晴らしい遊戯を思いついた。それはなによりも、妾の居間に真一を呼ぶことであった。
「なんか御用ですか」
 彼はイソイソと室に入ってきた。
「真ちゃん。貴方に少し命令したいことがあるのよ。きっと従うでしょう」
「命令ですって。……ええようござんすよ」
「いいのネ、きっとよ。――」
 と駄目を押して置いて、妾は秘めて置いた思惑をうちあけた。それはこの肩の凝りを癒すために今夜妾の室にきて妾だけにあの「海盤車娘」の舞踊を見せて貰いたいということだった。それを聞いた真一は、ちょっと愕きの色を見せたが、やがて、ニッコリ笑って肯《うなず》いた。どうやら彼は妾の胸の中にある全てのプログラムを知らぬ様だった。妾の全身は、急に滾々《こんこん》と精力の泉が湧きだしてきたように思えて肩の凝りも半分ぐらいははやどこかへ吹き飛んでしまった。
「ねえ奥さん」
 と真一はすこし改まった調子で妾に呼びかけた。
「あの静枝さんという女は、ありゃ本当は何なんです」
「オヤ早もう目をつけているの、ホホホホ」
 妾はそこで彼女が妾の探していた双生児の一人らしいこと、又速水女史の手で探しだされたことなどを詳しく話した。
「へえそうですか」
 と彼は軽蔑したような口調でいった。
「そりゃ奥さん、大出鱈目《おおでたらめ》ですよ」
「出鱈目だって」
「そうです、みんな嘘っ八ですよ。こうなれば皆申上げてしまいますがネ、あの女は暫く僕と同座していたことがあるのです。やっぱり銀平の一団でしたよ。お八重というのが本名で、表向きは蛇使いですよ」
「人違いじゃない? 速水さんの調べが済んでるのよ」
「いまに尻尾《しっぽ》を出すから見ていてごらんなさい。第一年齢が物を云いますよ。あの女は申年《さるどし》なんで、今年はやっと二十一です。奥さんは午《うま》の二十三でしょう。それでいて二人が双生児というのは変じゃありませんか。ま、御用心、御用心ですよ」
 そういって真一は立ち去った。妾は彼の話を俄かに信ずることは出来なかった。明日、速水女史に聞いてみよう。とにかく今日は考える力のない妾だったから。
 その夜を妾はどんなにか待ちかねた。今夜真一が妾の室で素晴しい海盤車娘の踊りを見せてくれることだろうと。
 その夜に入ると、幸にも静枝は外出の支度をして妾のところへ現れた。これから約束があるので速水女史のところへ行ってくるといって、そのまま出かけた。
 首尾は極上《ごくじょう》だった。自室の方はすっかり妾の手で準備が整った。そこで妾は決心をして、真一を呼びにいった。彼は呼ぶとすぐ部屋から現れた。そして子供っぽい顔を照れくさそうに赧《あか》く染めて、長い廊下を妾について来た。妾は海盤車娘踊の舞台を、いつも寝室にしている離れの寮に選んだのだった。
 そのとき、廊下にバタバタと跫音《あしおと》がして、お手伝いさんのキヨが飛ぶように走ってきた。
「あ、奥さま。お客様がお見えになりました」
「お客様? 誰なの」
 せっかく楽しみのところへ、お客様の御入来は迷惑だった。なるべく追いかえすことにしたいと思った。
「お若い紳士の方ですが、お名前を伺いましたところ、奥さまに逢えばわかると仰有《おっしゃ》るのです」
「名前を伺わなければ、あたしが困りますといって伺って来なさい」
「ハア、でございますが、その方……」
 といってキヨは目を円《まる》くしてみせながら、
「殿方でございますが、とってもお奥さまによく似ていらっしゃいますの。殿方と御婦人との違いがあるだけで、まるで引写しでございますわ」
 妾はギクリとした。自分にそんなによく似ている男の人て誰のことだろう。妾はちょっと気懸りになった。
「じゃあ真さん、先へ入って待っててちょうだい。しかし何を見ても出て来ちゃ駄目よ」
「ははア、なんですか。じゃお先へ入っていますよ」
 妾は部屋の鍵を明けると、真一を中へ押しやった。そして入口の扉を引くとそのまま廊下へ引返して、キヨの後を追った。キヨは先に立って御玄関へ出た。
「アラ、どうしたの」
 妾は御玄関でキョロキョロしているキヨの肩を叩いた。
「まあ変でございますわねえ。いままでここに立っていらっしゃいましたのですけれど、どこへお出でになったのか、姿が見えませんわ」
「まあ、いやーね」
 妾はすこし腹が立って、今夜は逢わないといえと云いつけて、すぐさま真一の待っている離れの間へ引返した。
「真さま、お待ち遠さま」
 重い扉をあけて、中へ入ったが、どうしたものか真一は返事をしなかった。狸寝入《たぬきねいり》かしらと一歩、室内に踏みこんだ妾はそこでハッと胸を衝《つ》かれたようになって棒立ちになった。
「まあ、――」
 当の真一は蒲団の側に長くなって斃れていた。顔色は紫色を呈して四肢はかなり冷えていた。心臓は鼓動の音が聞えず、もうすっかり絶命しているようであった。その枕もとに水を呑んだらしいコップが畳の上にゴロンと転がっていた。
 意外な、そして突然の、「海盤車娘」の死だった!
