れとて今は聴いても何の役にも立たぬことなのであるが……。
四月九日[#地付き]細田弓之助
[#ここで字下げ終わり]

 私は此の手紙を読んで呆然《ぼうぜん》としました。私が十七歳のときに胸の病で別れた美しい姉がこんな秘密を抱いて死んだとは、始めて聴く事実でした。また細田氏が偶然私の選んだ試験台であり乍ら、亡き姉を捨てた恋人であった事は一層不思議なことでした。細田氏は私が事情を知って、氏を三角形《デルタ》で脅かしているものだと死ぬまで思っていたことでしょう。何はともあれ、細田氏の死去《しきょ》がのがれられない呪われた運命の仕業であることを知った私は、どんなに心が軽くなったことでしょうか。それからというものは私は見違えるように家の中でも快活になって何事も知らぬ母親を驚かしたり喜ばせたりしました。あの陰気くさい塔の森さえ暴風雨の前に立つ巨人の像のように雄大に仰がれるようになったことでした。
 私の長い話はこれで大体御しまいなのです。が例の癖で最後に一寸だけ言わして貰いたいことがあるのですよ。それはこの話の中で貴方も御気付きのことだろうと思いますが、いくら私の姉が上手に細田氏のことを隠していたって生みの母に一度も疑われずに来たというのは随分おかしなことだと思うんですよ。私は此の頃ではどうやらこの事件の本当の内容が判って来たように思うんです。
 私の臆測《おくそく》が若し間違っていなかったとするならばですね、私はやっぱり細田氏を三角形に脅かして間接に殺したことになるのです。つまり私の立てた説が本当に物凄い価値を現わしたことになるのですね。
 あの手紙ですか。あれはあの晩尋ねて行った須永先生が、私のことを大変心配して、どうにかして若い身空の私に元気をつけさせようと思って、大いそぎであの手紙を創作したのじゃないかと思っています。
 それに一つ根拠のあることは、母の話によると、実は姉の生きていた頃、姉は大変須永さんを褒《ほ》めていて、誰かが悪口を言うとしまいには泪《なみだ》を出して泣いた位だという事です。あの手紙の中にある細田氏のことというのは実は須永さんの創作にして、且つ須永さん自身の体験の一部を漏《もら》してあったのではないかと思うのです。遺憾《いかん》なことに須永さんもそれから数年後、英国へ留学して、あの地で奇妙なバクテリアに取憑《とりつか》れて亡くなったので、そんな事に気が
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