とを教えられきた旨を告げたのだった。そして、
「……どうか、この暴逆なる[#「暴逆なる」はママ]手より、しばらくお匿《かく》まい下さいまし」
と、両手をついて頭を下げた。
「それはまことにお気の毒なお身の上」と尼僧は水のように静かに云った。「おもとめによりお匿まい申しましょうから、お気強く遊ばせ。しかしながら、わたくしにも迷惑のかかることゆえ、いかなることがありましょうとも、わが許しなくてはこの庵室より外に出ることは愚《おろ》か、お顔を出すことも罷《まか》りなりませぬぞ」
「ああ、忝《かたじ》けのうございます。匿まって下さるのだったら、なんで庵主さまのおいいつけに背きましょうか、どうも有難うございます」
僕は感激のあまり、畳の上へほろほろ泪《なみだ》を落した。
尼僧は僕に一杯の白湯をふるまったあとで、
「ではもうお疲れでしょうから、お睡りなさいませ。但し他所から衾をとってくることもなりませぬからわたくしと一つ寝となりますが、よろしゅうございますか」
「一つ寝?」僕は愕《おどろ》いて聞きかえした。「いえ、僕は寝なくてもいいのです」
尼僧はそれには返事もせず、しとやかに立ちあがると、戸棚の中をあけて、次の部屋に床をのべると枕を一つ、左によせて置いた。それからなおも戸棚の中を探していたが、一つの風呂敷を取出し、それに何物かを包んで、枕の形に作りあげた。そして寝床の右に、急造の枕を置いた。一つ臥床に並んだ二つの枕をみると、僕はなんだか顔が火のように熱くなった。
「あなたはこの仮り枕をお使いなされませ。では一刻も早く横になって、お疲れを直されるがよいでしょう。わたくしは暫く看経《かんきん》をいたして、あとで床に入りますから、どうぞお先へ……」
僕は逡《ためら》った。尼僧にもせよ、相手は若い女であった。それが一つ床に臥すのはどんなものだろうか。
「お先へお臥しなされませ。――」
尼僧はくりかえし、それを云った。――僕はさきほど匿まって下さるなら庵主のいいつけを必ず守るといった。この上、庵主の言葉に背いて、ここを出されるようになっては大変だと思った。それで遂に意を決して、先へ寝床に入った。看経が終るまで一時であろうが、その間だけでも睡り、尼僧が入って来たら起きようと心に決めた。
僕は衣服を軽くして、寝床に入った。尼僧は弥陀如来の前に、明りをかきあげて、静かに経を読みだした。
仮りの枕は、何が入っているのか、たいへんいい香がした。それはこの尼僧院には、およそ似つかしからぬ艶めいた香を漾《ただよ》わせるのだった。それとも若い女というものは、作らずしてこんな体臭をもっているのだろうか。そんなことを考えているとなかなか睡れなかった。睡るかわりに、変な夢をそれからそれへと見つづけていた。街の傍で始めてあった島田髷の女が出て来てニッコリ笑う。するとそれがいつの間にか尼僧のとりすました顔になる。すると横合いから森虎の憎々しい面がとびだす、母親が泣きながら森虎のあとを追う。すると病院の監守が、機関銃をもって追ってくる。三人の青年がそれに噛みつく。……そんな妖夢を追っているうちに、僕は疲労に負けて、いつの間にかグッスリ熟睡に落ちた。……
鍵にまつわる秘密
気がついてみると、お経の声がしている。ハッと思って、目をあけてみると、いつの間にか、障子に明るく陽がさしていた。
「しまった――」
僕はこわごわ薄目を動かして、隣の枕を見た。それはズッシリと重い頭が永く載っていたらしく真中が抉《えぐ》ったように引込んでいた。僕は蒲団の中で、ソッと手を伸ばしてみた。
「あッ、いけない――」
僕の身体の隣りには、たしかに人が寝たらしく生温かさが感じられた。――あの年若い尼僧は、たしかに僕の隣りに寝たに相違ない!
僕が起きあがると、秀蓮尼は経をやめた。朝の挨拶をすると、尼僧は、
「昨夜はよくお寝みになられたようでしたナ」
といって微かに笑った。
作ってくれた朝飯の膳に向いあったとき、僕は庵主が、昨夜陰影の強い灯影でみたよりも、更に年若いのに愕《おどろ》いた。よくは分らないけれど、ひょっとすると僕より一つ二つ年齢が下なのかもしれない。そしてまた昨夜見たよりも、遥かに目鼻立ちも整い美しい尼僧だった。
「どこかで見たような人だが……」
僕は円らな頭をもった秀蓮尼を眺めたのだったが、そこまで出かかっているくせに、どうも思い出せなかった。
朝のうちは秀蓮尼は外へ出たり、また庵へ入ったりなかなか忙しそうに見えた。僕は外を覗くことも許されなかったので、弥陀如来の前でゴロリと寝ころび、昨日に変わる吾が棲居《すまい》のことやら、これから先、母のところを訪ねたものか、それともこのまま黄風島を脱けだしたものだろうかなどと、いろいろなことを考えくらした。
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