ックの中で、目ざましが午後十二時をうった。


     8


 それから十年のち、すなわち七十×年八月八日、私は日記を書く代《かわ》りに、金博士に対して次のような手紙を書いたのだった。
 炯眼《けいがん》なる金先生|足下《そっか》。まず何よりも、先生の御予言《ごよげん》が遂に適中《てきちゅう》したことを御報告し、且《か》つ驚嘆するものです。
 金先生足下。ピポスコラ族には、遂に昨日面接しました。それは全く唐突《だしぬけ》のことでありました。
 私は洪《こう》青年と、長距離|鑿岩車《さくがんしゃ》にのって、十年ほど前から、地中放浪《ちちゅうほうろう》の旅にのぼりましたが、昨日の昼頃、車を停めてしばし休憩をしていますと、ふしぎにも、地中のどこかで、どすんどすんと地響がするではありませんか。私たちはおどろいて、顔の色をかえました。
 私は、遂に敵の地底戦車にとり囲《かこ》まれたのだと悲観しましたのに対し、洪青年は、こんなところに地底戦車隊がいるとは思えないと主張してゆずらず、その揚句《あげく》、遂に洪青年の意に従って、われわれは敢然《かんぜん》、鑿岩車を駆って、怪音《かいおん》のする地点
前へ 次へ
全26ページ中24ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
海野 十三 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング