ら》ってはプラグを圧しこみ、符号のようなわけのわからない言葉を送話器の中に投げこんでいた。
その壁体《へきたい》と丁度反対の壁には、配電盤やら監視机や、遠距離|制御器《せいぎょき》などが並んで、一番右によった一角には、真黒な紙を貼りつけた覗《のぞ》き眼鏡のような丸い窓が上下左右に、三十ほども並んで居たが、これはテレヴィジョン廻転鏡だった。
「第三師団から報告がありました」別の伝令が、司令官の前に飛んで来た。
「浜松飛行聯隊の戦闘機三十機は、隊形を整《ととの》えて、直ちに南下せり。一戦の後、太平洋上の敵機を撃滅《げきめつ》せんとす」
「よし、御苦労」
報告は俄然、輻輳《ふくそう》して来たのだった。司令官と幕僚とは、年若い参謀が指し示す刻々の敵機の位置に、視線を集中した。
海上に配列してあった防空監視哨は、手にとるように、刻々と敵国空軍の行動を報告してきた。それが紀州《きしゅう》沖から、志摩《しま》半島沖、更に東に進んで遠州灘《えんしゅうなだ》沖と、だんだん帝都に接近してきた。
それに反して、第四師団のある大阪方面では、空襲から脱れたので、解除警報を出したことなどを報告して来た。
果然《かぜん》、マニラ飛行第四聯隊の目標は、帝都の空にあったのだった。
東京警備司令部内は、眼に見えて、緊張の度を高めていった。
浜松の飛行聯隊が、折柄《おりから》のどんより曇った銀鼠色《ぎんねずみいろ》の太平洋上に飛び出していった頃から、第三師団司令部からの報告は、直接に高声器の中に入れられ、別府大将の前に据えつけられた。将軍は、胡麻塩《ごましお》の硬い髯を撫で撫で、目を瞑《と》じて、諸報告に聞き惚《ほ》れているかのようであった。
この場の将軍の様子を、遠くから窺《うかが》っていたのは、高級副官の湯河原中佐だった。彼は何事かについて、しきりに焦慮《しょうりょ》している様《よう》でもあった。だが其の様子に気付いていたものは、唯の一人も無いと云ってよい。なぜならば、中佐を除いたこの室の全員は、刻々にせまる太平洋上の空中戦の結果はどうなるか、という問題に、注意力の全体を吸収せられていたからだった。
軈《やが》て、中佐は何事かを決心したものらしく、ソッと立つと、入口の扉《ドア》を静かに押して、外に出た。
アスファルトの廊下には、人影がなかった。
中佐は、壁に背をつけた儘《まま》スルスルと、蟹《かに》の横匍《よこば》いのように壁際《かべぎわ》を滑《すべ》っていった。そして軈て中佐がピタリと止ったのは、「司令官室」と黒い札の上に白エナメルで書かれた室だった。
奇怪な湯河原中佐は、扉《ドア》の鍵穴に、なにものかを挿し入れてガチャガチャやっていたが、やっと扉が開いた。
ものの五分と時間は懸らなかった。司令官室で何をやったのであるかは判らぬけれど、再び中佐が姿をあらわしたときには、非常な決心をしているらしく、顔面神経《がんめんしんけい》がピクピク動いているのが、廊下灯《ろうかとう》によって写し出されたほどであった。このとき、中佐の両手は、ポケットのうちにあった。
彼は再び、元来た路を、とってかえすと、司令部広間の扉《ドア》の前を素早く通り、それから後はドンドン駈け出して行った。
中佐の身長が、その先の階段に跳ねあがった。十段ばかり上ると、そこに巌丈《がんじょう》な鉄扉《てっぴ》があって、その上に赤ペンキで、重大らしい符牒《ふちょう》が無雑作《むぞうさ》に書かれてあった。中佐はそれには眼も呉れず、扉のあちらこちらを、押えたり、グルグル指を廻したりしているうちに、サッとその重い鉄扉を開くと、ちょっと後を振返り、誰も見てないのを確《たしか》めた上で、ヒラリと扉《ドア》の中に姿を消してしまったのだった。
「……」
誰もいないと思った階段の下から、ヌッと坊主頭《ぼうずあたま》が出た。しばらくすると、全身を現した。襟章《えりしょう》は蝦茶《えびちゃ》の、通信員である一等兵の服装だった。彼は中佐の姿の消えた扉の前に、躍り出ると、手袋をはいたまま、力を籠めて把手《とって》をひっぱってみたが、扉はゴトリとも動かなかった。
そこで彼はニヤニヤと笑うと、扉の前を淡白《たんぱく》に離れ、廊下の上をコトコトと駈け出していった。そして何処かに、姿は見えなくなった。
丁度《ちょうど》そのころ、大東京ははしか[#「はしか」に傍点]にでも罹《かか》ったように、あちらでも、こちらでも、騒然としていた。号外の鈴は、喧《やかま》しく、街の辻々に鳴りひびいていた。夜になった許《ばか》りの帝都の路面が、莫迦《ばか》に暗いのは、警戒管制で、不用な灯火《あかり》が消され、そしてその時間が続いているせいだった。
警戒員の外には、往来を歩いている者も、無いようであった。誰もが、それぞ
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