報が出た。いよいよ恐ろしき毒瓦斯地帯へ、音もなく滑りこんだ。車室内の全員は、さすがに黙って、鼻に全神経をあつめた。
 一分、二分、三分……。今にもホスゲン瓦斯の堆肥《たいひ》に似た臭《におい》が鼻をつくかと心配されたが、四分たち、五分たっても、なんの変った臭もして来ず呼吸はふだんと変りなくたいへん楽であった。
(ああ、助かった!)
 室内の誰もが、自分の胸のうちで、同じ事を叫んだ。そうだ、助ったのである。みんなは恩人である鍛冶屋の大将の方をふりむいた。かの大将は、急造の防護壜を前に並べて、腕ぐみをし、大きな鼻を豚のようにブウブウ鳴らしていた。その時だった。後の車室の方で、にわかに、ただならぬざわめきが聞えてきた。続いて、何かドタンドタンと大きな物がぶったおれるような物音がした。ガタガタガタンと、あわてて扉を引きあける音がして、とたんにヒイヒイと獣《けもの》が泣くような気味の悪い声が近づいて来た。


   帝都は間近し


「助けて、た、たすけてえ」
 と、ひどくしゃがれた声が……。
 室内の人たちは、一《いっ》せいに入口の方に眼を注いだ。毛布の幕の聞から、ゴロリと転げこんできたのは、
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