んだのであったが、ヤリウスは首を左右にふって、左内村の人間をただ一人もやといいれなかった。村人は、がっかりし、そしてヤリウスをうらみ、時計台をにらみつけては新築屋敷のことをのろった。
建築は手間どって、春から始めた工事がすっかり出来上ったのは、夏も過ぎ、秋もたけ、木枯《こがらし》の吹きまくったあとに、白いものがちらちらと空から落ちて来る冬の十二月はじめだった。さかんな新築祝いの宴が、時計屋敷で三日三晩にわたって行われたのち、百五十人の建築師たちは、村人にあいさつもせず、風のようにこの土地を去った。
それと入れ替えに、その翌日たくさんの荷物を積んだ馬が屋敷へはいっていった。そして、それから時計屋敷の窓々からは、あかるいともし火がかがやき、ヤリウスの豪華な生活がはじまったのである。
ヤリウスは、そこに四五年住んでいた。
そして、とつぜん彼の姿は村の人の目から消えた。窓のともし火も、急に数がへった。
人のうわさでは、ヤリウスが日本を去ったともいい、またヤリウスが、とつぜん死んだのだという者もあった。
どっちかしらないが、それから間もなく、この時計屋敷の買手を探しているそうなとの話が流れ、商人らしい服装の人が何人となく時計屋敷を入ったり出たりした。
庄屋の家柄の左東左平は、前から時計屋敷のことを心の中にきざみつけていた。ヤリウスには恨みをいだいていたこともあったが、時計屋敷ができあがったのちは、あの屋敷にたいへん心がひかれ、自分もなんとかしてあんな様式の家をつくりたいものだと思い、いろいろ考えていたところだったから、その屋敷が売物に出たとの話を耳にすると、さっそくかけつけて、せり売の場にはいっていい値をつけた。
そして結局、左平がこの屋敷を買取ることにきまった。金額はいろいろとうわさされたが、とにかくヤリウスの家扶の門田虎三郎《もんだとらさぶろう》は、左平から金を受取ると、屋敷を明けわたして出ていった。
大よろこびの左平だった。
さっそく家族をつれて、この屋敷へひっこした。妻君のお峰《みね》と一人娘の千草《ちぐさ》と、あとは雇人が十人近くいた。
左平のとくい顔が見られたのは、それから半年あまりの間だった。そのあとは、左平の顔には何だかやつれの色が見え、そして何事かについてあせっているようだ。
それを村人がしんぱいして、それとなくわけをたずねたが、左平
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