が、勤務時間中でも、その辺をウロウロして、自分の顔をジロリと覗きにくることを思い出して云った。
「向うは何しろ軍需品工場ということだからこっちから無理に頼むことは出来ないのですテ」
「じゃ、あたしが、監視哨になりましょうか」
「ええッ、貴女が……」町長が驚いて云った。「貴女がなって下されば、勤《つと》まると思いますが、実は兄さんにもお願いしてあったのですが、むしろ貴女には、救護所の方でお手助けが願いたいのです。この方には、貴女のような気丈夫《きじょうぶ》な方が、是非必要です。監視哨は、高い櫓《やぐら》の上に、昼といわず夜といわず上って、眼と耳とを、十二分に働かしていなければならぬのです。誰かいい人を思付《おもいつ》かれたら、どうか教えて下さい。では、兄さんにはよろしく」
 そういって町長は、帰って行った。
(誰か、目と耳との鋭い人は居ないものかしら?)
 真弓は、そのまま奥の間にも引込まず、店先で、ぼんやり考えていた。
 すると、遠くで、自動車の警笛が聞えた。聞くともなしに聞いていると、どうやら、こっちへ近づいて来るらしい。この辺では、あまり見懸けない自動車らしい音色《ねいろ》だった。
「ほーン、ほーン」
 街道の砂煙りを、パッと一時に、濛々《もうもう》と立ち昇らせて、果せるかな、立派な幌型《ほろがた》自動車が、二台も続いて、家の前を通りすぎた。
「オヤ※[#感嘆符疑問符、1−8−78]」
 彼女は、首を振った。
「あれは、どうやら……」
 そこへ、往来《おうらい》から、七つばかりの男の子が駈けこんできた。
「お母ァちゃん。――」
「まア、三吉。お前、どこで遊んでいたの。いまみたいな自動車が通るところへ、出ちゃ駄目よ」
「ああ、僕出ないよ。――そいで、あの自動車、こんないいものを落としていったよ」
 そう云って三吉は、美しい外国製のチョコレートの函を母親の前に見せびらかした。
「あら、そんなものを拾ってきちゃ、いけませんよ」
 真弓は、チョコレートの箱を、子供の手から一旦とりあげたが、不図《ふと》気付いて、中をあけて検べた。中には、錫箔《すずはく》に包んだ丸いチョコレートが、たった一個、入っていたばかりだった。彼女は、その錫箔を剥《は》がしてみた。すると、錫箔の下に、栗色《くりいろ》のチョコレートは無くて、白い紙でもう一重《ひとえ》、包んであった。その白い紙を剥《は》がして、皺《しわ》を伸ばしてみると、果して其処《そこ》には、鉛筆の走り書がしてあった。
[#ここから2字下げ]
「東京警備司令部付、帆村荘六氏へ、次のことを、至急電報して下さい。三三二六九二七五、四三六八、四三二九、四八六九、四三二七、……紅子《べにこ》」
[#ここで字下げ終わり]
「ああ、矢張り紅子さんだったんだ!」
 真弓は頓狂《とんきょう》な叫び声をあげて、その小さい紙片を握りしめた。さっき、自動車の幌《ほろ》の裡《うち》に、チラリと見せた片面《かたおも》が、どうも紅子に似ていると思ったが、矢張《やは》りそうだったんだ。
「母アちゃん、紅子さんて、誰?」
「紅子さんて、母アちゃんのお友達なのよ」
 真弓は、紅子から帆村へ宛てた、訳のわからぬ暗号めいたものに、自分でも可笑《おか》しいほど、何だかイヤな気がしたが、次の瞬間、そんなものは何処かに吹きとばしていた。
 ひょっとすると、帆村の探しているものが紅子の手に入った報《しら》せなのかも知れないと思ったので、紅子の頼みどおり、一時も早く、東京の帆村へ知らせてやらなくてはなるまいと思った。
 そこへ兄の浩が、フウフウ云いながら、帰ってきた。真弓は手短かに、一部始終を兄に話し、紅子の手紙を東京へ電報することを相談した。
「そりゃ訳はないよ」浩は云った。
「丁度《ちょうど》いま、磯崎の防空監視哨と東京の中央電話局との直通電話を架設して来たばかりだ。あれで話せば、直ぐ東京が出る」
「じゃ、あたし直ぐに行ってみますわ」
「うん」
 真弓が外出の支度に、鳥渡《ちょっと》帯を締め直していると、奥の間から、
「鳥渡《ちょっと》、待ってくれんか」
 と声をかけたのは、浩と真弓との父親だった。やがて、建てつけの悪い障子を、ガタガタと開いて、ぎごちない恰好で現れたのは、今年五十九歳になる、両眼の不自由な老父だった。
「お父さん、危いわよ」
 真弓が立って、気の毒な父の手をとった。
「お祖父《じい》ちゃん。先刻《さっき》、大きな自動車が二つも続いて通ったよ。そいでネ、綺麗な箱を、おっことして行ったんだけど、母アちゃんがいけないって、とっちゃったよ」
「おお、そうか、そうか」盲目の祖父は、三吉の声のする方へ手を伸ばした。「三坊、お祖父さんのお膝の上へおいで」
「お父さん、どうかしましたか」浩が怪訝《けげん》な眼を見張って尋ねた。
「おお
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