下室だった。天井は、あまり高くないけれど、この部屋の面積は四十畳ぐらいもあった。そして、この室《しつ》を中心として、隣りから隣りへと、それよりやや小さい室が、まるで墜道《トンネル》のように拡がっているのだった。そして部屋の外には、可也《かなり》広いアスファルト路面の廊下が、どこまでも続いていて、なにが通るのか、軌道《レール》が敷いてあった。地面を支《ささ》える鉄筋コンクリートの太い柱は、ずっと遠くまで重なり合って、ところどころに昼光色《ちゅうこうしょく》の電灯が、縞目《しまめ》の影を斜に落としているのが見えた。どこからともなく、ヒューンと発電機の呻《うな》りに似た音響が聴こえているかと思うと、エーテルの様《よう》な芳香《ほうこう》が、そこら一面に漂《ただよ》っているのだった。時々、大きな岩石でも抛《ほう》り出したような物音が、地響《じひびき》とともに聞えて来、その度毎に、地下道の壁がビリビリと鳴りわたった。
このような大仕掛けの地下室というよりは、寧《むし》ろ地下街というべきところは、いつの間に造られ、一体どこをどう匍《は》いまわっているのであるか、仮りに物識《ものし》りを誇る東京市民の一人を、そこに連れこんだとしても、決して言いあてることは出来ないであろうと思われた。――この地下街こそは、東京警備司令部が、日米開戦と共に、引移った本拠だった。
この地下街については、詳しく述べることを憚《はばか》るが、大体のことを云うと、丸の内に近い某区域にあって、地下百メートルの探さにあった。この地下街に入るには、東京市内で六ヶ所の坑道入口《こうどういりぐち》が設けられてあった。いずれも、偽装《ぎそう》をこらした秘密入口であるために、入口附近に居住している連中にも、それと判らなかった。唯一つ、日本橋の某百貨店のエレベーター坑道の底部《ていぶ》に開いているものは、エレベーター故障事件に発して、炯眼《けいがん》なる私立探偵|帆村荘六《ほむらそうろく》に感付かれたが、軍部は逸早《いちはや》くそれを識《し》ると、数十万円を投じたその地下道を惜気《おしげ》もなく取壊《とりこわ》し、改めて某区の出版会社の倉庫の中に、新道を造ったほど、喧《やかま》しいものだった。
この地下室の中には、地上と連絡する電話も完成していた。食糧も弾薬も豊富だった。大きくないが精巧な機械工場も設けられてあった。地下街の空気は、絶えず送風機で清浄《せいじょう》に保たれ、地上が毒瓦斯で包まれたときには、数層の消毒扉《しょうどくひ》が自動的に閉って、地下街の人命を保護するようになっていた。
さらに驚くべきは、この地下街にいながらにして、東京附近の重要なる三十ヶ所に於ける展望が出来、その附近の音響を聞き分ける仕掛けがあった。例えば、芝浦《しばうら》の埋立地《うめたてち》に、鉄筋コンクリートで出来た背の高い煙突《えんとつ》があったが、そこからは、一度も煙が出たことがないのを、附近の人は知っていた。その煙突こそは、東京警備司令部の眼であり、耳であったのだった。すなわち、その煙突の頂上には、鉄筋コンクリートの中に隠れて、仙台放送局の円本《まるもと》博士が発明したM式マイクロフォンが麒麟《きりん》のような聴覚をもち、逓信省《ていしんしょう》の青年技師|利根川保《とねがわたもつ》君が設計したテレヴィジョン回転鏡が閻魔大王《えんまだいおう》のような視力を持っていたのだった。
この地下街には、別に、東と西とへ続く、やや狭い坑道《こうどう》があったが、その西へ続くものは、重々しい鉄扉《てっぴ》がときどき開かれたが、その東へ通ずる坑道は何故《なにゆえ》か、厳然《げんぜん》と閉鎖されたまま、その扉に近づくことは、司令部付のものと雖《いえど》も禁ぜられていた。それは一つの大きい謎であった。司令部内で知っていたのは、司令官の別府《べっぷ》大将と、その信頼すべき副官の湯河原《ゆがわら》中佐とだけであった。
この物々しい地下街の中心である警備司令室では、真中に青い羅紗《らしゃ》のかかった大きい卓子《テーブル》が置かれ、広げられた亜細亜《アジア》大地図を囲んで、司令官を始め幕僚《ばくりょう》の、緊張しきった顔が集っていた。
「すると、第一回の比律賓《フィリッピン》攻略は、結果失敗に終ったということになりますな」参謀肩章《さんぼうけんしょう》の金モール美しい将校が、声を呑んで唸った。
「うん、そうじゃ」司令官の別府大将は、頤髯《あごひげ》をキュッと扱《しご》いて、目を閉じた。「第一師団は、マニラの北方二百キロのリンガイエン湾に敵前上陸し、三日目にはマニラを去る六十キロのバコロ附近まで進出したのじゃったが、そこで勝手の悪い雨中戦《うちゅうせん》をやり、おまけに山一つ向うのオロンガボオ軍港からの四十|糎《セン
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