正吉はそういったが、見ると窓のおおいが破れている。キンちゃんが破ったものだろう。正吉は急に外が見たくなった。
「正ちゃん、およしよ。だめだ、外を見ちゃ……」
 と、キンちゃんがとめるのにもかまわず、正吉は、とうとう窓から外を見た。
「あッ、あれは……」
 正吉の肩が大きく波打っている。顔は、まっさおだ。
 正吉は何を見たか。
 大きなビルを四、五十あつめたくらいの大きさの、まんまるい黄色に光る球を見たのであった。
 それは地球だ。地球だった。
 地球の大きな球が、空間に、つっかえ棒もなしにいるところは凄《すご》いというか、恐ろしいというか、艇長が外を見るなと命令したわけが、やっと分った。


   偵察《ていさつ》ロケット


 七日以後は窓もひらかれ、外をのぞいてもさしつかえないことになった。そのころ地球は、ずっと形が小さくなり、小山ぐらいの大きさとなったので、恐ろしさが減《へ》った。もうあれを見て発狂したり、気絶《きぜつ》する者もなかろう。
 地球は小さくなったが、いよいよ光をまして白く輝く大陸の輪郭《りんかく》もよく見える。しかし球という感じがだんだんなくなって、平面のような感じにかわっていった。
「キンちゃん、あれから後、いくど気絶したの」
 正吉がそういって料理番のキンちゃんをからかうと、キンちゃんは顔をまっ赤《か》にして、
「あのとき一ぺんこっきりだよ。そんなにたびたびやって、たまるものか。それよりか、今日の夕食にはすごいごちそうが出るよ」
「すごいごちそうというと、お皿の上に地球がのっかっているといった料理かね」
「また地球で、わしをからかうんだね。地球のことはもう棚《たな》にあげときましょう。さて今夜の料理にはね、牡牛《おうし》の舌の塩づけに、サラダ菜《な》をそえて、その上に……」
「雨ガエルでも、とまらせておくんだね」
 正吉は、じょうだんをいって、食堂から出ていった。
 廊下《ろうか》の曲《まが》り門《かど》のところで、正吉は大人の人に、はちあわせをした。誰かと思えば、それは藍《あい》色の仕事服を着て、青写真を小脇に抱えているカコ技師であった。
「あ、あぶない。正吉君、なにを急いでいるのかね」
「いま、食堂ですてきに甘いものをたべて来たので、元気があふれているんです。ですからこれから艇長のところへ行って探検の話でも聞かせてもらって来るつもりなんです。艇長のすごい話はこっちがよほど元気のときでないと、聞いているうちに心臓がどきどきして来て気絶しそうになりますからね」
「このごろどこでも気絶ばやりだね。だから僕もいつもこうして気つけ用のアンモニア水のはいった小さいびんをポケットに入れてもっている」
 そういってカコ技師は、透明《とうめい》な液のはいっている小びんを出してみせた。
「それを貸して下さい。それを持って艇長のとこへ行ってきますから……」
「だめだよ、正吉君、艇長はいまひるねをしておられる。一時間ばかり、誰も艇長を起すことは出来ないのだ」
「ああ、つまらない」
「つまらないことはないよ、機械室へ来たまえ。これから偵察ロケットを発射させるんだから」
「偵察ロケットですって。それは何をするものですか」
「本艇のために、目の役目をするロケットだ。このロケットには人間は乗っていない。電波操縦《でんぱそうじゅう》するんだ。だからこのロケットはうんと速度が出せる。これを発射して、本艇よりも先に月世界の表面に近づかせる。いいかね。ここまでの話、分るかね」
「ええ、分ります」
「その偵察ロケットには、テレビジョン装置がのせてある。だからそれがわれわれの目にかわって月世界の方々を見る。それが電波に乗って本艇へとどく。本艇ではそのテレビ電波を受信して、映写幕にうつし出す。つまりこれだけのものがあると、本艇の目がうんと前方へ伸びたと同じことになる。たいへんちょうほうだ」
「なぜ、そんなことをするんですか」
「これは、もし前方に危険があったときは、偵察ロケットが感じて知らせてよこす。本艇はさっそく逃げることができる。偵察ロケットの方は破壊されてもかまわない。それには人間が乗っていないのだからね」
「音も聞けるわけですね。偵察ロケットにマイクをのせておけばいいわけだから」
「技術上は、そういうこともできる。しかしこの場合、音をきく仕掛はいらない」
「なぜですか」
「だって、月世界には空気がない。空気がなければ、音はないわけだ」
「ああ、そうでしたね」


