来るのだという。なんという進歩であろう。
正吉は、そのことを東京区長のカニザワ氏と、大学病院のサクラ女史とに相談してみた。すると二人は、そういうことはカンノ博士にたのむのが一番いいであろうと教えてくれた。
そうだ、カンノ博士。
博士とは、しばらくいっしょにならないが、カンノ博士こそは、正吉少年を冷凍球《れいとうきゅう》から無事にこの世へ出してくれた恩人の一人で、有名な生理学の権威《けんい》である。
「ほんとに行きたいのかね、正吉君」
カンノ博士は、人のよさそうな笑顔で、正吉を見まもった。
「ぜひ行きたいのです。三十年のながい間、ぼくは眠っていて、知識がうんとおくれているのです。ですからこんどは、今の世の中で、一番新しいものを見て一足《いっそく》とびに学者になりたいのです」
正吉は、子供らしい欲望をぶちまけた。
「ほんとに学者になるつもりなら、一足とびではだめだよ。こつこつと辛抱づよくやらなければね。宇宙旅行だってそうだ。見かけは花々しく見えるが、ほんとうに宇宙旅行をやってみれば、はじめから終りまで辛抱競争《しんぼうきょうそう》みたいなものだ。ちっともおもしろくはないよ」
カンノ博士のことばは、じつに本当のことであったけれど、正吉には、博士が正吉の宇宙旅行を思いとどまらせようと思って、つらいことばかり並べているのだと思った。
「ぼくは辛抱するのが大好きなんです。三十年も冷凍球の中に辛抱していたくらいですからね」
「ああ、そうか、そうか、それほどにいうのなら、連《つ》れていってやるかな」
「えっ、今なんといったんですか」
正吉はあわててたずねた。カンノ博士は、いよいよニヤニヤ笑顔になって正吉を見ていたが、やがて口を開いた。
「じつはね、私たちはこんど、かなり遠い宇宙旅行に出かけることになった。お月さまよりも、もっと遠くなんだ。早くいってしまえば火星を追いかけるのだ。そのような探検隊が、一週間あとに出発することになっているが、君を連れていってやっていい」
「うれしいなあ。ぜひ連れてって下さい」
「しかし前もってことわっておくが、さびしくなったり、辛抱《しんぼう》が出来なくなって、地球へぼくを返して下さい、なんていってもだめだよ」
「そんなこと、誰がいうもんですか」
正吉は、胸を張《は》ってみせた。
「大丈夫かい。それから火星を追いかけているうちに、火星人のためにわれわれは危害《きがい》を加えられるかもしれない。悪くすればわれわれは宇宙を墓場《はかば》として、永い眠りにつかなければならないかもしれない。つまり、火星人のため殺されて死ぬかもしれないんだが、これはいやだろう。見あわすかい」
「いや、行きます。どうしても連れてって下さい。たとえそのときは死んで冷たい死骸《しがい》になっても、あとから救助隊がロケットか何かに乗って来てくれ、ぼくたちを生きかえらせてくれますよ。心配はいらないです」
「おやおや、君はどこでそんな知識を自分のものにしたのかね。たぶん知らないと思っていったのだが……」
カンノ博士は小首をかしげる。
「先生は忘れっぽいですね。この間、大学の大講堂で講演なさったじゃないですか。――今日|外科《げか》は大進歩をとげ、人体を縫合《ぬいあわ》せ、神経をつなぎ、そのあとで高圧電気を、ごく短い時間、パチパチッと人体にかけることによって、百人中九十五人まで生き返らせることが出来る。この生返り率は、これからの研究によって、さらによくなるであろう、そこで自分として、ぜひやってみたい研究は、地球の極地に近い地方において土葬《どそう》または氷に閉《とざ》されて葬られている死体を掘りだし、これら死人の身体を適当に縫合わして、電撃生返り手術を施《ほどこ》してみることである。すると、おそらく相当の数の生返り人が出来るであろう。中には紀元前何万年の人間もいるであろうから、彼らにいろいろ質問することによって、大昔のことがいろいろと分るであろう。そんなことを、先生は講演せられたでしょう」
