らかかってレッドの鼠を検べるために拵え上げたものだった。彼はその皮袋の口を開いて、金網の籠の入口にしっかりと被せた。そして入口を開けると、籠の中の鼠をシッシッと追った。籠の中の鼠は愕《おどろ》いて開かれた入口から、ワイトマンの註文どおり皮袋のなかへと飛びこんでいった。
「うむ、これで二十匹、あとは……待て待て」
 ワイトマンは腰をかがめて机の大きな引出をあけた。その中から一匹の美しいペルシャ猫ミミーが現れた。ミミーの首っ玉には翠《みどり》色のリボンが結びつけてあった。そして小さな鈴がリンリンと鳴った。この可愛いい小猫は、ワイトマンの隠し女アンナから胡魔化して借りてきたものであった。悪人相手の税関吏は、かくのごとく実に骨の折れる商売だった。隠し女の一人や二人は許してもらわないと、大事な命が続かない。
 ワイトマンは小猫のミミーを大きな手で掴んだまま、空になった籠のまわり――特に部厚い木を貼った籠の下半分に近づけた。小猫は苦しがって身もだえした。そのたびに鈴がリンリンといい音をたてて鳴った。
 すると愕くべし、俄然鼠の立ち騒ぐ音がしはじめた。どうやら籠底を蔽《おお》っている部厚い木のなからしい。間もなく籠底から丸い栓が籠のなかへポンと飛びだした。オヤと思う間もなく、栓穴から鼠の顔が見えた。ミミーがニャーオと鳴いた。
 それを合図のように、栓穴から鼠が籠の中にとびだしてきた。一匹、二匹、……八匹。みんなで八匹、いずれも小さい仔鼠だった。その仔鼠は大慌てに慌てて、ワイトマンの仕掛けた皮袋のなかに飛びこんでしまった。
 これでレッドの仕掛けは分ったものだとワイトマンは得意だった。網の外に貼った木は中空であって網目より小さい孔があり、それに木の栓をかってあったのだった。八匹の仔鼠は、ミミーの匂いにたまらずなって、その栓を内側から押しあげて飛びだしてきたものに相違なかった。
 税関吏ワイトマンはレッドに八ルーブリの鼠税《そぜい》を申し渡した。レッドはしぶしぶそれを支払いながら、
「旦那、あんな仔鼠が八匹も籠の外に入っているなんて、手前は知らなかったんですよ、本当に……。あの仔鼠はきっと税関まで来る途中に生れたものに違いありませんぜ」
「莫迦を云え、親鼠が、わざわざ栓のかってある木箱の中に仔を生むものかい」
 とワイトマンは相手にしなかった。

 梅野十伍はこう書き終って大長息《だいちょうそく》した。これで一と通りのフェアさをもって前篇の謎を解いた。しかし読者は、これだけの解決では、きっと満足しないだろうと思った。
 実はまだ彼はこの作の本当のヤマ[#「ヤマ」に傍点]というべきところを一筆も書いていないのであった。読者が怒らないうちに、すぐ後を続けなければならぬと思い、蒼惶《そうこう》としてまたペンを取上げた。
 税関吏ワイトマンが、本部からの通牒《つうちょう》を短波受信機で受取って、顔色蒼白となったのは、次の日の早朝のことだった。
「国境ヨリ 真珠ノ頸飾ノ密輸甚ダ盛ンナリ。此処数日間ニ密輸サレタル数量ハ時価ニシテ五十万るーぶりニ達ス。而《シカ》シテ之レ皆貴関ヨリ密輸セラレタルコト判明セリ。急遽《キュウキョ》手配アレ」
 なお三十分ばかりして、第二報の無線電信通牒が入った。
「密輸真珠ヲ検査ノ結果、げるとねる氏菌ヲ発見セリ。仍リテ鼠ノ所在スル附近ヲ厳重監視シ、可及《カキュウ》的速カニ密輸方法ヲ取調ベ、本部宛報告スベシ」
 ゲルトネル氏菌の登場、そして数十万ルーブリの真珠の頸飾の密輸。――犯人はレッド老人の外に心当りはない。
 ワイトマンは肝臓が破裂するほどの激憤を感じた。あの図太い老耄《おいぼれ》奴《め》、鼠の輸入なんてどうも可笑しいと思っていたがなんのこと真珠の密輸をカムフラージュするためだったのか、よし今日こそ、のっぴきならぬ証拠を抑えて、監視失敗を取りかえさなければならない。彼はレッド老人が峠の向うから鼠の籠をぶら下げて姿を現わすのを、今か今かと窓の傍に待ちうけた。
 その日の暮れ方、税関の門がもう閉まろうという前、待ちに待ったレッド老人の声がやっと門の方から聞えた。
「旦那、すみません。きょうはどうも遅くなりましたが、一つ鼠をお調べねがいますぜ」
 ワイトマンは肩で大きな呼吸《いき》を一つして、机の上を食用蛙のような拳でドンと一つ叩くと、表の方に駈けだした。
 レッド老人は、昨日と寸分変らぬ鼠の籠を持って立っていた。
 ワイトマンは無言で老人を部屋のなかに入れた。そして入口の錠をガチャリとかけ、その鍵を暗号金庫のなかに収《しま》った彼は自分の手がブルブル武者慄いをしているのに気がついた。
 それから執拗な検査が始まった。消毒衣にゴムの手袋、防毒マスクという物々しい扮装でもって、ワイトマンは立ち向った。まず例の皮袋のなかに鼠を追いこんだ
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