時限爆弾奇譚
――金博士シリーズ・8――
海野十三
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)金博士《きんはかせ》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)科学発明王|金博士《きんはかせ》
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(例)[#ここから2字下げ]
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1
なにを感づいたものか、世界の宝といわれる、例の科学発明王|金博士《きんはかせ》が、このほど上海《シャンハイ》の新聞に、とんでもない人騒《ひとさわ》がせの広告を出したものである。
その広告文をここへ抄録《しょうろく》してみよう。
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全世界人《ゼンセカイジン》ヘノ警告文《ケイコクブン》
余《ヨ》スナワチ金博士は[#「金博士は」はママ]、今度ヒソカニ感ズルトコロアリテ、永年ニ亘《ワタ》ル秘密ノ一部ヲ告白《コクハク》スルト共ニ、之《コレ》ニサシサワリアル向《ムキ》ニ対シ警告ヲ発スル次第ナリ。抑々《ソモソモ》今回ノ告白|対象《タイショウ》ハ、余ガ数十年以前ニ研究ニ着手シ、一先《ヒトマ》ズ完成ヲミタル「長期性時限爆弾《チョウキセイジゲンバクダン》」ニ関スルモノニシテ、左記《サキ》ニ列挙《レッキョ》シアル十二個ノ物件《ブッケン》ハ、イズレモ来《キタ》ル十二月二十六日ヲ以テ、満十五年ノ時限満期ニ達スル爆弾ヲ装填《ソウテン》シアルモノニシテ、右期日以後ハ何時《イツ》爆発スルヤモ計《ハカ》ラレズ、甚《ハナハ》ダ危険ニ付《ツキ》、心当リノ者ハ注意セラルルヨウ此段《コノダン》為念《ネンノタメ》警告《ケイコク》ス。
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とあって、その次行に「記《き》」としるし、それから博士のいわゆる「十五年満期」の「長期性時限爆弾」を「装填シアル物件」が十二個ずらずらと列記してあるのであった。
このところまでの警告前文を、金博士め何をいいだしたやらと、半ば好奇的《こうきてき》に睡気《ねむけ》ざまし的に、机の上に足などをあげていて、この記事を読んできた連中は、その次の行《ぎょう》へいって、大概《たいがい》呀《あ》っ! と大きく叫んで、その躯は椅子ごと床の上に転がったものである。
この一見ばかばかしき騒ぎは、新聞読者の余りにも周章《あわ》てん坊《ぼう》たるを証明するわけでもあるが、しかし左記の十二項を読んでいくと、まあそのくらい騒ぐのも無理ならぬことのようにも考えられる。すなわち、まず第一号を読んでみると、
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一、八角形ノ文字盤《モジバン》ヲ有シ、其ノ下二振子函《フリコバコ》アル柱時計ニシテ、文字盤の[#「文字盤の」はママ]裏ニ赤キ「チョーク」ニテ3036ノ数字ヲ記《シル》シアルモノ。
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とある。
冗談じゃない。この説明にあるような柱時計は、すぐ一目で特異性《とくいせい》を看破《かんぱ》し得らるるような、どこにもここにもあるという物品《ぶっぴん》ではないというわけではなく、そこら中《じゅう》、どこにも至るところにぶら下っているだろうところの柱時計を指している――いや、ややこしいものの云い方である。簡単にいうと、それは極めて普通の古い柱時計を指しているのであるから、さてこそ上は財閥《ざいばつ》の巨頭《きょとう》から、下は泥坊市《どろぼういち》の手下《てした》までが、あわてくさって、椅子とともに転がった次第である。
後日の調べによると、その日のうちに、租界《そかい》の中だけでも、三千百四の柱時計がめちゃくちゃに解体されたそうで、そのほか黄浦江《こうほこう》の中へ投げこまれたものが六百何十とやらにのぼったという。まことに人騒がせなことをやったものである。
