序になる。そこに逆ハ必ズシモ真ナラズが侵入する余地があるのである。
――と、かれ梅野十伍は二、三枚の原稿用紙を右のように汚したが、これは探偵小説じゃないようだ。けっきょく探偵小説論の小乗的解析でしかないから、こんなものを編集局へさし出すわけには行かない。
彼は折角書いた原稿用紙を鷲づかみにすると、べりべりと破いて、机の下の屑籠のなかにポイと捨てた。始めからまた出直しの已《や》むなき仕儀とはなった。しかし彼は、さっきまでのように、時計の指針をあまり気にしなくなった。ソロソロ小説書きの度胸が据わってきたのであろう。
――女流探偵作家|梅ヶ枝十四子《うめがえとしこ》は、先日女学校の同窓会に招ばれていって、一本の福引を引かされた。それを開いてみると、沂水流《ぎすいりゅう》の達筆で「鼠の顔」と認めてあった。
「十四子さん、貴女《あなた》の福引はどんなの、ね、内緒で見せてごらんなさいよ」
「――エエわたくしのはホラ『鼠の顔』てえのよ」
「アラ『鼠の顔』ですって、アラ本当ね。まあ面白い題だわ、なにが当るんでしょうネ」
「さあ、わたくしは皆さんと違ってまだチョンガーなんだから、天帝もわたくしの日頃の罪汚れなき生活を嘉《よみ》したまい、きっと素晴らしい景品を恵みたまうから、今に見ててごらんなさい」
「まあ、図々《ずうずう》しいのネ、近頃の処女は――」
(探偵作家梅野十伍は罪汚れ多き某夫人に代ってニヤリと笑い、ここでまたペンを置いた。そして紙巻煙草《あかつき》に手を出した)
幹事森博士夫人と谷少佐夫人とによって福引が読みあげられ、それぞれ奇抜な景品が授与されていった。そのたびに、花のような夫人たち――たち[#「たち」に傍点]と書いたのはなかに『処女』も一人加わっていることを示す(探偵作家は万事この調子で、些細なることもおろそかにせず、チャンと数学的正確さをもって記述してゆくよう、習慣づけられているものである)――そこで夫人たちが女生徒時代の昔に帰ってゲラゲラとワンタンのように笑うのだった。(ワンタンのように――は誰かの名文句を失敬したものである。作家というものは、それくらいの気転が利《き》かなきゃ駄目だと、梅野十伍は思っている。しかし一々こう註釈が多くては物語が進行しない。今後は黙ってズンズン進行することに方針変更)
いよいよ「鼠の顔」が高らかに読みあげられた。
「あたくしよ。――」
と、梅ヶ枝女史が叫ぶよりも一歩お先へ、女史の隣りの夫人(名前をつけて置くのを忘れた)が、
「それは十四子さんのよ」
と叫んだ。女史はジロリと横目で睨んだ。
「ああ十四子さんなの。アラとてもいい景品ですわよ。今日の景品のなかで、一番素敵な貴重なものだわよ」
と、幹事の谷夫人が、話の割合には薄っぺらな白い西洋封筒に入ったものを持って梅ヶ枝女史の前に飛んできた。女史は少し面映《おもは》ゆげに、プラチナの腕輪の嵌《はま》った手を伸ばしてその白い西洋封筒を受けとりながら――これは十円紙幣かな――とドキッとした。
森幹事が向うの方から大きな声で披露をした。
「鼠の顔、鼠の顔。当った方は、目下読書界に白熱的人気の焦点にある新進女流探偵小説家(新進だなんて失礼ナ、既成の第一線作家だわよ――と、これは、梅ヶ枝女史の憤懣《ふんまん》である)の梅ヶ枝十四子さん。景品はァ――どうか封筒からお出しになって下さい――ターキーのプロマイド! そのわけは、娘々《ニャンニャン》が大騒ぎ。――」
というのであるが、この福引の方が「鼠の顔とかけてなんと解く。臥竜梅と解く。その心は幹《ミッキー》よりも花《鼻》が低い」の場合より出来がよろしい。
その理由は、この福引の「鼠の顔(景品はターキーのプロマイド)娘々が大騒ぎ」の方が前者に比較して、ずっと卑近にして、而《しか》も相当今日の話題的材料を持ってきたところが勝《すぐ》れているのである。しかも娘々は、やや高級ではあるけれど日満両帝国一体となっている今日、日本人にとっては盟邦に於ける最も明朗なる行事として娘々廟の娘々まつりを知っているものが少くないのであって、それ位の高級さは却《かえ》ってこの福引を更に高雅なものに引き上げる。
これがそのまま、探偵小説作法にも引きうつして、云えるのであって、探偵小説の謎も能《あた》うかぎり卑近な常識的な材料を使い、その推理の難易程度もこの辺の中庸に停《とど》め、且《か》つその謎の答が相当センセイショナルなものを……。
「これはいかんうっかりしていて、また探偵小説論を書いていた。森幹事が福引を披露して、『――そのわけは、娘々が大騒ぎ』のところで原稿の文章を切ることにして、そのあとの『というのであるが』以下『センセイショナルなものを……』までを削除しなければいかん」
と、梅野十伍は苦笑しながら、十行ばか
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