は目をぱちくり。
口ひげのある弟
人工心臓は、ほんとの心臓と違って、人間のつくった機械だから、ずっと大きい。だから胸の中にはいらず背中にそれをくくりつけてある。
胸の中から二本の管《くだ》が出て、この人工心臓につながっている。一方は赤くぬってあり、もう一つは青くぬってある。赤い方は、きれいな血がとおる動脈、青い方は静脈だ、そして人工心臓は、その血を体内に送ったり吸いこんだりするポンプなのである。
昔あったジェラルミンよりもっと軽い金属材料と、すぐれた有機質の人造肉とでこしらえてあるのだと、専門のサクラ女史が説明してくれた。
「こんなものをぶら下げていると、かっこうが悪くてね。正吉や、お前が見ても、へんでしょう」
と、母親は笑った。
なつかしい母親の笑顔だった。
「かっこうなんか、どうでもいいですよ。その人工心臓の力によって、もっともっと長生きをして下さい」
「お医者さまは、あたしの悪い心臓を人工心臓にとりかえたので、これだけでも百歳までは生きられますとおっしゃったよ」
「百歳とは長生きですね」
「いいえ。お医者さまのお話では、もっと長生きができるんだよ。百歳になる前に、もう一度人工心臓を新しいのにとりかえ、それからその外の弱って来た内臓をやはり人工のものにとりかえると、また寿命《じゅみょう》がのびるそうだよ」
「じゃあ、お母さん、そういう工合にすると二百歳までも、三百歳までも、長生きができることになるじゃありませんか。うれしいことですね。お父さんなんか、昭和二十年に死んじまって、たいへん損をしたことになりますね」
「ほんとにおしいことをしました。お父さまももう十五、六年生きておいでになったら、わたしと同じように、ずいぶん長生きの出来る組へはいれるのにねえ。そうすればお母さんは、今よりももっと幸福なんだけれど……」
正吉の母は、早く亡《な》くなった正吉の父親のことをしのんで、そっと涙をふいた。
そのときだった。りっぱなひげをはやした三十あまりになる紳士と、それよりすこし下かと思われる婦人とが、かけこんで来た。
「あ、お母さん。ここへ、兄さんが訪ねて来てくれたんですって」
「あたしの兄さんは、どこにいらっしゃるの」
正吉はその話を聞いて、目をぱちくり。
「おお、お前たちの兄さんはそこにいますよ。ほら、そのかわいい坊やがそうですよ」
母親は正吉を指《ゆびさ》した。
「えっ。この少年が、僕の兄さんですか。ちょっとへんな工合だなあ」
「まあ、ほんとうだわ。写真そっくりですわ。でもあたしの兄さんがこんなにかわいい坊やでは、兄さんとおよびするのもへんですわね」
「正吉や。こっちはお前の弟の仁吉《にきち》です。またそのとなりはお前の妹のマリ子ですよ」
「やあ、兄さん」
「兄さん、お目にかかれてうれしいですわ」
「ああ、弟に妹か――」
といったが、正吉も全くへんな工合であった。弟妹《きょうだい》に会ったようではなく、おじさんおばさんに会ったような気がした。
びっくり農場
思いがけない母親とのめぐりあいに、正吉少年はたいへん元気づいた。見しらぬ世界のまっただ中へとびこんだひとりぼっちの心細さ――というようなものが、とたんに消えてしまった。
「ここからどこへつれていって下《くだ》さるのですか」
と、正吉はカニザワ区長やサクラ院長などをふりかえって、たずねた。
「君がびっくりするところへ案内します。ちょっぴり、教えましょうか。日本の新しい領土なんです。ハハハ、おどろいたでしょう」
「日本の新しい領土ですって。それはへんですね。日本は戦争にも負けたし、また今後は戦争をしないことになったわけだから、領土がふえるはずがないですがね」
「そう思うでしょう。しかしそうじゃないんです。君がじっさいそこへ行ってみれば分りますよ」
「近くなんですか」
「いや、近くではないです。かなり遠いです。しかし高速の乗物で行くからわけはありません」
正吉は区長さんのいうことが理解できなかった。土地がせまくなったところへ、海外から大ぜいの同胞《どうほう》がもどって来たので、たいへん暮しにくくなり、来る年も来る年も苦しんだことを思い出した。中でも一番苦しかったのは食糧だった。