   月の噴火口《ふんかこう》


 偵察ロケットは、三台も発射された。
 それは小型のロケットで、砲弾のような形をしていた。
 あと十二時間すると、月の上空へ達するそうである。
 この光景はテレビジョンにおさめられ、地球へ向けて放送された。
「月世界って、そんなに危険なところですか。大地震でもあるのですか」
 正吉はカコ技師のそばからまだはなれない。
「もう地震はないね。月世界はすっかり冷えきって、死んでしまった遊星《ゆうせい》だから」
「じゃあ、強盗《ごうとう》でもあらわれるのですか」
「まさか強盗は出ないよ。いやしかし、強盗よりももっとすごい奴があらわれる心配がある」
「なんですか、そのすごい奴というのは……」
「それはね、われわれ地球人類でない、他の生物が月世界へやってくるといううわさがあるんだ。この前にも、ある探検隊員は、それらしい怪しい者の影をみて、びっくりして逃げて帰ったという話である。また、ある探検隊員は月世界で行方不明になったが、さいごに彼がいた地点では格闘《かくとう》したあとが残っている。またそこに落ちていた物がわれわれ人類の作ったものではないと思われる。そういうことから、他の遊星の生物がかなり、前から月世界へ来ているではないか。それなら、これから月世界へ行くには、よほど警戒しなくてはならないということになったのだ」
 カコ技師の話は、正吉をおどろかせた。この宇宙は、地球人類だけが、ひとりいばっていられる世界だと思っていたのに、それが今は夢として破れ去り、ほんとうは他の星の生物たちといっしょに住んでいる雑居《ざっきょ》世界だということが分りかけた。これはゆだんがならない。また、考えなおさなければならない。もしや宇宙戦争が始まるようになっては、たいへんである。
 正吉は、そんなことを考えていると、なんとなく気分がすぐれなくなった。カコ技師はすぐそれを見てとった。
「正吉君。いやにふさぎこんでしまったじゃないか。とにかく人間は、どんなときにも元気をなくしてしまってはおしまいだよ。そうそう、いま映画室でポパイだのミッキー・マウスの古い漫画映画をうつしているそうだから、行ってみて来たまえ。そして早く、にこにこ正ちゃんに戻りなさい」
 カコ技師にいわれて、正吉は、そのことばに従った。
 映画はおもしろくて、おなかをかかえて笑った。すぐそばに、正吉よりもっと大きな声で笑いつづける者がいた。よく見ると料理番のキンちゃんであった。
 映画がすむと、キンちゃんが、室内競技場へ行こうと、さそってくれた。正吉は、いっしょに行った。そこには非番の艇員たちが、声をあげて遊んでいた。正吉たちもその仲間にはいって、バスケットボールをしたり、ビール壜《びん》たおしをやったりした。そして時間のたつのが分らなくなった。
 カコ技師が、いつの間にか正吉のうしろに来ていて、声をかけた。
「例の偵察ロケットがね、さっきから月世界の表面に接触《せっしょく》したよ。あのロケットが送ってよこすテレビジョンが、いま操縦室の映写幕にうつっているから、見にこない」
「えっ、もう見えていますか。行きますとも」
 カコ技師について操縦室へはいっていくと、そこには本艇の主だった人々がみんな集っていた。そして副操縦席のうしろの椅子に腰をおろして計器番の上にはりだした映写幕にうつるテレビジョンを見ながら、意見を交換していた。
 映写幕の上には、大きな丸い環《かん》が、いくつもうつってそれがゆるやかに下から上へ動いていく。
「いま見えているのは知っているね。月の表面にある噴火口といわれるものさ」
「ああ、本で見たことがあります」
 正吉はカコ技師にもたれながら答えた。噴火口のまわりの壁は、ずいぶん高くそびえている。そして右側に、黒々とした影をひいている。
「映写幕の左上の隅のところにあるのがアポロニウスという噴火口だ。その下の方――つまり北のことだが、危難《きなん》の海という名のついた海のあとさ。ほら、だんだん大きな噴火口が下の方からあらわれてくる……」
 大きな噴火口があらわれては、消える。
 画面が急にかわった。映写幕の右の方に月の面《めん》が大きく弧線《こせん》をえがいてうつった。ここにはまたもっと大きい噴火口が集っている。
「さっきのと、ちがう別の偵察ロケットのテレビジョンに切りかえられたんだ。今うつっているのは月の南東部だ。まん中へんに見える細長い噴火口がシッカルトだ。直径が二百五十キロもある。壁の一番高いところは二千七百メートル。大きいだろう」
「すごいですね」
 白く光る月面を見ていると、なんだか身体がこまかくふるえてくるようだ。
「そのずっと左の方に有名なティヒヨ山が見える。高さは五千七百メートル。四方八方へ輝条《きじょう》というものが走っているのが見える」
「ぼくたちは、どこへ着陸するのですか」
「予定では、『雲の海』のあたりだ。そうだ、雲の海は、いま画面のまん中あたりの下の方にある。つまりティヒヨ山から北東の方向へ行ったところにある」
「すごいですね」
「こわくなりゃしない? こわければ上陸しないで、本艇に残っていていいんだよ」
「いいえ、ぼくはだんぜん上陸します。でないと月世界まで来た意味がありませんもの」


