どこにもございまして、これは手懸りになりません。でも奥さまは、もっと何か地方的な特色のあることを御存知の筈と存じますわ。お小さいとき、よくお気のつくものとしては物売りの声、お祭りなどの行事、その辺のごく狭い地区の名、幼《おさ》な馴染《なじみ》の名などでございますが、一つ思い出していただきましょうか」
 そこで妾は変な諮問《しもん》を受けることとなった。
「物売の声で、なにか憶えていらっしゃるものはございません?」
「さあ、――」
 と妾はこの意外な問いにすくなからず驚いた。そして長い間考えていたが、やっと一つ思い出すことが出来た。
「そうです、魚売りのおばさんの呼び声を思いだしましたわ。こうなんです――いなや鰈《かれい》や竹輪《ちくわ》はおいんなはらーンで、という」
「おいんなはらーンででございますか。たいへん結構なお手懸りでございますわ。ではもう一つ、お祭の名称など、いかがでございます」
「さあ、――明神さまのお祭りだとか、それから太い竹を輪切りにしてくれるサギッチョウなどというものがありました」
「ああ左義長《さぎちょう》のことですネ。それも結構です。それからこの辺の村の名とか町の名とか憶えていらっしゃいません」
「近所の地名ですか何ですか。アタケといっていましたわ」
「ああアタケ、安宅と書くのでしょう。ああ、それですっかり分りました」
 と、春子女史はいった。
「すると奥さまのお郷里《くに》は四国です。阿波の国は徳島というところに、安宅という小さな村があります。そこならサワ蟹だって、立葵だって沢山あります。ではあたくし、これから鳥度《ちょっと》行って調べて参ります。四五日の御猶予《ごゆうよ》を下さいませ」
 女史の探偵眼はたいへん明快であった。どうして、そんな明快な答が出たのか妾には合点がゆかなかったけれど、彼女は別に高ぶる様子もなく、妾の故郷だという四国の安宅村へ、三人の双生児の実相を確めるために発足するといって辞し去った。妾は狐に鼻をつままれたように、女史を見送ったが、後になって一切が判明するまではこの女流探偵の神通眼《じんつうがん》は単に出鱈目だと思っていたのであった。


     3


 新聞広告を見て妾を尋ねてきた人の中で、第二にお話しておかなければならないのは、安宅真一《あたかしんいち》という青年のことだった。その青年は、背が極《ご》く低くて子
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