の方へ歩いていった。そしてすぐこっちへもどってきたが、手には紙と鉛筆とを持っていた。
何事かを説明するに、紙の上に書くつもりらしい。幽霊に文字が書けるであろうか。
四次元世界
「道夫さんたちの住んでいる世界は三次元の世界よ。分って」
雪子は道夫にきいた。
「分らないね」
「だって三次元よ。つまり、その世界にあるあらゆる物は、横と縦と高さがある。たとえばマッチの箱をとって考えると、横が五センチ、縦が四センチ、高さが二センチ位ね。つまり横、縦、高さという三つの寸法ではかられるものでしょう。人間でもそうだわ。横も縦も高さもあるわね。つまり三次元というと、立体のことなの。道夫さんの住んでいる世界は立体の世界なの。わかります?」
「わかるような気がするけれど……」
「まあ、わかるような気がするなんて、心細いのね。――二次元世界というとこれは平面の世界なの。そこには高さというものがなくて、横と縦とだけがあるの。ちょうど、紙の表面がそれね。これが二次元世界」
「立体が三次元、平面が二次元というわけだね。じゃあ一次元というのがあるかしら」
「もちろん有るわよ。それは長さだけがある世界のこ
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