しからば、柱時計を持っていない連中は、さぞ悠々自適《ゆうゆうじてき》したであろうと思うであろうが、そうでもなかった。なるほど、当該《とうがい》の彼および彼女は柱時計なぞを持っていないから、自分の家または居間については安心していられるが、もし隣家《となり》に、この恐るべき古い柱時計があるとしたらどうであろう。またアパートに住んでいるとして、階上《うえ》又は階下《した》の部屋に、この恐るべき柱時計めが懸っていたとしたならどうであろう。どっちの場合も、人様《ひとさま》のおかげをもって、どえらい傍杖的《そばづえてき》被害を喰《くら》う虞《おそ》れが十分に看取《かんしゅ》されたものだから、どうして落付いていられようか。やっぱり、椅子と共に半転《はんころ》がりとなって、近いところから始めて、近隣《ちかま》の間《ま》にのこらず侵入しては、頸《くび》の痛くなるまで柱時計を探して廻ったことであった。だから、租界中が、この柱時計のことだけでも、どんなに名状《めいじょう》すべからざる混乱に陥《おちい》ったかは、読者が容易に想像し得らるるところにちがいない。
しかも金博士の爆発警告の物件は、この柱時計だけではないのである。あとまだ十一個もあるのである。一々ここに書き切れないが、序《ついで》にもうすこし述べておこう。
2
次の第二号を見ると、こんなことが書いてあった。すなわち、
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二、ソノ色、黒褐色《コッカッショク》ノ水甕《ミズガメ》ニシテ、底ヲ逆《サカサ》ニスルト、赤キ「ペンキ」デ4084ノ数字ガ記《シル》サレタルモノ。
[#ここで字下げ終わり]
さあ、たいへん。水甕は、たいていどこの家にもある。ましてや水甕の色となると、鮮《あざや》かなる赤や青や黄などのものはなくて、たいてい黒ずんでいる。博士は多分その水甕を特別の二重底にし、そこに爆弾を仕かけておいたものであろうが、そうなると、どの家でもそのままにして置けない。水甕という水甕は、その場で逆さにひっくりかえされた。そのために、そこら中は水だらけと相成《あいな》り、水は集り集って、租界《そかい》を洪水《こうずい》のように浸《ひた》してしまった、本当の話ですよ。
空になった甕《かめ》は、いずれも毛嫌いされて、家の中には再び入れてもらえず、一旦は公園の中に持ちこまれて、甕の山を築《きず》いたが、万一この甕の山が爆発したら、あの刃物のような甕の破片が空高くうちあげられ、四方八方へ、まるで爆弾と同じ勢いで落ちてくる虞《おそ》れがあるというので、これではならぬと、また今度は、皆して、えっさえっさと甕をかついで黄浦江《こうほこう》の中へ、どぶんどぶんと沈める競争が始まった。なにしろ、いくら赤いペンキで数字が書かれたとて、もう既に十五年も経過しているのであるから、とても文字の痕《あと》がさだかなりとは思われず、さてこそそのさわぎも大きくなった次第《しだい》である。
その次に曰く、
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三、丈《タケ》が[#「丈《タケ》が」はママ]二尺グライノ花瓶《カビン》、口ニ拇指《オヤユビ》ヲ置キテ指ヲ中ニサシ入レテ花瓶ノ内側ヲサグリ、中指ガアタルトコロニ、小《チイ》サク5098ト墨書《ボクショ》シアリ。
[#ここで字下げ終わり]
というわけで、今度は、立派な花瓶が一つのこらず、河の中に投げこまれてしまった。なるほど、十五年前に墨書《すみがき》し、その後十五年間|瓶《びん》の中に水を張ったのでは、大伴《おおとも》の黒主《くろぬし》の手を借らずとも、今日5098の文字は消え失せているに違いなかろう。
さて、その次は、
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四、寝台《シンダイ》。木ヲ組合ワセテ作リタル丈夫《ジョウブ》ナルモノ。台ノ内側又ハ蒲団綿《フトンワタ》ノ中に、朱筆《シュヒツ》ヲ以テ6033ト記シタル唐紙片《トウシヘン》ヲ発見セラルベシ。