「ああ、そうそう」と、正吉はいった。
「ねえ区長さん。田畑《たはた》や果樹園《かじゅえん》はどうなっているのですか。地上を攻撃されるおそれがあるんなら、地上でおちおち畑をつくってもいられないでしょう」
「そうですとも、もう地上では稲《いね》を植えるわけにはいかないし、お芋《いも》やきゅうり[#「きゅうり」に傍点]やなす[#「なす」に傍点]をつくることもできないです。そんなものをつくっていても、いつ空から恐ろしいばい菌や毒物をまかれるかもしれんですからね。そうなると安心してたべられない」
「じゃ農作物は、ぜんぜん作っていないのですか」
「そんなことはありません。さっきあなたがおあがりになった食事にも、ちゃんとかぼちゃ[#「かぼちゃ」に傍点]が出たし、かぶ[#「かぶ」に傍点]も出ました。ごはんも出たし、もも[#「もも」に傍点]も出たし、かき[#「かき」に傍点]も出た」
「そうでしたね」
「では、まずそこへ案内しますかな。ちょうどよかった。すぐそこのアスカ農場でも作っていますから、ちょっとのぞいていきましょう」
アスカ農場だという。地上には田畑も果樹園もないと区長さんはいっている。それにもかかわらず農場と名のつくところがあるのはおかしい。まさか、地中にその農場があるわけでもあるまい。地中では、太陽の光と熱とをもたらすことができないから、農作物が育つわけがない。
「ここです。はいりましょう」
大きなビルの中に案内された。こんな会社のような建物の中に、いったいどんな農場があるのであろうか。
が、案内されて三十年後の地下農場を見せられたとき、正吉はあっとおどろいた。
かぼちゃ[#「かぼちゃ」に傍点]も、きゅうり[#「きゅうり」に傍点]も、稲も昔の三等寝台のように、何段も重なった棚の上にうえられていた。みんなよく育っていた。
「このきゅうり[#「きゅうり」に傍点]を見てごらんなさい」
そこの技師からいわれて、正吉はそのきゅうり[#「きゅうり」に傍点]をみていた。
「おや、このきゅうり[#「きゅうり」に傍点]は動きますね。どんどん大きくなる」
正吉はびっくりしたり、きみがわるくなったり、これはおばけきゅうり[#「きゅうり」に傍点]だ。
「この頃の農作物は、みんなこのようなやり方で栽培《さいばい》しています。昔は太陽の光と能率のわるい肥料で永くかかって栽培していましたが、今はそれに代って、適当なる化学線と電気とすぐれた植物ホルモンをあたえることによって、たいへんりっぱな、そして栄養になるものを短い期間に収穫できるようになりました。こんなきゅうりなら、花が咲いてから一日|乃至《ないし》二日で、もぎとってもいいほどの大きさになります。りんご[#「りんご」に傍点]でもかき[#「かき」に傍点]でも、一週間でりっぱな実となります」
「おどろきましたね」
「そんなわけですから、昔とちがい、一年中いつでもきゅうり[#「きゅうり」に傍点]やかぼちゃ[#「かぼちゃ」に傍点]がなります。またりんご[#「りんご」に傍点]もバナナもかき[#「かき」に傍点]も、一年中いつでもならせることができます」
「すると、遅配《ちはい》だの飢餓《きが》だのということは、もう起らないのですね」
「えっ、なんとかおっしゃいましたか」
技師は正吉の質問が分らなくて問いかえした。正吉は、気がついてその質問をひっこめた。まちがいなく五十倍の増産がらくに出来る今の世の中に、遅配だの飢餓だのということが分らないのはあたり前だ。
海底都市
動く道路を降りて丘になっている一段高い公園みたいなところへあがった。もちろん地中のことだから頭上には天井がある。壁もある。その広い壁のところどころに、大きな水族館の水槽《すいそう》ののぞき窓みたいに、横に長い硝子板《ガラスばん》のはまった窓があるのだった。
その窓から外をのぞいた。
「やあ、やっぱり水族館ですね」
