ひっかかろうと、あるいは全然なにも釣れなくとも、どっちでもよいのであった。釣を好むは糸を垂れて弦振動の発生をたのしむなり。いや弦振動の発生をたのしむに非《あら》ず、文王の声の波動を期待するのにあったろう。
 楊《ヤン》博士は、近代の文王とは、誰のことであろうかなどと、つれづれのあまり考えてみることもあった。チャンカイシャという青年将校が文王になりたがっていたが、あれは今どうしているだろうかなどと、博士は若い頃の追憶にふけっていた。
「ああ楊《ヤン》博士、ここにおいででしたか」
 と、突然博士は自分の名をよばれてびっくりした。
 顔をあげてみると、そこには立派なる風采のトマトのように太った大人が、女の子のような従者を一人つれて立っていた。博士はその方をジロリと見ただけで、またすぐ沖合の灰色のジャンク船の片帆に視線はかえった。
「ああ楊《ヤン》博士、あなたをどんなにお探ししていたか分りません。周子の易に(北緯百十三度、東経二十三度附近にあり、水にちなみ、魚に縁あり、而して登るや屏風岩、いでては軍船を爆沈す)と出ましたが、ああなんたる神易でありましょうか」
「……」
 博士は闃《げき》として
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