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途方《とほう》もない騒ぎとなった。租界中の誰も彼もが、白い綿ぎれ、鼠色《ねずみいろ》の綿ぎれ、鼠の小便くさい黒綿《くろわた》ぎれを頭からかぶって、何のことはない綿祭りのような光景を呈した。
黄浦江《こうほこう》は、あの広い川面《かわも》が、木製の寝台を浮べて一杯となり、上る船も下る船も、完全に航路を遮断《しゃだん》されてしまって、船会社や船長は、かんかんになって怒ったが、どうすることも出来ない。しかし乗客たちは、安全に陸に上ることが出来た。その浮かべる寝台の上を伝《つた》い歩いて渡った結果……。
「おい、あの金博士め、けしからんぞ」
「なんだなんだ、なぜ、博士はけしからんのか」
「わしが案ずるところによると、金博士は、豪商《ごうしょう》に買収されているのにちがいない」
「買収されているって。それは、なぜそうなんだい」
「だって、そうじゃないか。第一は柱時計、第二は水甕、第三は花瓶、第四は寝台というわけで、今までのところで、この租界の中に於て、この四つの品に限り全部おしゃか[#「おしゃか」に傍点]になってしまったではないか。われわれは今夜から寝るのを見合わせるわけにも行かない。つまり寝台を新たに買い込まにゃならぬ。花瓶はちょっと縁《えん》どおいが、水甕《みずがめ》だって時計だってすぐ新しく買い込まにゃならぬ。そうなると、商人は素晴らしく儲《もう》かるではないか。なにしろべら棒に沢山売れることになっているからなあ。それに彼奴《やつ》らのことじゃから、足許《あしもと》を見て、うんと高く値上げするにきまっている。つまり、金博士は、商人に買収されて、あんな警告文を出したのにちがいないと思うが、どうだこの見解は……」
不断《ふだん》から冷静を自慢している一人の男が、咄々《とつとつ》として、こんな見解をのべたのであった。
「なるほどねえ、それは大発見だ」
と、相手の大人が手を敲《たた》いた。
「ね、分るだろう。だから、あの新聞広告を見て愕《おどろ》いて、水甕を割ったり、寝台をばらばらにしたやつは、大間抜《おおまぬ》けだということさ。だから、第五号以下、どんなことが、書き並べてあっても、気にすることなんか一向ないのさ」
「なるほど、なるほど。ええと第五号は、紫檀《したん》メイタ卓子《テーブル》か。それから第六号が、拓本《たくほん》十巻ヲ収メタル書函《しょばこ》か。それから……」
と、彼は、警告文の左記列項《さきれっこう》を順々に読んでいって、遂《つい》に最後の項に来た。
「ええと、第十二号。礎石《そせき》。『エディ・ホテル』ノ礎石ナリとあるよ。こればかりは、所在がはっきりしているではないか。礎石といえば、石造建物《せきぞうたてもの》のホテルの一等下の角《かど》にある石のことじゃないか。あれは南京路《ナンキンろ》に面した町角《まちかど》だったな。あの礎石が、二日のちの二十六日に大爆発を起すことになると、これはたいへんだ。ホテルの近所の家は、全部立ち退《の》きをしないと大危険だねえ」
彼は、驚駭《きょうがい》のあまり、歯の根もあわず、がたがたと慄《ふる》えだしたが、そのとき咄々先生はからからと笑って、
「やあ、なにを騒ぐぞ。これも商人の儲け仕事の一つさ。つまり石材《せきざい》の値が、高くはねあがる見込みだと一般に思わせて、大儲けをしようというわけだよ。なあに、爆発なんぞしやしないよ。うっかりその手に乗るやつが大莫迦《おおばか》さ」
と、一笑《いっしょう》に附《ふ》した。
「ああなるほど。これもやっぱり金儲け的|謀略《ぼうりゃく》だったか」
と、先生はうなずいて見せたが、しかし彼は、どういうわけか、完全に不安の念から放れたとまではいかなかった。
3
互《たがい》に対立した二つの見解がたしかにあったのである。
この二つの見解は、二十四日、二十五日の両日に於て、互いに追いつ抜かれつ、その勢いを競ったのであるが、いよいよ金博士警告の爆発予定日たる二十六日の朝になると、爆発論者は勿論のこと、昨日までの不発論者たちすら、一せいに荷物をまとめて、エディ・ホテル附近からどんどん避難を開始したのであった。大きな口をきいていた彼等さえ、やっぱり気持がわるくなったらしい。してみると、金博士の信用なるものは、この土地では仲々大したもので
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