しらがあたま》の老女があった。
「まあ、これは区長さん。それにサクラ先生に……」
「今日はめずらしい客人をお連れしました。ここにおられる少年に見おぼえがありますか」
 区長にいわれて、老女は正吉を見た。
「まあ、正吉ではありませんか。うちの正吉だ。まあまあ、正吉、お前はどうして……」
 老女は、正吉の母親であったのだ。
「お母さん」
 正吉と母親とは抱《だ》きあってうれしなみだにくれました。
「お母さん、よく長生きをしていてくれましたね」
「正吉や。お母さんは一度|心臓《しんぞう》病で死にかけたんだけれど、人工《じんこう》心臓をつけていただいてこのとおり丈夫になったんですよ」
「人工心臓ですって」
「見えるでしょう。お母さんは背中に背嚢《はいのう》のようなものを背おっているでしょう。それが人工心臓なのよ」
 正吉は見た。なるほど母親は、背中に妙な四角い箱を背おっている。
 それが人工心臓なのか。正吉は目をぱちくり。


   口《くち》ひげのある弟《おとうと》


 人工心臓は、ほんとの心臓と違って、人間のつくった機械だから、ずっと大きい。だから胸の中にはいらず背中にそれをくくりつけてある。
 胸の中から二本の管《くだ》が出て、この人工心臓につながっている。一方は赤くぬってあり、もう一つは青くぬってある。赤い方は、きれいな血がとおる動脈《どうみゃく》、青い方は静脈《じょうみゃく》だ。そして人工心臓は、その血を体内に送ったり吸いこんだりするポンプなのである。
 昔あったジェラルミンよりもっと軽い金属材料と、すぐれた有機質《ゆうきしつ》の人造肉《じんぞうにく》とでこしらえてあるのだと、専門のサクラ女史が説明してくれた。
「こんなものをぶら下げていると、かっこうが悪くてね。正吉や、お前が見ても、へんでしょう」
 と、母親は笑った。
 なつかしい母親の笑顔だった。
「かっこうなんか、どうでもいいのですよ。その人工心臓の力によって、もっともっと長生きをして下さい」
「お医者さまは、あたしの悪い心臓を人工心臓にとりかえたので、これだけでも百歳までは生きられますとおっしゃったよ」
「百歳とは長生きですね」
「いいえ。お医者さまのお話では、もっと長生きができるんだよ。百歳になる前に、もう一度人工心臓を新しいのにとりかえ、それからその外の弱ってきた内臓をやはり人工のものにとりかえると、また寿命《じゅみょう》がのびるそうだよ」
「じゃあ、お母さん、そういう工合にすると二百歳までも、三百歳までも、長生きができることになるじゃありませんか。うれしいことですね。お父さんなんか昭和二十年に死んじまって、たいへん損をしたことになりますね」
「ほんとうにおしいことをしました。お父さまももう十五、六年生きておいでになったら、わたしと同じように、ずいぶん長生きの出来る組へはいれるのにねぇ。そうすれば、お母さんは、今よりももっと幸福なんだけれど……」
 正吉の母は、早く亡くなった正吉の父親のことをしのんで、そっと涙をふいた。
 そのときだった。りっぱなひげをはやした三十あまりになる紳士《しんし》と、それよりすこし下かと思われる婦人とが、かけこんで来た。
「あ、お母さん。ここへ、兄さんが訪《たず》ねて来てくれたんですって」
「あたしの兄さんは、どこにいらっしゃるの」
 正吉はその話を聞いて、目をぱちくり。
「おお、お前たちの兄さんはそこにいますよ。ほら、そのかわいい坊やがそうですよ」
 母親は正吉を指した。
「えっ。この少年が、僕の兄さんですか。ちょっとへんな工合《ぐあい》だなあ」
「まあ、ほんとうだわ。写真そっくりですわ。でも、わたしの兄さんがこんなにかわいい坊やでは、兄さんとおよびするのもへんですわね」
「正吉や。こっちはお前の弟の仁吉《にきち》です。またそのとなりはお前の妹のマリ子ですよ」
「やあ、兄さん」
「兄さん、お目にかかれてうれしいですわ」
「ああ、弟に妹か――」
 といったが、正吉も全くへんな工合であった。弟妹《きょうだい》に会ったようではなく、おじさんおばさんに会ったような気がした。