   ついに着陸


 偵察ロケットはだんだん高度を低くし、月面に近づいていった。そしてていねいにいく度もいく度も同じ地域の上空をとんだ。
「大丈夫のようです。別にかわったものを見かけませんから」
 そういって艇長の方を向いたのは、観測団長のカンノ博士だった。
「うむ。まず、大丈夫らしいね。では着陸の用意をさせよう」
 艇長はマイクを手にとりあげて、その用意方《よういかた》を全艇へつたえた。
「さあ、忙しくなったぞ」
 と、カンノ博士は正吉にしばらくの別れを告げて、操縦室から去った。
 着陸の用意は、二十四時間かかった。
 いまはカコ技師も、はればれとした顔つきになって、喫煙室《きつえんしつ》へ来て、煙草をうまそうに吸いながら、だれかれと話しあっている。
「こんどは装甲車《そうこうしゃ》を五台出動させることができる。だから上陸班は十分に活動ができると思う」
「装甲車というと、どんなものですか」
「一種の自動車さ。そしてガソリンではなく原子力エンジンで動く。それから外側が厚さ十センチの鋼板で全部包んである」
「じゃあ、戦車ですね」
「戦車は砲をつんでいる。これは砲はつんでいないから、戦車ではない。やはり、装甲車だ」
「なぜこんな乗物を使うんですか。敵がいるわけでもないのでしょう。なぜそんな厚い装甲がいるんですか」
「それはね、第一に隕石《いんせき》をふせぐために、これくらいの厚い装甲が必要なんだ」
「隕石というと、流れ星のことでしょう。あんなものはこわくないではありませんか。地上に落ちてくるのは、ほとんどないのですから」
「いや、ところがそうではない。地球の場合だと、空気の層があるから、隕石はそこを通りぬけるとき空気とすれ合って、ひどく高温度になり、多くは地上につかないうちに火となって燃えてしまう。しかし月世界には空気がないから隕石は燃えない。そのまま月の上へ落ちてくる。君たちの頭の上へこれが落ちて来たら、頭が割れて即死《そくし》だ。だからそんなことのないように装甲車に乗って上陸するんだ。分ったかね」
「なるほど。隕石に気をつけないと、あぶないですね。すると私たちは月世界の上を、この二本の足で歩かないのですか」
「歩くことも出来る」
「だって、隕石が上からとんで来て、大切な
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