拾って通報したのは女性なのかい。しっかりした女だなア」
「……」探偵は無言で微苦笑《びくしょう》をした。「僕は結局大した働きもしませんでしたよ。磯崎《いそざき》のジュラルミン工場のオヤジが、狼《ウルフ》であることを偶然発見したこと位です」
「あれは特筆すべきお手柄だったが、よく判ったものだね」
「草津大尉どの。太平洋戦争の其後の模様はどうなりました?」
「偵察機隊が火蓋を切ったそうだ。海軍の策戦《さくせん》が図に当って、敵軍は稍疲《ややつか》れが見えるそうだ。しかし勝敗はまだどこへ行くとも判っていない。だが少くとも戸波博士を、ここ一二時間の裡《うち》に奪還できない限り、帝国の勝算は覚束《おぼつか》ない」
「先生を悪人が殺すようなことは、無《ね》ぇでしょうか」
 山太郎が又心配した。
 このとき前方に注目していた帆村探偵が、突然叫んだ。
「草津さん、妙なものが、向うからやって来ますぞッ」
「ほほう、ありゃ牛乳運搬自動車らしいな」
「ところが大尉どの、御覧なさい、牛乳車の癖に莫迦《ばか》にスピードを出していますよ」
「五十|哩《マイル》は出していますよ」運転手が云った。「すこし危いですが、この調子でつっぱしらせてようございますか」
「構わん、やれッ」
「承知しましたッ」運転手は巧みに把手《ハンドル》を操《あやつ》った。彼の頸筋《くびすじ》には、脂汗《あぶらあせ》が浮んで軈《やが》てタラタラ流れ出した。
 距離はだんだん迫って来た。
 二千メートル、千メートル、五百メートル……。
「呀ッ、『狼《ウルフ》』の奴だ!」帆村が躍りあがって叫んだ。
「なに、ウルフかッ」大尉は叫んだ。「後藤、力一杯ブレーキをかけて左側の水田《すいでん》の中へ自動車を入れろッ」
 そう命令すると、大尉は座席の横から一|抱《かか》えもある鎖《くさり》を、車外《しゃがい》に抛《ほう》り出《だ》した。途端に、車体はぐぐッと曲った。そして、大きな水煙りをあげると、どすンと水田の中に、急停車した。
「それッ、皆、飛び出せッ」
 出てみると、そこから三百メートルと距《へだ》っていないところに「狼《ウルフ》」の乗っていた牛乳自動車が車輪に釘《くぎ》の出ている鎖《くさり》を搦《からま》せ水田の中に頭部を突入して動かなくなっていた。
 駈けつけてゆく裡《うち》に、牛乳車の函車《はこぐるま》が内からパクリと開いて牛乳缶の代りに、四五人の怪漢が、ドッと飛び出して来た。言わずと知れた「狼《ウルフ》」の配下の者だった。
「狼《ウルフ》」も運転台から、泥まみれになって降りて来た。その手には、ブローニング拳銃《ピストル》を握って、こっちを睨《にら》んで立った。
 こっちには、後藤運転手の手に、軽機関銃《けいきかんじゅう》が握られていた。
「手をあげろッ」大尉は怒鳴《どな》った。
 いくら大胆不敵な者共《ものども》であっても、機関銃には叶《かな》う筈が無かった。彼等は、静かに手をあげた。
「オイ狼《ウルフ》」大尉は降服者の前に立った。「いよいよお気の毒な運命になったネ。ところで戸波博士を渡して貰いたい」
「戸波博士は亡《な》くなられた」狼《ウルフ》が沈痛な面持をして答えた。
「えッ、博士は亡くなられたというのか。帝国の運命は、遂《つい》にああ……」
「莫迦を云うなッ、卑劣漢《ひれつかん》」狼《ウルフ》のうしろから帆村が怒鳴《どな》った。
「大尉どの、博士は健在です。牛乳車の奥に、監禁されていましたぞォ」
「なに、博士が……」
 なるほど頤髯《あごひげ》に見覚《みおぼ》えのある戸波博士が、帆村の手によって牛乳車の中から助け出されていた。
「やッ」どこに隙間《すきま》を見出したのか、「狼」は大尉の脇の下をくぐって、猛然と博士の方へ飛び掛った。
「なにをッ」山太郎が横合いからムズと組付いた。
 この機会を外《はず》してはというので「狼《ウルフ》」の配下は、一度に反抗してきた。最早《もはや》機関銃もピストルも間に合わなかった。敵味方は肉体を以て相手の上に迫って行った。
 乱闘、又《また》、大乱闘。
 どこから飛んで来たのか、乱闘の現場に近く、一台の偵察機が、低く舞《ま》い下《さが》って来た。誰も気付かぬ裡《うち》に、機体からスルスルと、縄梯子《なわばしご》が下ろされ、やがて飛行服に身を固めた人が、機上から姿を現わすと、一段一段と、梯子を下りて行った。とうとう一番下の段まで来たときに、上を向いて合図をした。
 この不思議な飛行機は、宙乗りの人物を釣り下げた儘、乱闘の真唯中《まっただなか》を目懸けて、いよいよ低く舞い下ってきた。プロペラを急に停めたのは、速度を下げるためだと思われたが、何という大胆な振舞《ふるまい》であろう。一体、何をしようというのか。
 敵も味方も、突然飛びこんで来た怪物に、ソレと気が
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