も、出征なすったんだってネ」
「兄さんは立川の飛行聯隊へ召集《しょうしゅう》されて行ったんだけれど、どうしているのかなア、その後なんとも云って来ないんです」
「心配しないで、観音《かんのん》さまへ、お願い申しときなさい。きっと守って下さるから……」
 お妻も、同じような思いだった。二男の清二が潜水艦に乗組んで演習に出たきり、消息の知れないこと、もう四十日に近い。彼女は、母の慈愛《じあい》をもって、幼時から信仰を捧げている浅草の観世音《かんぜおん》の前に、毎朝毎夕ひそかに額《ぬかず》き、おのれの寿命を縮めても、愛児の武運を守らせ給えと、念じているのだった。
「誰の家も、同じようなことがあるんだネ」波二少年は暗い顔を、強《し》いてふり払うように云った。「ンじゃ、僕もしっかり働きます、さようなら、おばさん」
「ああ、いってらっしゃい。波二さんも、気をつけてネ……」
 少年は、高いところに点《つ》いている電灯の電球《たま》を、ねじって消すために、長い竿竹《さおだけ》の尖端《せんたん》を、五つほどに割って、繃帯《ほうたい》で止めてある長道具《ながどうぐ》を担ぐと、急いで駈け出していった。
「あれは、何処《どこ》の子だい」長造が訊いた。
「あれは、ほら」お妻は首をふって思い出そうと努力した。「亀さんちの、区役所の用務員さんで、そうそう、浅川亀之助《あさかわかめのすけ》という名前だった、あの亀さんの末《すえ》ッ子ですよ」
「おォ、おォ、亀之助ンとこの子供かい。どうりで見覚《みおぼ》えがあると思った。暫く見ないうちに大きくなったもんだネ」
「あの惣領息子《そうりょうむすこ》が、岸一《きしいち》さんといって、社会局の事務員をしていたのが、いまの話では、立川飛行聯隊へ召集されたんですって」
「ふン、ふン、岸ちゃんてのは知っているよ。よく妹なんか連れて、うちの清二のところへ遊びに来たっけが、もうそうなるかなア」
 そこへまた、ノコノコと入って来た人影があった。それは、古くから浅草郵便局の集配人をやっている川瀬郵吉《かわせゆうきち》だった。
「下田さん、書留ですよ」
「おう、郵どん、御苦労だな」長造が、古い馴染《なじみ》の集配人を労《ねぎら》った。「判子《はんこ》を、ちょいと、出しとくれ」
「あい」お妻は、奥へ認印《みとめいん》をとりに行った。
「旦那」郵吉は、大きい鞄の中から、出しにくそうに、白い角封筒を取り出した。「海軍省からの、でございますよ」
「なに、海軍省から!」
 長造の顔は、サッと青ざめた。
「うむ」
 彼は封筒の頭を截《き》ると、一葉《いちよう》の海軍|罫紙《けいし》をひっぱり出した。長造の眼は、釘づけにでもされたように、その紙面の一点に止っていたが、軈《やが》てしずかに両眼は閉じられた。その合わせ目から、透明な水球《みずたま》がプツンと躍りだしたかと思うと、ポロリポロリと足許《あしもと》へ転落していった。
 その紙面には、次のような文句があった。

 戦死認定通知。
  潜水艦伊号一〇一|乗組《のりくみ》
       海軍一等機関兵 下田清二
[#ここから2字下げ]
右は去る五月十日午後四時頃、北米合衆国《ほくべいがっしゅうこく》メーヤアイランド軍港附近に於て、爆雷《ばくらい》を受け大破損《だいはそん》の後《のち》、行方不明となりたる乗組艦と、運命を共にしたるものと信ぜらる。よりて茲《ここ》に本官は戦死認定通知書を送付《そうふ》し、その忠烈《ちゅうれつ》に対し深厚《しんこう》なる敬意を表《ひょう》するものなり。
昭和十×年五月十三日
     聯合艦隊司令長官
[#ここで字下げ終わり]
[#地付き]海軍大将男爵 大鳴門正彦

(とうとう、清二は殺《や》られたか!)
「旦那」郵吉が、おずおずと声を出した。「もしや、悪い報《しら》せでも……」
 郵吉は、陸海軍から出した戦死通知を、何十通となく、区内に配達してあるいた経験から、充分それと承知をしているのだったが……。
「なァに――」
 長造は、何も知らぬお妻が、奥から印鑑《いんかん》をもって来るのを見ると、グッと唇を噛んで堪《こら》えた。
「大したことじゃないよ。郵どん」
「……」郵どんは、長造の胸の中を察しやって、無言で頭を下げた。そして配達証に判を貰うと逃げるように、店先を出ていった。
「あなた――」その場の様子に、早くも気付いたお内儀《かみ》は、恐ろしそうに、やっと夫の名を呼んだだけだった。
「おお、お妻、一緒に、奥へ来な」
 長造は、スタスタ奥の間へ入っていった。
 店の前の、警戒管制で暗くなった路面を、一隊の青年団員が、喇叭を吹き吹き、通りすぎた。


   空襲警報《くうしゅうけいほう》!


 時刻は、時計の外に、一向判らぬ地下室のことであった。それは相当に規模の大きい地
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