うすあかるい青い光線のただよっている海水の中を、魚の群が元気よく泳ぎまわっている。こんぶ[#「こんぶ」に傍点]やわかめ[#「わかめ」に傍点]などの海草の林が見え、岩の上にはなまこ[#「なまこ」に傍点]がはっている。いそぎんちゃく[#「いそぎんちゃく」に傍点]も、手をひろげている。
「水族館だと思いますか」
区長さんが笑いかけた。
「よく見て下さい。今、燈火《あかり》をつけて、遠くまで見えるようにしましょう」
そういって区長は、窓の下にあるスイッチのようなものを動かした。すると昼間のようにあかるい光線が、さっと水の中を照らした。その光は遠くにまでとどいた。魚群がおどろいたか、たちまちこの光のまわりは幾組も幾組も、その数は何万何十万ともしれないおびただしさで、集って来た。
「これでも水族館に見えますか」
と、区長がたずね、
「いや、ちがいました。これは本物の海の中をのぞいているのですね」
遠くまで見えた。こんな大きな水族館の水槽はないであろう。
「お分りでしたね。つまりこのように、わが国は今さかんに海底都市を建設しているのです」
「海底都市ですって」
「そうです。海底へ都市をのばして行くのです。また海底を掘って、その下にある重要資源を掘りだしています。大昔も、炭鉱で海底にいて出るのもありましたね。
ああいうものがもっと大仕掛になったのです。人も住んでいます。街もあります。海底トンネルというのが昔、ありましたね。あれが大きくなっていったと考えてもいいでしょう」
正吉は海底都市から出かけて、ふたたび上へあがっていった。
とちゅうに停車場があって、たくさんの小学生が旅行にでかける姿をして、わいわいさわいでいた。
「あ、小学生の遠足ですね。君たち、どこへ行くの」
「カリフォルニアからニューヨークの方へ」
「えっ、カリフォルニアからニューヨークの方へ。僕をからかっちゃいけないねえ」
「からかいやしないよ。ほんとだよ。君はへんな少年だね」
正吉は、やっつけられた。
そばにいた区長がにやにや笑いながら、正吉の耳にささやいた。
「ちかごろの小学生はアメリカやヨーロッパへ遠足にいくのです。この駅からは、太平洋横断地下鉄の特別急行列車が出ます。風洞《かざあな》の中を、気密《きみつ》列車が砲弾《ほうだん》のように遠く走っていく、というよりも飛んでいくのですな。十八時間でサンフランシスコへつくんですよ」
「そんなものができたんですか。航空路でもいけるんでしょう」
「空中旅行は、外敵《がいてき》の攻撃を受ける危険がありますからね。この地下鉄の方が安全なんです。なにしろ巨大なる原子力が使えるようになったから、昔の人にはとても考えられないほどの大土木工事や大建築が、どんどん楽にやれるのです。ですから、世界中どこへでも、高速地下鉄で行けるのです」
「ふーン。すると今は地下生活時代ですね」
「まあ、そうでしょうな。しかし空へも発展していますよ。そうそう、明日は、羽田空港から月世界探検隊が十台のロケット艇《てい》に乗って出発することになっています」
正吉は大きなため息をついてひとりごとをいった。
「三十年たって、こんなに世界や生活がかわるとは思わなかったなあ。こんなにかわると知ったら、三十年前にもっと元気を出して、勉強したものをねえ」
あとで分った話によると、例のモウリ博士は月世界探検に行ったまま、遭難《そうなん》して帰れなくなっているということだ。こんどの探検隊が、きっと博士を救い出すであろう。
宇宙探検隊
正吉は、その日以来、宇宙旅行がしてみたくてたまらなくなった。
三十年前、やがて月世界へ遊覧《ゆうらん》飛行ができるようになるよと予言する人があったら、その人はみんなから、ほら吹きだと思われたことであろう。それが今は、ほんとに出
前へ
次へ
全15ページ中3ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
海野 十三 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング