》りだった。須田町《すだちょう》までくると、無理やりに下ろされちまった。コンクリートの、狭い階段をトコトコ上ってゆくと、地上に出た。
「横断する方は、こっちへ来て下さい」
「自動車は、警笛を鳴らしながら走って下さい。警笛は、飛行機に聞えないから、いくら鳴らしても、いいですよ」
「懐中電灯は、そのままでは明るすぎますから、ここに赤い布《きれ》がありますから、それを附けて下さァい」
あちこちに、メガフォンの太い声が交叉《こうさ》して、布を被せた警戒灯が、ブラブラと左右に揺れていた。すべて秩序正しい警戒ぶりだった。
(それにしても、さっき見たのは、あれは夢だったかしら。悪夢《あくむ》! 悪夢!)
弦三は、雷門の地下道に蟠《わだかま》る不穏《ふおん》な群衆のことを、この須田町の秩序正しい青年団に対比して、悪夢を見たように感じたのだった。しかし、それは果して夢であったろうか。いやいや弦三は、確かに、あの呪《のろ》いにみちた悪魔の声をきいたのだった。
弦三は、一つ自動車を呼びとめて、新宿の向うまで、走らせようと考えた。弦三は、二十一になる唯今まで、誰かに自動車に乗せて貰ったことはあるが、自分ひとりで、自動車を呼び止めた経験がなかったので、ちょっとモジモジしながら、須田町の広場に、突立っていた。
「呀《あ》ッ!」
「やったぞオ!」
突然に、悲鳴に似た叫声《きょうせい》が、手近かに起った。
ハッとして、弦三は空を見上げた。
鉄が熔けるときに流れ出すあの灼《や》けきったような杏色《あんずいろ》とも白色《はくしょく》とも区別のつかない暈光《きこう》が、一尺ほどの紐状《ひもじょう》になって、急速に落下してくる。
「爆弾にちがいない」
高さのほどは、見当がつかなかった。
見る見る、火焔の紐は、大きくなる。
爆弾下の帝都市民は、その場に立竦《たちすく》んでしまった。
悲鳴とも叫喚《きょうかん》ともつかない市民の声に交《まじ》って、低い、だが押しつけるようなエネルギーのある爆音が、耳に入った。
ぱッと、空一面が明るくなった。
弦三は、胆《きも》を潰《つぶ》して、思わず、戸を閉じた商店の板戸に、うわッと、しがみついた。
敵機の投げた光弾が、頃合いの空中で、炸裂《さくれつ》したのだった。
ドーン。
やや間を置いて、大きい花火のような音響が、あたりに、響き亙《わた》った[#「亙った」は底本では「互った」]。
光弾は、須田町の、地下鉄ビルの横腹に、真黄色な光線を、べたべたになすりつけた。
弦三は、商店の軒下《のきした》から飛び出して、万世橋《まんせいばし》ガードの下を目懸けて走っていった。
ガードの上と思われるあたりで、物凄い音響がした。
「ドッ、ドッ、ドッ、グワーン」それは紛《まぎ》れもなく、高射砲隊の撃ちだした音だった。悠々と天下《あまくだ》りながら、帝都の屋根を照らしていた光弾が、一瞬間にして、粉砕されてしまった。
帝都の空は、又もや、元の暗黒に還った。
と、思ったのは、それも一瞬間のことだった。
サッと、紫電一閃《しでんいっせん》! どこから出したのか、幅の広い照空灯が、ぶっちがいに、大空の真中で、交叉《こうさ》した。
「呀ッ、敵機だッ」
真白い、蜻蛉《とんぼ》の腹のような機影が、ピカリと光った。
そこを覘《ねら》って、釣瓶撃《つるべう》ちに、高射砲の砲火が、耳を聾《ろう》するばかりの喚声《かんせい》をあげて、集中された。
照空灯は、いつの間にか、消えていた。
その次の瞬間、弦三の眼の前に、瓦斯《ガス》タンクほどもあるような太い火柱《ひばしら》が、サッと突立《つった》ち、爪先から、骨が砕けるような地響が伝《つたわ》って来た。そして人間の耳では、測量することの出来ない程大きい音響がして、真正面から、空気の波が、イヤというほど、弦三の顔を打った。
爆弾が落ちたのだ!
イヤ、敵機が、爆弾を投げつけたのだった。
バラバラッと、礫《こいし》のようなものが、身辺《しんぺん》に降って来た。
照空隊の光芒《こうぼう》は、異分子《いぶんし》の侵入した帝都の空を嘗めまわした。
その合間、合間に、高射砲の音が、猛獣のように、恐ろしい呻り声をあげた。
それは、人間の反抗感情というのでもあろうか。爆弾の音を聞かされ、照空灯のひらめきを見せられた弦三は、自分の使命のことも何処へか忘れてしまい、
「畜生! 畜生!」と独《ひと》り言《ごと》を云いだしたかと思うと、矢庭に側の太い電柱にとびつき、危険に気がつかぬものか、
「わッしょい、わッしょいッ」と、背の高い、その電柱の天頂《てっぺん》まで、人技とは思われぬ速さで、攀《よじのぼ》っていった。
そこは、帝都のあっちこっちを見下ろすに、可也《かなり》いい場所だった。眺めると、帝
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