「ハハン。君はあれをきいていたのか」
「きいていましたとも、だから、もう今の世の中では、死んでも死にっ放しということは、ほとんどないことで、死ぬぞ、死んだらたいへんだ、なんて心配しないでよいのだと、先生の講演でぼくは分ってしまったんです。ですから連れてって下さい」
「よろしい。連れていってあげる」
「ウワァ、うれしい」
正吉はよろこんで、カンノ博士にとびついた。
新月号《しんげつこう》離陸
やっぱり東京の空港から、探検隊のロケット艇は出発した。
艇の名前は、「新月号」という。
新月号は、あまり類のないロケットだ。艇《てい》の主要部は、球形《きゅうけい》をしている。
その外につばのようなものが、球の赤道にあたるところにはまっている。そしてこれはどこか風車か、タービンの羽根ににている。
空気のあるところをとぶときは、このつばの羽根が、はじめ水平にまわり、離陸したあとは、すこしずつ縦《たて》の方へ傾《かたむ》いていって、斜《なな》めに空を切ってあがる、なかなかおもしろい飛び方をする。
そして、もう空気がほとんどないところへ来ると、このつばの羽根が、球から離れる。
そのあとは球《きゅう》だけとなる。この球がロケットとして、六個の穴からガスをふきだして、空気のない空間を、どんどん速度をあげて進んでいくのだ。
球形の外郭《がいかく》には、たくさんの窓があいている、もちろん穴はあいていない。厚い透明体の板がこの窓にはまっている。そしてこの窓は暗黒の中に美しい星がおびただしく輝いている大宇宙をのぞくために使う。
新月号のこの球の直径は、約七十メートルある。だから両国の国技館のまわりに、でっかい円坂をつけたようにも見える。
この新月号は、ただひとりで宇宙の旅をすることになっていた。
こういう形のロケットは、今まであまり見受けなかったことで、あぶながる人もいた。学者の中でも、疑問をもっている人があんがい少なくなかった。
しかし、この新月号の設計者である、カコ技師は、安全なことについては、他のどのロケットにもまけないといっていた。そして、それを証明するために、自分も機関長として、新月号に乗組み、この探検に加わることとなった。
それでは、新月号の艇長は、いったい誰であろうか。これこそ宇宙旅行十九回という輝かしい記録をもつ有名な探検家マルモ・ケン氏であった。カンノ博士は、観測団長だった。
スミレ女史が通信局長であった。女史は、正吉を冷凍から助けだしてくれた登山者中の一人であった。
こうして新月号に乗組んだ者は、正吉をいれて総員四十一名となった。
「はじめて宇宙旅行をする者は、地球出発後七日間は、窓の外を見ることを許さない」
こういう命令を、マルモ艇長《ていちょう》は、出発の前に出した。
「なぜ、あんな命令を出したんだろう」
と、正吉はおもしろくなかった。飛行機に乗って離陸するときでさえ、たいへん気持がいい。ましてや、このふう[#「ふう」に傍点]がわりの最新式ロケット艇の新月号で離陸せるときは、さぞ壮観《そうかん》であろう。だからぜひ見たい。
また高度がだんだん高くなって、太平洋と太西洋とがいっしょに見えるようになるところもおもしろかろう。ぜひ見たい。
なぜマルモ艇長は、それを禁ずるのであろうか。しかも一週間の永い間にわたって外を見てはいけないというのはなぜだろう。
正吉は、カンノ博士にあったとき、その話をした。すると博士はニヤリと笑って、
「フフフ、それは艇長の親心というものだ。艇長は君たちのことを心配して、そういう命令を出したんだ。まもった方がいいね」
と艇長の肩を持った。
「なぜ七日間も、窓から外をのぞいちゃいけないんですか、ぼくはその理由を知りたいです」
「それは……それは、今はいわない方がいいと思う。艇長の命令がとけたら、そのとき話してあげるよ」
それ以上、カンノ博士は何もいわなかった。
正吉と同じ不満を持った、初めての宇宙旅行組の者が二十人ばかりいた。それぞれ、こそこそ不満をもらしていたが、先輩たちは何も説明しなかった。みんな艇長からかたく口どめされているのだった。
見るなといわれると、どうしても見たくなるのが人情であった。正吉は、そのうちこっそりと外をのぞいてやろうと決心した。
窓の外には
新月号は夜明けと共に地球をはなれて空中へとびあがったが、その出発の壮観を見た者は、あまり多くなかった。
それから新月号はぐんぐんと上昇を続け、成層圏《せいそうけん》に突入した。成層圏もやがて突きぬけそうになって高度二十キロメートルを越えるあたりでは、あたりは急に暗くなり、夜が来たようであった。しかし、本当の夜が来たのではなく空気がすくなくなって、そのところでは太陽の光がいわゆる乱反射《らんはんしゃ》をして拡散《かくさん》しないために、あたりは暗いのであった。
しかし太陽は上空に、丸く輝いている。それはちょうど月が夜空に輝いているに似ていて、太陽そのものは輝いているが、まわりは明るくないのだ。
そのころ星の群は一段と輝きをまし、黒い幕の上に、無数のダイヤモンドをまき散らしたようであった。
このような光景が、このあといつまでも続くのであった。
昼も夜もない暗黒の大宇宙であった。しかし太陽はやっぱり空を動いて見える。
大宇宙は、このように静かだ。生きているという気がしない。むしろ死んでいるように見える。それはあたりがあまりに暗黒であるのと、太陽にしても星にしても、暗黒の広い空間にくらべて、あまりに小さくて淋《さび》しいからであろう。
が、もしこのとき、目をうしろにやったとしたら、どうであろう。彼はびっくりさせられるであろう。
艦長が妙な命令を出したのも、じつはうしろをふりむいてびっくりさせないためであったのだ。
それはちょうど出発後四日目のことであった。正吉は、窓の外をのぞく絶好の機会をつかんだ。
通路を歩いていると、頭の上で、へんな声をあげた者がある。
何だろうと思って、正吉は上を見た。
すると、通路の天井の交錯《こうさく》した梁《はり》の上に、一人の男がひっかかって、長くのびているではないか。
「あぶない」
正吉は、おどろいた。放っておけば、あの人は、梁《はり》の間から下へ落ち、頭をくだくことであろう。早く助けてやらねばと思った。
他の者をよぶひまもない。正吉は、傍《かたわら》の柱にとびついて、サルのように上へのぼっていった。木のぼりは正吉の得意とするところだ。
天井までのぼり切ると、あとは梁を横へつたわって進んだ。まるでサーカスの空中冒険の綱わたりみたいだ。
(早く、早く。あの人が梁から落ちれば、もうなんにもならない)
じつにきわどいところで、彼の身体は梁でささえられている。まるで天秤《てんびん》のようだ。
正吉は、やっとのことで、その人の身体をつかまえた。つかまえたのと、その人が息を吹きかえしたのとほとんど同時であった。
「あーァ」
その人は呻《うな》った、見るとそれは料理番の若者で、キンちゃんとよばれている、ゆかいな男であった。
「キンちゃん。どうしたの。しっかり」
正吉は、梁のむこうへ落ちて行きそうなキンちゃんの身体を、一所懸命おさえながら、キンちゃんをはげました。
「あッ、こわいこわい、おれは気が変になる。助けてくれッ」
キンちゃんは、両手で顔をおさえて変なことを口走る。
「キンちゃん。おかしいよ、そんなにさわいじゃ。ぼくは小杉だよ」
「小杉?」
キンちゃんは、ようやく目をあいて、正吉を見た。そしてホッと大きな溜息《ためいき》をついた。おなじみの正吉の顔を見て、安心したのであろう。
「こんなところで、何をしていたの」
と正吉がきくと、キンちゃんはまた顔をしかめて苦しそうにあえぎだした。
「こわい、こわい、正ちゃん。その窓から外を見ない方がいいよ。気が変になるよ」
「あッ、そうか。君は窓から外を見たんだね。艇長に叱《しか》られるよ」
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