右手をあげてうちふった。
誰だろう?
「呀《あ》ッ、――帰って来たのだッ」
僕はその学生が誰であるか、やっと分った。あまり思いがけない服装をしているから分らなかったが紛う方なき秀蓮尼だった。
僕は階下へ駆けだしてゆくと、やがて上ってくる彼女と鉢合わせをした。
「よく帰って来たね」
「ええ、……心配していた?」
僕は彼女を伴って二階へ案内した。
男装の彼女は非常に元気だった。尼僧なんかどこかへ振り落してしまったようであった。
「よくそんな格好で帰って来たねえ」
「ホホホホ、これ貴方の洋服よ。こんどはあたしが貴方のを借りちまったわ。しかし実に大変だったのよ。これが無かったら、あたしうまく脱出できたかどうか疑問だわ。つまり、こうなのよ。――あたし序《ついで》に、貴方の仇敵《かたき》もとってきたわよ」
「ええッ。――それは何のこと?」
彼女は冷い炭酸水を摂《と》りながら、意外なる出来ごとについて、僕に話して聞かせるのだった。――
それによると、あの森虎造という男は、僕の亡き父準之介を殺した悪人だということだった。僕は今まで、父が米国で脳溢血で斃《たお》れたこととばかり思っていたが、そうではなくて、森虎造、通称ハルピン虎のために殺害されたという。そのわけは、ハルピン虎がその地で或る重大な悪事を犯しているところを、領事である亡父準之介に見られたため、理不尽《りふじん》にも執務中の父を薄刃の短剣で背後から刺し殺したのだった。同時にその部屋に父が秘蔵した例の貼り交ぜ細工の小函を値打のあるものと思い、鍵もろとも奪って逃げたのだった。
あまりにも敏速な犯罪のために、亡父殺しの犯人は分らなかったばかりか、或る国際事情のため、領事が暗殺されたことを発表しかねたので、駆けつけた副領事の計《はから》いで、即時死因を脳溢血とし一般に知れわたることを防いだ。ただ証拠としては、特別の形をもった薄刃の凶器と、そのとき紛失した小函とその風変りな鍵の行方とが、後に残された。
ハルピン虎は、何喰わぬ顔をして帰朝し、今は未亡人となったお鳥を訪ねて、悔《くや》みやら向うの模様を都合よく語ったりしたが、そのうちにお鳥の容色に迷い、遂に通じてしまったばかりか、実は莫大な遺産が僕の上に落ちてくるのを見すまし、悪心を起して横領を企てるに至った。継母お鳥も、いまは情念の悪鬼となり、虎に同意をして、下心あ
前へ
次へ
全23ページ中21ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
海野 十三 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング