幸運の黒子
海野十三

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)怺《こら》え

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   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#感嘆符疑問符、1−8−78]
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「どうして、おれはこう不運なんだろう」
 病院の門を出ると、怺《こら》えこらえた鬱憤《うっぷん》をアスファルトの路面に叩《たた》きつけた月田半平《つきだはんぺい》だった。
 院長は、なーに大丈夫ですよ、こんな病気なら注射の五十本もやれば造作なく治りますよ。ただし五十本が一本欠けても駄目ですよ、それをお忘れのないように――と言った。一回三円として、百五十円の金がいるわけだ。ああ、これがたった一度の代償なんだ。
 たった一度――というのは、すこし説明を要するが、この半平は元来、貞操堅固の男だったのを友人達が引っ張り出して、東都名物の私娼窟《ししょうくつ》玉《たま》の井《い》へ連れていったのだった。これは友人にも多少の悪巧みはあったにしても、主たる動機は半平という男が細君に死別してからまる二年この方、空閨《くうけい》を貞淑に守りつづけているのを見ちゃいられなかったせいだった。そして半平は、あくまでも亡妻への貞操を死守するつもりだったのである。彼のエネルギッシュな敵娼《あいかた》の理解を得ることができず、ついに暴力をもって征服されちまったのである。
 そして、数日後に半平は身体《からだ》の一部に異常を発見したのだった。彼にとって、それは踏んだり蹴《け》ったりの不運だった。
 いや、それよりも差し当たり大問題なのは、あと四十九回の治療代をどうして捻出《ねんしゅつ》すべきかということだった。
 これが五年前なら五千円の貯金があった。その年の暮れ、三千円というものを費《つか》って新妻を持った。その細君はさらに次の年に慢性病になり、転地療養をすることになって残額の二千円はばたばたとなくなってしまった。そして貯金通帳から、最後の五十銭までが奇麗に払い出されると、間もなく細君の寿命も、天国に回収されてしまった。彼はまったく無一文になったのだった。
(四十九回の注射をやらなければ、この身がだんだん腐っていく!)
 こうなると、半平は泣いてばかりもいられなかった。
 三日三晩考え抜いた揚句、やっとの思いで彼は案
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