   びっくり農場《のうじょう》


 思いがけない母親とのめぐりあいに、正吉少年はたいへん元気づいた。見しらぬ世界のまっただ中へとびこんだひとりぼっちの心細さ――というようなものが、とたんに消えてしまった。
「これからどこへつれていって下さるのですか」
 と、正吉はカニザワ区長やサクラ院長などをふりかえって、たずねた。
「君がびっくりするところへ案内します。ちょっぴり、教えましょうか。日本の新しい領土なんです。ハハハ、おどろいたでしょう」
「日本の新しい領土ですって。それはへんですね。日本は戦争にも負けたし、また今後は戦争をしないことになったわけだから、領土がふえるはずがないですがね」
「そう思うでしょう。しかしそうじゃないんです。君がじっさいそこへ行ってみれば分りますよ」
「近くなんですか」
「いや、近くではないです。かなり遠いです。しかし高速の乗物で行くからわけはありません」
 正吉は区長さんのいうことが理解できなかった。土地がせまくなったところへ、海外から大ぜいの同胞《どうほう》がもどって来たので、たいへん暮しにくくなり、来る年も来る年も苦しんだことを思い出した。中でも一番苦しかったのは、食糧だった。
「ああ、そうそう」と正吉はいった。
「ねえ区長さん。田畑《たはた》や果樹園《かじゅえん》はどうなっているのですか。地上を攻撃されるおそれがあるんなら、地上でおちおち畑をつくってもいられないでしょう」
「そうですとも。もう地上では稲《いね》を植えるわけにはいかないし、お芋やきゅうり[#「きゅうり」に傍点]やなす[#「なす」に傍点]をつくることもできないです。そんなものをつくっていても、いつ空から恐ろしいばい菌《きん》や毒物をまかれるかもしれんですからね。そうなると安心してたべられない」
「じゃあ農作物は、ぜんぜん作っていないのですか」
「そんなことはありません。さっきあなたがおあがりになった食事にも、ちゃんとかぼちゃ[#「かぼちゃ」に傍点]が出たし、かぶ[#「かぶ」に傍点]も出ました。ごはんも出たし、もも[#「もも」に傍点]も出たし、かき[#「かき」に傍点]も出た」
「そうでしたね」
「では、まずそこへ案内しますかな。ちょうどよかった。すぐそこのアスカ農場でも作っていますから、ちょっとのぞいていきましょう」
 アスカ農場《のうじょう》だという。地上には田畑も果樹園もないと区長さんはいっている。それにもかかわらず農場と名のつくところがあるのはおかしい。まさか、地中にその農場があるわけでもあるまい。地中では、太陽の光と熱とをもたらすことができないから、農作物が育つわけがない。
「ここです。はいりましょう」
 大きなビルの中に案内された。こんな会社のような建物の中に、いったいどんな農場があるのであろうか。
 が、案内されて三十年後の地下農場を見せられたとき、正吉はあっとおどろいた。
 かぼちゃ[#「かぼちゃ」に傍点]も、きゅうり[#「きゅうり」に傍点]も、いねも昔の三等|寝台《しんだい》のように、何段も重《かさ》なった棚《たな》の上にうえられていた。みんなよく育っていた。
「このきゅうり[#「きゅうり」に傍点]を見てごらんなさい[#「ごらんなさい」は底本では「ごらんさい」]」
 そこの技師からいわれて、正吉はそのきゅうりをみていた。
「おや、このきゅうりは動きますね。おやおや、どんどん大きくなる」
 正吉はびっくりしたり、きみがわるくなったり、これは、おばけきゅうりだ。
「この頃の農作物は、みんなこのようなやり方で栽培《さいばい》しています。昔は太陽の光と能率《のうりつ》のわるい肥料《ひりょう》で永くかかって栽培していましたが、今はそれに代って、適当なる化学線と電気とすぐれた植物ホルモンをあたえることによって、たいへんりっぱな、そして栄養になるものを短い期間に収穫《しゅうかく》できるようになりました。こんなきゅうりなら、花が咲いてから一日|乃至《ないし》二日で、もぎとってもいいほどの大きさになります。りんご[#「りんご」に傍点]でもかき[#「かき」に傍点]でも、一週間でりっぱな実となります」
「おどろきましたね」
「そんなわけですから、昔とちがい、一年中いつでもきゅうり[#「きゅうり」に傍点]やかぼちゃ[#「かぼちゃ」に傍点]がなります。またりんご[#「りんご」に傍点]もバナナもかき[#「かき」に傍点]も、一年中いつでもならせることができます」
「すると、遅配《ちはい》だの飢餓《きが》だのということは、もう起らないのですね」
「えっ、なんとかおっしゃいましたか」
 技師は正吉の質問が分らなくて問いかえした。正吉は、気がついてその質問をひっこめた。まちがいなく五十倍の増産がらくに出来る今の世の中に、遅配だの飢餓だのということが分らないのはあたり前だ。


   海底都市《かいていとし》


 動く道路を降りて丘《おか》になっている一段高い公園みたいなところへあがった。もちろん地中のことだから頭上には天井《てんじょう》がある。壁もある。その広い壁のところどころに、大きな水族館《すいぞくかん》の水槽《すいそう》ののぞき窓みたいに、横に長い硝子《ガラス》板のはまった窓があるのだった。
 その窓から外をのぞいた。
「やあ、やっぱり水族館ですね」
 うすあかるい青い光線のただよっている海水の中を、魚の群が元気よく泳ぎまわっている。こんぶ[#「こんぶ」に傍点]やわかめ[#「わかめ」に傍点]などの海草の林が見え、岩の上にはなまこ[#「なまこ」に傍点]がはっている。いそぎんちゃく[#「いそぎんちゃく」に傍点]も、手をひろげている。
「水族館だと思いますか」
 区長さんが笑いかけた。
「よく見て下さい。今、燈火《あかり》をつけて、遠くまで見えるようにしましょう」
 そういって区長は、窓の下にあるスイッチのようなものをうごかした。すると昼間のようにあかるい光線が、さっと水の中を照らした。その光は遠くにまでとどいた。魚群がおどろいたか、たちまちこの光のまわりは幾組も幾組も、その数は何万何十万ともしれないおびただしさで、集まって来た。
「これでも水族館に見えますか」
 と、区長がたずね、
「いや、ちがいました。これは本物の海の中をのぞいているのですね」
 遠くまで見えた。こんな大きな水族館《すいぞくかん》の水槽《すいそう》はないであろう。
「お分りでしたね。つまりこのように、わが国は今さかんに海底都市《かいていとし》を建設しているのです」
「海底都市ですって」
「そうです。海底へ都市をのばして行くのです。また海底を掘って、その下にある重要資源を掘りだしています。大昔も、炭鉱《たんこう》で海底に出ているのもありましたね。ああいうものがもっと大仕掛《おおじかけ》になったのです。人も住んでいます。街もあります。海底トンネルというのが昔、ありましたね。あれが大きくなっていったと考えてもいいでしょう」
 正吉は海底都市から出かけて、ふたたび上へあがっていった。
 とちゅうに停車場《ていしゃば》があって、たくさんの小学生が旅行にでかける姿をして、わいわいさわいでいた。
「あ、小学生の遠足ですね。君たち、どこへ行くの」
「カリフォルニアからニューヨークの方へ」
「えっ、カリフォルニアからニューヨークの方へ。僕をからかっちゃいけないねえ」
「からかいやしないよ。ほんとだよ。君はへんな少年だね」
 正吉は、やっつけられた。
 そばにいた区長がにやにや笑いながら、正吉の耳にささやいた。
「ちかごろの小学生はアメリカやヨーロッパへ遠足にいくのです。この駅からは、太平洋横断地下鉄の特別急行列車が出ます。風洞《かざあな》の中を、気密列車《きみつれっしゃ》が砲弾《ほうだん》のように遠く走っていく、というよりも飛んでいくのですな。十八時間でサンフランシスコへつくんですよ」
「そんなものができたんですか。
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