いる身分で、たまに出掛ける先は病院であったり、買物であったりして、友人も案外少いことが判りました。
 大体そんなことが判ると私はいよいよこの犠牲者に対して実験を行うことに取りかかりました。恰度学年試験が漸く済んで一寸一ヶ月の休暇が私に与えられていました。私の探偵したところによると、其頃細田氏は毎朝神田の白十字会病院まで注射をうけに行くということが判っていましたので、私は躊躇《ちゅうちょ》するところなく事を始めました。
 最初の日は私はわざわざ下町で買い求めて来た正三角形の皮製蟇口《かわせいがまぐち》を犠牲にすることにしました。この蟇口を細田氏の歩む道路上に捨てて置いて拾わせようという考えです。私は其の日予定の時間に三角形の蟇口を懐中に忍ばせて細田氏の邸の方へ出向きました。細田氏の宏壮な構《かまえ》の前には広い空地《あきち》があって其の中を一本の奇麗な道が三十間程続いてその向うに小ぢんまりとした借家《しゃくや》が両側に立ち並んでいました。駅へ出るには、細田氏はどうしてもこの道を歩かねばなりません。
 神経質な細田氏が病院へ出かける時間は大体午前九時三十分に決っていて、必ず其の時間には紋切型に氏の長身が太い御影石の門に現われるのでした。私は細田氏に拾われることを信じ乍《なが》らも万一他の御用聞きなぞに拾われることをも覚悟の中に入れて定刻二分前に門前十歩ほどの路上に其の三角形蟇口を落しておきました。そして直ぐさま身を飜《ひるが》えすようにして門前につづく広い空地の片隅に佇《たたず》んで細田氏の姿の現われるのを今や遅しと待っていました。
 果して間もなく細田氏は例の力なさそうな姿を門前にあらわすと、スタコラと白い路をすすみ出ましたが、どんな無神経ものの眼にでも気がつかずにいない赤い三角形の蟇口はやすやすと細田氏の注視の標《まと》となり、氏の桐《きり》の下駄は戛《かつ》と鳴って、三角形蟇口の前に止りました。直ぐ拾い上げるだろうと予想した事ははずれて細田氏はステッキでちょいちょいと其の蟇口をいじって見ましたが、突然顔をあげて辺りを見廻しました。勿論《もちろん》私の姿も目に入るに違いなかったので私はつと横の路次《ろじ》の方へ大急ぎで飛び込んでゆきました。私は細田氏が何か大声をあげて私を呼びはしないかと思いましたが、一向声もきこえず、いつ迄たっても元のように静かでした。
 それから
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