せっかく》飛行命令が出たのに、求める敵機の、姿も影も見当らないのを、残念がった。
「おお、あれは何だろう!」
突然、眼のいい塩原参謀が、怒鳴《どな》った。
「なに※[#感嘆符疑問符、1−8−78]」中佐は、参謀の指す彼方《かなた》を、注視した。
「御覧なさい、中佐殿。お茶《ちゃ》の水《みず》の濠《ほり》の中から、何か、キラキラ閃《ひらめ》いているものがあります」
「なるほど、何か閃いているね。おお、君あれは、信号らしいぞ」
「信号ですか」参謀は、双眼鏡をあてて、その閃いているものを注目した。
ピカ、ピカ、ピカ、ピカーッ、ピカ。それを繰返している。それは聖橋《ひじりばし》と、お茶の水との中間にあたる絶壁《ぜっぺき》の、草叢《くさむら》の中からだった。
「応答して見ましょうか」参謀は、尋ねた。
「やって見給え」
「はッ」参謀は、浅川曹長に命令を伝えた。
司令機の尾部から、白い煙がスー、スーッと、断続して、空中を流れた。
それが、判ったものか、ピカピカ光るものは、鳥渡《ちょっと》、動かなくなったが、間もなく今度は、前よりも激しく、閃《ひらめ》きはじめた。
「確かに、こちらを呼んでいるのですね。あれは、硝子板《ガラスいた》を応用した閃光通信《せんこうつうしん》です。おい通信兵、頼むぞ」
背後の座席にいた通信兵は、このとき大きく肯《うなず》いて、先刻《さっき》から用意していた白紙に、鉛筆を走らせていた。
軈《やが》て、地上の信号を、翻訳し終ったものと見え、一枚の紙が、中佐のところへ、届けられた。さて、そこに書き綴られた文章は――
「レイノジケンニツキ、シキユウ、セキガイセンシヤシンサツエイタノム。サツエイハンイハ、ヒジリバシヨリスイドーバシニイタルソトボリエンガン一タイ。コウドウニ、チユウイアレ。エム一三」
(例の事件につき、至急、赤外線写真撮影を頼む。撮影範囲は、聖橋《ひじりばし》より水道橋《すいどうばし》に至る外濠沿岸《そとぼりえんがん》一帯。行動に注意あれ。M13[#「13」は縦中横])
「これは容易ならぬ通信ですね」参謀が、キッと口を結んで中佐の顔を見た。
「うん――」中佐は、何か考えている風だった。「M13[#「13」は縦中横]て、誰です?」
「――赤外線写真撮影用意!」湯河原中佐は、参謀の問《とい》に答えないで、通信兵に、命令を発した。「それから、浅川曹長、機首を右に曲げ、航路外に出で、二分間したら、元の場所へ帰って来るんだ。それから空中撮影を始めるから、外濠について、廻ってゆくこと。速度は五十キロまで下げるんだぞ」
「判りました」曹長は、ハッキリ答えて、急旋回の合図を、後についてくる僚機の方にした。
「塩原君」と、中佐は始めて、参謀の方を向いて、莞爾《にっこり》とした。「今夜あたり、面白い話が聞けるかも、知れないよ」
帆村探偵《ほむらたんてい》対《たい》狼《ウルフ》
神田駿河台《かんだするがだい》は、俗に、病院街《びょういんまち》といわれる。それほど、××産婦人科とか、××胃腸病院とか、××耳鼻医院とか、一々名を挙げるのに煩《わずら》わしいほど、数多《あまた》の病院が、建てこんでいた。しかし事実は、病院だけでなく、学校と研究所も少くないところであった。それ等の建物は、多くは三層又は四層の建築となっていて、病室の多い病院と間違えられるような恰好をして並んでいた。しかし数の方からは何と云っても病院の方が多く、そこから白いシーツなどがヒラヒラと乾されているのが、兎角《とかく》通行人の目につきやすく、病院街と呼ばれることになったらしい。
その駿河台の、ややお茶《ちゃ》の水《みず》寄《よ》りの一角に、「戸波《となみ》研究所」と青銅製の門標《もんひょう》のかかった大きな建物があった。今しも、そこの扉が、外に開いて、背の高い若い男が姿を現わした。
「此の辺一帯は、うまく助かって、実に幸運でしたね」そう云って、後を振りかえった。
「そうですかねえ」
とんちんかんの答をしたのは、若い男を送って来た中年の、もしゃもしゃした頤髯《あごひげ》を蓄《たくわ》えている男であった。それは、どこかで、見覚えのある顔、見覚えのある声音《こわね》だった。
「では先生、お大事に」青年は云った。
「いや、有難とう」
と頤髯先生が、頭を下げた途端《とたん》に、いきなり、先生の身体は内部へ引擦《ひきず》りこまれてしまって、代りに、がっしりした大きな面《めん》が、ニュッと出た。
「あんた、先生様を、連れだしたりして、困るじゃねえか。早く、帰って下せえ」
青年は、一向悪びれた様子もなく、階段を下って行った。
「先生様も、ちと注意して下せえよ」と背後を振りかえり、それから又往来の方を向いてそこらにブラブラしている四五人の男に向って、「お
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