《このへん》に落ちたら、どうでしょう」嫂《あによめ》の喜代子が、恐怖派に入った。
「きっと、爆弾の音を聞いただけで、気が遠くなっちまうでしょうよ。おお、そんなことのないように」みどりが、身体を震《ふる》わせて叫んだ。
「大丈夫、戦争なんて起こりゃせん」黄一郎が断乎《だんこ》として言い放った。
「ほんとかい」今まで黙っていた母親が口を出した。「あたしゃ清二《せいじ》の様子が、気になってしようがないのだよ」
「清《せい》兄さんはネ、お母さん」素六《そろく》が呼びかけた。「この前うちへ帰って来たとき、また近く戦争があるんだと云ってたよ」
「おや、清二がそう云ったかい。あの子は、演習に行くと云ってきたが、もしや……」
「お母さん、もう戦争なんて、ありませんよ。理窟《りくつ》から云ったって、日本は戦争をしない方が勝ちです。それが世界の動きなんだから」
「戦争があると、商売は、ちと、ましになるんだがなァ。このままじゃ、商人はあがったりだ」
「なんだか、折角《せっかく》のお誕生日が、戦争座談会のようになっちまったね。さア私はお酒をおつもりにして、赤い御飯をよそって下さい」
 黄一郎が、盃を伏せて、茶碗を出した。
「じゃ、お汁をあげましょう」お妻はそう云って、姉娘の方に目くばせした。「みどり、ちょっと、お勝手でお汁のお鍋を温《あたた》めといで」
「はい」
 みどりは勝手に立った。
 ミツ坊は、いつの間にか、喜代子の胸に乳房を銜《くわ》えたまま、スウスウと大きな鼾《いびき》をかいて睡っていた。
「可愛いいもんだな」長造が膳越《ぜんご》しに、お人形のような孫の寝顔を覗《のぞ》きこんだ。
「今日は、皆の引張《ひっぱ》り凧《だこ》になったから、疲れたんですよ。まあこの可愛いいアンヨは」
 お妻が、ミツ子の足首を軽く撫でながら、口の中にも入れたそうにした。
「ミツ坊が産れたんで、家の中は倍も賑《にぎや》かになったようだね」
 長造は上々の御機嫌で、また盃を口のあたりへ運ぶのだった。一家の誰の眼も、にこやかに耀《かがや》き、床の間に投げ入れた、八重桜《やえざくら》が重たげな蕾《つぼみ》を、静かに解いていた。まことに和《なご》やかな春の宵《よい》だった。
 そこへ絹ずれの音も高く、姉娘のみどりが飛びこんで来たのだった。
「大変ですよ、お父さま。ラジオが、今、臨時ニュースをやっていますって!」

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