 自殺か、他殺? 他殺ならば一体誰が殺したのであろう?


     5


 妾は「海盤車娘《ひとでむすめ》」の真一がもう死に切っていると知ると、あまりのことに頭脳がボーッとしてしまった。さしあたり先ず何を考え何から手をつけてよいのやら、まるで考えが纏《まとま》らない。唯空しく真一の屍体を眺めているばかりだった。
 そのうちに少し気が落着いてきた妾は、
「医者だ! 早く医者を呼ばねばいけない!」
 ということに気がついた。そして立ち上った。医者ならばこの男を或いは助けられるかもしれない――と、始めは思ったものの、しかしもしもこの真一がこのまま生き返らなかったらどうなるのだろうと、それが俄かに気懸りになった。この男は妾の寝室で死んでいるのだ。ああ、そして――今この寝室の中には、他人に見せたくないものがいろいろ用意せられてあるのだった。そのようなものを若《も》し他人に発見されたらば、どんなことになるであろう。若い未亡人がそのような秘密の慰安を持っているのは無理ならぬことだと善意に解釈してくれる人ばかりならいいが、そんな人は十人に一人あるかなしであろう。悪くすれば、そんなことから妾の行状を誤解して、なにか妾が真一の死に関係があるようなことを云いだすかも知れない。そんなことがあっては大変である。妾は医者を呼ぶのをちょっと見合わせて、それより前に、この部屋を整頓することに決心した。
 妾は、そこらに転がっているものや、押入れの中にある怪しげなものなどを、大急ぎですっかりトランクにつめ、別室へ持ってゆく用意をした。でも真一の死体の方は、寝具にそのまま手をつけずに放置し、疑惑を蒙《こうむ》ることのないようにした。結局他人が見たとき、この離座敷は妾の寝室として用意したものではなく、真一の寝室として用意されてあったように信じさせねばならぬと思った。
 それから妾は部屋を飛びだした。そしてお手伝いさんのキヨの部屋へ行って、
「キヨ。大変なことになったから、ちょっと、来ておくれ……」
 というとキヨは縫物を抛《ほう》りだして、
「えッ、大変でございますって……。ま、何が大変なのでございますか……」
 妾は手短に、いま真一が離座敷で死んでいることを述べ、医者を迎えるまでに片づけておきたいものがあるからちょっと手をお貸しといってキヨを引張っていった。
「キヨ、いいかい。知れるとうるさいから此室《このへや》からトランクだのを搬《はこ》んだことは、誰にも云っちゃいけないよ。いいかい」
 と妾は念入りな注意をすることを忘れなかった。キヨは黙って頭を振って同意を示すだけでいつものようにハッキリと返事をしなかった。どうやら真一ののけぞった屍体《したい》を見てから、すっかり恐怖に囚われてしまったものらしい。
 丁度そのときのことであった。ジジーンと、突然玄関のベルが鳴った。折が折とて妾は胸を衝《つか》れたようにハッとし、持ちあげていた荷物をドスンと廊下へ落してしまった。
「呀《あ》ッ。キヨ、入れちゃあいけないよ。入れちゃあいけないよ……」
 誰だろう?
