どこにもございまして、これは手懸りになりません。でも奥さまは、もっと何か地方的な特色のあることを御存知の筈と存じますわ。お小さいとき、よくお気のつくものとしては物売りの声、お祭りなどの行事、その辺のごく狭い地区の名、幼《おさ》な馴染《なじみ》の名などでございますが、一つ思い出していただきましょうか」
 そこで妾は変な諮問《しもん》を受けることとなった。
「物売の声で、なにか憶えていらっしゃるものはございません?」
「さあ、――」
 と妾はこの意外な問いにすくなからず驚いた。そして長い間考えていたが、やっと一つ思い出すことが出来た。
「そうです、魚売りのおばさんの呼び声を思いだしましたわ。こうなんです――いなや鰈《かれい》や竹輪《ちくわ》はおいんなはらーンで、という」
「おいんなはらーンででございますか。たいへん結構なお手懸りでございますわ。ではもう一つ、お祭の名称など、いかがでございます」
「さあ、――明神さまのお祭りだとか、それから太い竹を輪切りにしてくれるサギッチョウなどというものがありました」
「ああ左義長《さぎちょう》のことですネ。それも結構です。それからこの辺の村の名とか町の名とか憶えていらっしゃいません」
「近所の地名ですか何ですか。アタケといっていましたわ」
「ああアタケ、安宅と書くのでしょう。ああ、それですっかり分りました」
 と、春子女史はいった。
「すると奥さまのお郷里《くに》は四国です。阿波の国は徳島というところに、安宅という小さな村があります。そこならサワ蟹だって、立葵だって沢山あります。ではあたくし、これから鳥度《ちょっと》行って調べて参ります。四五日の御猶予《ごゆうよ》を下さいませ」
 女史の探偵眼はたいへん明快であった。どうして、そんな明快な答が出たのか妾には合点がゆかなかったけれど、彼女は別に高ぶる様子もなく、妾の故郷だという四国の安宅村へ、三人の双生児の実相を確めるために発足するといって辞し去った。妾は狐に鼻をつままれたように、女史を見送ったが、後になって一切が判明するまではこの女流探偵の神通眼《じんつうがん》は単に出鱈目だと思っていたのであった。


     3


 新聞広告を見て妾を尋ねてきた人の中で、第二にお話しておかなければならないのは、安宅真一《あたかしんいち》という青年のことだった。その青年は、背が極《ご》く低くて子供ぽかった。身長五尺四寸に肥満性という女の妾と較べると、まるで十年も違う弟のように見えた。そして痩せている方ではなかったが、顔色は透きとおるように白く、捲くれたような小さい唇はほんのちょっぴり淡紅色に染まっているというだけであって、見るからに心臓に故障のあるのが知られた。顔だちも妾とは違ってメロンのようにまン丸かった。
 その安宅という青年が邸に来たとき、妾は彼があまりに年端《としは》もゆかない様子なのを見て、一体何の用で来たのか会ってみたくなった。それで客間に招じて応接してみると、やはり用というのは、自分こそは貴女の探している双生児の片割れであろうと思ってやって来たというのであった。
「嘘を仰有《おっしゃ》い。あんたは一体いくつなの。妾よりも五つ六つ下じゃないの」
 と妾は少年――でもないが、その安宅真一を頭から揶揄《からか》った。
「そんなことはないでしょう。僕、これでも二十三か四なんです」
「あら、妾が二十三なのを知ってて、わざとそんなことを仰有るのでしょう」
「いえいえ、そんなことはありません。本当に二十三か四なんです」
「二十三か四ですって、三か四かハッキリしないのは、一体どういうわけなの」
 安宅青年はそこで物悲しげに眉を顰《しか》めてから、
「実は僕は親なし子なんです。兄弟があるかどうかも分っていません。どうにかして小さいときのことを知りたいと思って気をつけていたところへ、あの新聞広告が眼についたのです。世の中には似たような人もあるものだナと思いました。とにかく伺ってみればもしや自分の幼いときのことが分る手懸りがありはしないかと思って、それでやって来たというわけです。僕は小さいときのことをすこしも憶えていません。記憶に残っている一番古いことは、たしか八九歳の頃です。そのころ僕は、お恥しいことですけれど、見世物に出ていました。鎮守さまのお祭のときなどには、古幟《ふるのぼり》をついだ天幕張りの小屋をかけ、貴重なる学術参考『世界に唯一人の海盤車娘《ひとでむすめ》の曲芸』というのを演じていました」
 そういって語る安宅の顔付には、その年頃の溌刺《はつらつ》たる青年とは思えず、どこか海底の小暗《こぐら》い軟泥《なんでい》に棲《す》んでいる棘皮《きょくひ》動物の精が不思議な身《み》の上咄《うえばなし》を訴えているという風に思われた。真一は言葉を続けて、
「僕を持っ
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