明るいスタンドの下とは云え、この深夜に唯一人起きていて、自分の顔を凹面鏡に写してみて、それで間違いはないであろうか。もしその鏡の底に、彼のテラテラした赭《あか》ら顔が写り出せばいいが、万一まかり違って、その鏡の底に顔一面毛むくじゃらの大きな鼠の顔がうつっていたとしたら、これは一体どうなるのだろうか。
 そう思うと、急に彼の手はブルブルと慄《ふる》えはじめた。手文庫の蓋がカタカタと鳴りだした。彼の背筋を、氷の刃《やいば》のように冷いものがスーッと通りすぎた。彼は開けようと思った手文庫の蓋を、今度は開けまいとして一生懸命に抑えつけた。それでもジリジリと恐怖は、彼の両腕を匍いあがってくるのであった。彼はもうすっかり怯《おび》えてしまって、とうとう横手の窓をポーンと明けると、鏡を手文庫ごと窓外に放りだした。闇の中に冷雨《ひさめ》にそぼぬれていた熊笹がガサッと、人間を袈裟《けさ》がけに切ったような無気味な音を立てた。彼は慌てて窓を締めてカーテンを素早く引いた。
 机の前の時計は午前三時を大分廻っていた。彼はまた煙草を口に咥え、今度は原稿用紙の上に頬杖をついて考えこんだ。
 さっきの妖婆アダムウイ
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