 警官だろうか。妾の胸は早鐘のように躍った。
 ジジーン。ベルは再びけたたましく鳴った――もうお仕舞《しま》いだと思った。
「もしもし西村さん。もうお寝み? あたくし速水なんですけれど」
 ああ、速水、――なるほど女探偵の速水春子女史の声に違いなかった。ああ、丁度いいところへ、いい人が来てくれたものである。妾は早速《さっそく》女史を家の中に招じ入れた。
「あら奥さま、すみませんです」
 といつになく上ずった調子で
「静枝さま、いらっしゃいますか、一緒に出かけるお約束だったんですが、お出にならぬのでお迎えに伺ったんですけれど……」
 と女史は云った。ああ、静枝はどうしたのだろう。女史を訪ねてゆくといったが、これは行き違いになったものらしい。
「まア皆さん、どうかなすったの。……お顔の色っちゃ無いですわ」
 突然女史はそういって妾とキヨの顔を見較べた。もういけない。もう隠して置くことは出来なかった。咄嗟《とっさ》に妾の決心は定まった。
「速水さん、ちょっと上って下さいな。実は大変なことが出来ちゃって……」
 と妾は速水女史の手を取るようにして上にあげた。そこで女史に、この突発事件について、差支えのない範囲の説明をして、善後策を相談した。
「これは厄介なことになりましたのネ」
 と女史は現場を検分しながら沈痛な面持をして云った。
「奥さんは、真一さんの死因が何であるとお思いなんでございますか」
 さあそれは妾の知ることではなかった。頓死かもしれないと思うが、同時に他殺でないと証明する材料もないのだ。それよりも妾には真一がここで死んでいることが迷惑千万であったのである。――妾は偽りなくその心境を語った。
「これは奥さまの想像していらっしゃるよりも面倒なことになると存じますわ。お世辞のないところ、奥さまの立場は非常に不利でございますわ。お分りでしょうけれど。ことにこの部屋から物を持ちだして証拠湮滅《しょうこいんめつ》を図ろうとなさっていますし(といって廊下のトランクのことを指し)その上に真一さんが横《よこた》わっている寝具は誰が見ても奥さまの寝具に違いありませんし、それからこの部屋に焚《た》きこめられた此のいやらしい挑発的な香気といい……」
「ああ、もうよして下さい」
 と妾は女史の言葉を遮《さえぎ》った。彼女は何もかも知っているのだ。この上妾は黙って聴いているにたえなかった。たとえ妾に恐ろしい殺意がなかったにしろそれを証明することは面倒なことだし、それに妾が寝室へ曲馬団崩《きょくばだんくず》れの若い男を引入れたことが世間に曝露しては、妾の生活は滅茶滅茶になることがハッキリ分っていた。それは自分を墓穴に埋めるに等しかった。どうして堪えられよう。
「速水さん。お願いですから、智恵を借して下さい。十分恩に着ますわ」
「さあ――わたくしも奥さまを絞首台にのぼらすことも、また社会的に葬ることも、あまり好まないんでございますが――」
 と女史は意地悪いまでの落着きを見せて、
「でも困りましたねえ――」
「お礼なら十分しますわ」
「いや銭金で片づかないことでございます」
 と突っぱねて、
「といってこのままでは絞首台の縄が近づいてくるばかりで……ああ、そうですわ、仕方がありませんから、妾の親しい医師の金田氏を呼びましょう。彼に頼みましてこの場をあっさりと死亡診断させてしまいましょう」
 この女史の提案を受けて妾はああ助かったとホッと息をついた。この場がうまく治まりさえすればいい。真一の屍体が火葬炉の中で灰になってくれさえすればそれで万事治まる。妾は女史に謝意を表して早速その金田医師を呼んでくるように頼んだ。女史は別人のように快く引受けると、すぐその手配をしてくれた。
 やがて金田医師というのが、駈けつけてくれた。彼は真一を申し訳に診ただけで、
「心臓麻痺――ですな。永らく心臓病で寝ていたということにして置きますから……」
 といって、その旨をすぐに死
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