ついて逡《たじろ》いだ。
「呀《あ》ッ」
という瞬間に、宙乗りの人物は、右手《めて》を横にグッと伸ばすと、戸波博士をヤッと抱きあげた。博士の両足は、地上を離れた。
それを合図のように、飛行機は、又|漠々《ばくばく》たるプロペラの響をあげ、呆気《あっけ》にとられている「狼《ウルフ》」の一団を尻目に、悠々と空中へ舞い上っていった。
「これで、祖国は救われたッ」
草津大尉が、沈痛な声を発して、ハラハラと涙を流した。
「さア、これで安心して、やっつけてやるぞオ」山太郎が「狼《ウルフ》」の腕をねじあげた。
「大尉どの、磯崎へ急ぎましょう。どんなものを拵《こしら》えているか、心配です」そういったのは帆村探偵だった。
陸軍偵察機の縄梯子の上では、戸波博士と警備司令部の快漢塩原参謀とが、感激の色を浮べて、挨拶を交《か》わしていた。
空襲葬送曲《くうしゅうそうそうきょく》
磯崎《いそざき》神社前の海辺《うみべ》に組立てられた高さ五十尺の櫓《やぐら》の上には、薄汚れた一枚の座布団《ざぶとん》を敷いて、祖父《そふ》と孫とが、抱き合っていた。
「三ちゃんや、まだ何にも見えないかい」眼の不自由な老人が、優しく尋《たず》ねた。
「うん、まアだ、何にも見えないよ。おじいちゃんのお耳にはまだ飛行機の音は聞えないの」
三吉は大きな黒眼をグルグル動かして、下から祖父の顔を見上げた。
「飛行機の音はしないけれどネ、大砲の音はだんだん近くなって来たよ。プロペラの音は小さいから、飛んでいても中々区別がつかないのだよ。三ちゃん、見落さないように、左から右へと、ソロソロ見廻わしているのだよ」
「ああ、いいよ。僕、早く見付けて、伯父さんの拵《こさ》えたこの電話機でネ、東京に住んでいる人と話をしたいの」
「そうか、そうか」
「さっき僕と話をした東京の人は、お姉ちゃんだったよ」
「電話局の交換手さんだからネ、交換手はお姉ちゃんに極《きま》っているのだよ」
「そのお姉ちゃんに僕、訊《き》いてみたの。お姉ちゃんには、お母ちゃんと、そいからお父ちゃんもいるのッて尋《たず》ねたらネ……」
「うん」
「お父ちゃんも、お母ちゃんも居る筈なんだけれどネ、アメリカの飛行機が爆弾を落として、お家を焼いちゃったもんだからネ、どこへ行っちゃったか、判らないのッて云ってたよ。可哀想《かわいそう》だねーェ」
「――オヤ、これは……。おう、プロペラの音が聞こえる」
「ああ、見える、見える。一つ、二つ、三つ……」
「方角は、真東《まひがし》。おや、こっちの方にも聞こえる。三ちゃん。船神磯《せんじんいそ》の方には、何か見えないかい」
「船神磯の方? ああ、来たよ来たよ。飛行船が三つ――随分高く飛んでいるよ。おじいちゃん、電話を懸けていい!」
「そうじゃ、そうじゃ。間違うといけないから、落着いて掛けるのだよ」
櫓《やぐら》の上《うえ》に、リリリリンと、可愛いい呼鈴《よびりん》の音がした。盲目の老人と、幼い子供の協力によって、警報は発せられた。真東から襲いかかるは、太平洋戦|崩《くず》れの、爆撃隊であろう。北の方から、しずしずと下って来るのは、アラスカを通ってきた飛行船隊に違いない。磯崎岬《いそざきみさき》の、この可憐《かれん》なる防空監視哨は、思い懸けない大手柄を樹《た》てた。少くとも三百万の帝都人は、直ちに、避難と防毒の手配に着手することができた。所沢《ところざわ》と立川《たちかわ》との飛行聯隊、霞《かすみ》ヶ|浦《うら》と追浜《おっぱま》の海軍航空隊、それから東京愛国防空隊の二十機は、一斉に飛行場から空高く舞い上った。
白日《はくじつ》の下《もと》の大空襲!
二千機に余る精鋭なる米国空軍の襲来!
十五万|瓩《キロ》の爆弾を抱えた悪魔空中艦隊!
この大空襲の報を耳にした帝都の住民の顔色は、其の場に紙の如く青褪《あおざ》めたであろうか。
否《いな》! 否!
先の空襲で、全市に亙《わた》る爆撃をうけたときは、覚悟していた以上の惨害《さんがい》を蒙《こうむ》ったので、一時は気が変になったほどだった。しかし、自分の懐かしい家は無くなり、美しい背広《せびろ》も、丹精《たんせい》した盆栽《ぼんさい》も、振りなれたラケットもすべて赤い焼灰《やけばい》に変ってしまったことがハッキリ頭に入ると、反《かえ》って不思議にも胆力《たんりょく》が据《すわ》ってきた。
こうなったら、非戦闘員も、戦闘員もあるものか。男も女も無い。子供も老人もない。障害者も病人もない。銃の引金を引く力の残っている者は、銃をとって前線に出ろ! 防毒薬のバケツを下げる力のある者は、救護班に参加しろ!
――こうして、第一回の空襲によって大和魂《やまとだましい》を取戻した市民たちは、眼の寄るところへ玉《たま》の比喩《たと
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