はいつもかぶりをふって、
「何も、しんぱいなぞしていない、そんな話はもうごめんだ」
 と、耳を貸すのもきらった。
 その左平は、ちょうど一年ほどたって、時計台の天井にひもを下げ、自分の首をくくって死んだ。遺書があった。
「いのちがおしいものは、この屋敷に近よるな。左平」
 と、かんたんな文句がしたためられてあった。
 左平の自殺を見つけたのは、雇人の喜三という老人だったが、そのしらせに村人がこの屋敷へかけあつまったとき、さらにへんな話を聞いた。
 それはこの一ヶ月ばかり、奥様も千草も共に雇人たちに顔を見せず、そのことを旦那さまの左平にいうと、左平のきげんがたいへんわるかったとのことだった。
 そこで、みんなで手わけして、各部屋をさがしてまわった。
 すると、おどろくべきものを発見した。
 二階の奥の居間に、はなやかな女の蒲団《ふとん》が二つしいてあるのを見つけた。たしかに人がねている形だったが、蒲団をあたまからかぶっている。それがおかしいというので、みんなして蒲団をめくってみたら、中には白骨がねていた。骨がばらばらになっているが、たしかにどっちも一人分の白骨がねていたのである。
 さあ、みんなびっくり仰天《ぎょうてん》、にげ出す者もあれば、その場で腰をぬかす者もあった。そうして、ほうほうのていで、時計屋敷からにげだしたのであった。
 古い話は、まずこれだけである。それ以来この時計屋敷は、極度にこわがられ、そして荒れるにまかされていた。村人でなくても、こんなおそろしい因縁《いんねん》ばなしを聞けば、だれだって時計屋敷へ近よるのはやめるだろう。

   恐《おそ》れる人、恐れぬ人

 だが、世の中は、このところ、たいへんかわった。
 そのわけは、住宅難のこと、資材難のこと、物価がたいへん高くなったことなどのために、戦災で焼けのこったありとあらゆるものが、新しい目で見直されることだった。
 この左内村に対しても、県から達示《たっし》があって、「家のないたくさんの戦災者のために、なんとかして住める部屋をできるだけたくさん探して報告せよ。また修理をしないとはいれない部屋があれば、どのくらいの修理を必要とするか、それも報告せよ」といって来た。そしてこの達示はたいへんきびしく、左内村に対しても、あるきまった数以上の部屋を申告《しんこく》するように、わりあてて来た。
 村では困って
前へ 次へ
全40ページ中3ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
海野 十三 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング