空襲下の日本
海野十三

−−
【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)電灯を点《つ》けたり、

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)フラフラになる程|疲労《くたび》れちまったよ

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#「帝都防空配置図」(fig3517_01.png)入る]
−−

   戦慄の日は近づく


 ――昭和×年三月、帝都郊外の若きサラリーマンの家庭――

「まあ、今日はお帰りが遅かったのネ」
「うんフラフラになる程|疲労《くたび》れちまったよ」
「やはり会社の御用でしたの」
「そうなんだ。会社は東京の電灯を点《つ》けたり、電車を動かしたりしているだろう。だから若《も》し東京が空襲されたときの用心に、軍部の方々と寄り合って、いろいろと打合わせをしたんだよ」
「空襲ですって! 空襲って、敵の飛行機のやってくることですか」
「うん」
「まあ、そんなことを、今からもう考えて置くんですの。気が早いわねエ」
「気が早かないよ。すこし遅い位いなんだ。尤《もっと》も相談は前々からやってある。『東京非常変災要務規定』などいうものが、もう三年も前に、東京警備司令部、東京憲兵隊、東京市役所、東京府庁、警視庁の協議できまっているんだからね。今やっているのは、その後いろいろ変更になった事についてなんだよ」
「あら、そうだったの。それは東京だけに、空襲の相談が出来ているのですか。大阪だの九州だのはどうなんです」
「そりゃ、どこもかしこも、日本中はみな出来ているよ。防空演習なんか、むしろ地方が盛んで、東京なんか、まだ一度もやらないぐらいなんだ。どうかと思うよ」
「そんなことないわ。先達《せんだっ》て、浅草でやったじゃないの」
「大東京全部として、やったことはない。しかしいよいよ近々、やるそうだが、きわどいところで役に立つんだ」
「きわどいところでなんて、本当に東京は空襲されるの」
「そりゃ、当りまえだよ」
「嘘おっしゃい。飛行機もうんとあるし、それにこんな離れた島国へなんぞ、どうしてそう簡単に攻めて来られるものですか」
「ところが、そうじゃないんだよ。来るに決っているんだから、もう覚悟をしときなさい。第一、今日会った軍部の方がそうおっしゃるのだから、間違いはないよ。東京は必ず空襲されるに決っているトサ」
「いやーネ。それじゃ、陸海軍の航空隊も、高射砲も、なんにもならないんですの」
「なることはなるけれど、陸戦や海戦と違って、敵を一歩も入らせないなどという完全な防禦は、空中戦では出来ない相談なんだ」
「どうして?」
「それはね、世界の空中戦の歴史を調べてもわかることだし、考えて見てもサ、空中戦は大空のことだからね」
 そこで彼は飛行機の侵入論を手短かに語った。今ここに二重三重の空中防備をして置いたとしても、敵の何千、何百という飛行機が一度に攻めてくると、何しろ速度も早いし、その上敵味方が入り乱れて渡りあっているうちには、どこかに網の破れ穴のように隙が出来て、そこを突破される虞《おそ》れがある。ことに夜間の襲撃なんて到底平面的な海戦などの比でない。こっちは高度五千メートルぐらいまでを、それぞれの高さに区分して警戒していても、向うの爆撃機が八千メートルとか九千メートルとかの高度でそっと飛んでくれば、これはわからない。わかったとしてもそういう高度では、ちょっと戦闘機も昇ってゆきかねるし、下から高射砲で打とうとしても、夜間の事でうまく発見して覘《ねら》い撃つことも出来ないという訳で、どこか抜ける。そこを、たとえ爆撃機の五台でも六台でも入ってくれば、これはもう可なりの爆撃力を持っている事などを語った。
「その爆弾をおとされると、丸ビルの十や二十をぶちこわす事なんざ、何でもない。東京は見る見るうちに灰になってしまうだろうよ」
「敵の大将のような憎らしい口を利《き》くのね。その爆弾は、よほど沢山積んでくるの」
「千キロや二千キロ積んでいるのは、沢山あるよ。最も怖るべきは焼夷弾だ。爆発したら三千度の高熱を発していくら水を掛けて消そうとしても、水まで分解作用を起して燃えてしまう。頑丈な鉄骨も熔ける位だから、東京のような木造家屋の上からバラ撒かれたら大震災のように荒廃させるのは、雑作もないということだ」
