ぐさりと燻製肉の一|片《きれ》を切り取り、口の中へ放り込んだ。
「いかがでございますな、お味のところは……」
秘書が心配そうに聞いた。もしこれが博士の気に入らないと、博士はまた八つ当りの体《てい》たらくとなり、大暴れに暴れまわるに相違ないからであった。
「うん、どうも脂《あぶら》がつよすぎるようじゃ」
博士は、やや物足りない顔である。
そういうときは気をつけないと、突然博士は怒って乱暴を始める虞《おそ》れがある。秘書はここで博士の機嫌を損じては大変だと思い、なんとか博士の注意力を他へ外《そ》らせたいものと考え、
「ええ博士、さっきお電話を拝聴《はいちょう》していますと、劉洋行とお話の途中に、何者かお電話を横取りにした者があったようでございますな」
「うん、あれか。あれは、後で気がついたが、シンガポール総督《そうとく》の声じゃった――ううん、もうすこし味が何とかならんものか……」
「で、その何でありますが、そうそう、あの電話中に、長期性時限爆弾の大きさについてのお話がありましたが、極く小《しょう》なるものに至ってはコンパクトぐらいだそうで……」
「そうだよ。どうもこの味がもう一歩……」
「そこで、何でございますなあ、そのコンパクト型爆弾で、純金《じゅんきん》でもってお作りになったものがありましたそうで……」
「あったよ。すばらしい出来のもので、南京路《ナンキンろ》の飾窓《ウインド》に出ているのを有名なアフリカ探検家ドルセット侯爵夫人が上海土産《シャンハイみやげ》として買って持っていったことを、わしは今でも憶えている。あっそうだそうだ、あはははは、これはおかしい」
博士はとつぜん、からからと笑い出した。秘書はびっくりした。博士が蟒などを喰べるものだから、はげしくのぼせあがって、気が変になったのかと思ったからだ。
「ど、どうなさいました」
「いや、思い出したよ。あのコンパクトに仕掛けて置いた時限爆弾は今日が十五年満期となるのじゃ。だから、それ、愉快じゃないか。あの侯爵夫人がジャングルの中かどこかであのコンパクトを出して皺《しわ》だらけの顔を何とかして綺麗にしようと、夢中になって、鼻のあたまをポンポンと叩いている。途端《とたん》にコンパクトが、どかーンと爆発してよ、侯爵夫人の顔が台なしになってしまう。ふふふ、考えてみても滑稽《こっけい》なことじゃ」
「なるほど、それは一大事でございますなあ。もう電報を出しても間に合いませんでございましょうな」
「今からでは電報はもう……」といいかけて何かを思い出したという風にしばらく口を閉じて、頭を傾《かたむ》け「ああそうだ。思い出したぞ。あのドルセット侯爵夫人は、今はこの世に居ないぞ」
「えっ、侯爵夫人は亡くなられたのでございますか。するとかの時限爆弾が早期《そうき》に爆裂《ばくれつ》いたしまして……」
「ちがうよ。爆弾の時限性については、あくまで正確なることを保証する。侯爵夫人は爆死せられたのではなく、アフリカ探検中、蟒に呑まれてしまって、悲惨《ひさん》な最期《さいご》を遂《と》げられたのじゃ」
「あれっ、蟒に呑まれて……」
秘書は、ぎょっとして、金博士の皿にのっている燻製の胴切《どうぎ》り蟒に目を走らせた。肉は、まだほんのちょっぴり博士の口に入ったばかりであったが、その切り取った腹腔《ふっこう》のところから、なにやら異様に燦然《さんぜん》たる黄金色《おうごんしょく》のものが光ってみえるではないか。それを見た瞬間、秘書は蟒が腹の中に金の入れ歯をしているのかと思ったが、次の瞬間、彼の脳髄の中に電光の如きものが一閃《いっせん》して、途端に驚天動地的真相《きょうてんどうちてきしんそう》を悟《さと》った。そこで彼は、きゃっと一声、悲鳴をそこに残すと、気が変になったように室外に飛び出し、階段を三段ずつ一ぺんに駈けあがりつつ一|米《メートル》でも遠くへ遁《の》がれようと努力した。
「なんじゃ、秘書のやつ、急に周章《あわ》てくさって……」
といいながら、博士が蟒の肉にフォークをぐさりと立てると、肉の間からにゅっと黄金のコンパクトが滑《すべ》り出した。しかもその表には、KDと、あきらかにドルセット侯爵夫人の頭文字《かしらもじ》がうってあるのさえ見えた。その刹那《せつな》、博士の顔が絶望に木枯《こがらし》の中の破れ堤灯《ちょうちん》のように歪《ゆが》んだ。……
秘書が階段の途中で大爆音《だいばくおん》を耳にしたのは、実にその次の瞬間のことであった。ああ偉大なる発明王金博士も、因果《いんが》はめぐる小車《おぐるま》のそれで、自ら仕掛けた長期性時限爆弾の炸裂のために、ついに一命を喪《うしな》ったのではないかと思うのであるが、果してそうであろうか、どうじゃろうか。
底本:「海野十三全集 第10巻 宇宙
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