センスである。
 ただ、税関吏ワイトマンが愛用する丸卓子の上を汚したことは、なんだか重要な探偵材料を提供したようでありながらその実わずかにワイトマンが員数外の鼠を思い出す虞《おそれ》あるのに対し、彼の精神を錯乱させる材料に使われたに過ぎない。事実ワイトマンは憤怒し、員数外の鼠がレッドのポケットのなかに入ったまま密輸入されるのに気を使う余裕がなかったのである。でも「愛用の卓子《テーブル》を汚す」ということは、なかなかハデな伏線材料であるから、そういうハデな材料はもっとハデに生かさなければ面白くない。況《いわ》んや、この全篇を通じて探偵小説らしい伏線は、この卓子を汚すということだけなのであるから、それが生きんようでは探偵小説にならない。
 作家梅野十伍は、拳固をふりあげて、自分の頭をゴツーンとぶん擲《なぐ》った。彼は沈痛な表情をして、またペンを取り上げた。

「旦那ァ。昨日は朝っぱらから来たと叱られたので、きょうはこうして午後になってやってきましたぜ」
「うむ、レッドだな。貴様は怪しからぬ奴だ。昨日儂を胡魔化して、鼠を一匹、密輸入したな。儂は今朝になって、それに気がついた」
「エヘヘ、手前はそんな悪いことをするものですか。旦那がいけないと仰有《おっしゃ》ったので、鼠を一匹籠から出してポケットに入れました。それはちゃんと自分の家まで持ってかえって放してやりましたよ。嘘はいいませんや」
「そんな口には乗らんぞ。員数外の鼠を自分の家に放したなんて怪しいものだ」
「いえ、本当ですとも、だから今日はちゃんとこの籠の中に入れて来ました。ごらんなせえ、アレアレ、あの腹が減ったような顔つきをしているやつがそうです」
「もういい。鼠が腹が減ったらどんな顔をするか、儂にゃ見分けがつかん。――で、籠は改造して来たろうな」
「へえ、チャンと改造して来ました。籠を置いても、その下が汚れないように、これこのとおり籠の下半分を外から厚い板でもって囲んであります。これなら籠の中で鼠が腸|加答児《カタル》をやっても大丈夫です」
「うむ、なるほど。これなら卓子の上も汚れずに済むというものじゃ。しかし随分部の厚い板を使ったものじゃ。勿体《もったい》ないじゃないか。――ところできょうの員数は?――」
「員数はやはり二十匹です。きょうは員数外なしで、正確に籠の中には二十匹居ます。どうかお検《しら》べなすって」
「うむ二十匹か。――一イ二ウ三イ……。なるほど二十匹だよし、無税だ」
 レッド老人は、恭々しく礼をいって、税関の小門から出ていった。そしてラチェットのところへ行って、鼠を二十八匹売った。籠の中にいたのは、確かに二十匹だったのに……。

 これだけでは、謎を提供しただけである。謎を解いてないこの小説をここで切って出すなら、これは謎の解答を「懸賞」として、一等当選者に金一千円也、以下五等まで賞品多数、応募用紙は必ず本誌挿込みのハガキ使用のことということにすれば「新探偵」の購読者は急に二、三倍がたの増加を示すことになろう。しかし「新探偵」の編集者|大空昇《おおぞらのぼる》氏は編集上手ではあるが、商売上手ではないから、とてもそれほどの賞金を出さないであろう。
「懸賞」にすることを已むを得ず撤回して、右の小説の回答篇を後に接いで置こう――と作者梅野十伍は再びペンを取上げた。

 その翌日の昼さがりのことだった。
 レッド老人は、また昨日と同じような鼠の籠を持って税関に現れた。
「旦那、すみません。また鼠が二十匹です。どうか勘定して下さい」
「こら、レッド、貴様は怪しからん奴だ。昨夜《ゆうべ》酒場でラチェットさんに会ったら、丁度《ちょうど》いい機会だと思って、貴様が鼠を幾匹売りつけていったかと訊ねたんだ。すると今日は二十八匹だけ買いましたといっていたぞ。すると貴様は昨日どこかに鼠を八匹隠していたということになる。本官を愚弄するにも程がある。きょうは断乎として何処《どこ》から何処までも検べ上げたうえでないと通さんぞ」
 ワイトマンは満面朱盆のように赭くなってレッド老人を睨みつけた。
 レッド老人のポケットが怪しいというのでそこから調べ始めた。それから老人の衣服が一枚一枚脱がされた。とうとう老人は、寒い風のなかに素裸に剥がれてしまった。しかし鼠は只の一匹も出て来なかった。
「身体の方はいいとして。こんどは籠の方を調べる」
「もし旦那。もう服を着てもいいでしょうネ」
「いや、服を着ることはならん。どんなことをするか分ったものじゃないから、籠の方を調べ上げるまで、そのまま待って居れ。コラコラ、服のところからもっと離れて居れッ」
 老人は陽にやけた幅の広い背中をブルブル慄わせながら、故郷の方を向いて立っていた。
 税関吏ワイトマンは、椅子のうしろから、大きな皮袋をとり出した。それは今朝か
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