 そこで彼は、知っている限りの爆弾の知識を語り出した。
 爆弾にはいろいろと種類がある。破片爆弾というのがあるが、これは重さが五十キロ以上のものと決まっているようだが、目的は人間だの馬だのを殺すのである。それから地雷弾というのがあって、これは地雷と同じような効目があるので、あまり堅固でない物を破壊するためのもの。それから破甲弾というのは、鉄橋とかコンクリートなどのように堅固な構造物を破壊するために使用する。これが普通にいう爆弾で、いろいろの大きさのものがある。
 重さが十二キロのものは、爆発すると直径が五メートルもある大孔を穿《うが》つ。そして十メートル以内の窓|硝子《がらす》を破損し、木造家屋ならば、もう使用出来ない程ひどく壊してしまう。すこし大きくて重さ二十五キロになると、孔の直径七メートル、五メートル以内にある家屋の堅固な石壁を壊す。五十キロのものでは直径九メートル、百キロの爆弾なら直径が十一メートルの孔を造る。この辺のものになると十メートル以内の堅固な石壁も破ってしまう。更に大きい爆弾で二百キロ、三百キロ、五百キロ、二千キロというようなところまである。各々《おのおの》直径十三メートル、十五メートル、十七メートル、二十メートルといった孔が出来る。
 五百キロ、一トンなどという人間の背ほどの大きさの爆弾になると附近に落ちたばかりで、爆発によって生ずる空気の圧力で大きい家屋も粉砕してしまう。命中すると、丸ビルのような大建築物も粉砕するという実に恐ろしいもの。
「まあ、私たちはどうすればいいの?」
 妻君が心配そうな顔をして叫んだ。
「そりゃもう、大変なことになる。お前と僕とはチリヂリ別れ別れさ。僕は警備員なんかに徴集され、お前のような女達は、甲州の山の中へでも避難することになるだろう。しかし逃げるのが厭なら、お前も働くのだよ。例えば避難所や消毒所で働くのだよ」
「避難所や消毒所? それ、なアに」
「避難所は毒瓦斯《どくガス》の避難所だ。大きい小学校とか、映画館とか、銀行とかいった丈夫な建物を密閉して、そこへは毒瓦斯が侵入しないように予《あらかじ》め用意をして置いて、さあ毒瓦斯が来たというときには、往来に悲鳴をあげている民衆を呼んでやるところさ。消毒所は、もう毒瓦斯が地面を匍《は》ってやって来て、そいつのために中毒して道路の上に倒れる人が一時に沢山出来るわけだが、その人達を担架《たんか》に乗せて消毒所に収容し、解毒法を加える役目なんだ」
「そんなところで働く方がいいわ。しかし一体、戦争は始まるのかしら。そして空襲されるとしたら、一番どこからされ易《やす》いの」
「それは第一が中華民国の上海《シャンハイ》とか広東《カントン》とかいった方面から。第二は露西亜《ロシア》のウラジオから。第三は太平洋方面あるいはアラスカ方面から」
「まア、どの国も、日本を狙っている国ばかりなのね。しかし本当に戦争は起って?」
 丁度そのとき、号外の鈴が、けたたましく辻の彼方からひびいてきた。
「オヤ」

[#ここから1字下げ、罫囲み]
防空隊の組織一覧表
                  ┌─防空飛行隊
             ┌直接機関┤─高射砲隊
      (軍部担当) │    │─高射機関銃隊
     ┌積極的防空機関┤    └─阻塞及び放流気球隊
     │       │    ┌─防空監視哨
     │       └補助機関┤─聴音隊
防空司令官┤            │─照空隊
     │            └─通信隊
     │
     │            ┌─消防隊
     │            │─燈火管制班
     └消極的防空機関 ────│─偽装遮蔽班
      (軍民協力または    │─避難所管理班
       民衆担当)      │─情報班
                  └─警備班
[#ここで字下げ終わり]

「号外よ。どうしたのでしょう」
 思いついて、ラジオをひねってみたところ、いつもとは違ってアナウンサーの上ずった声が、容易ならぬ臨時ニュースを放送していた。
「帝国政府は、中華民国へ向って航空兵器をこの上輸出する国あらば、これを国防の精神によって、該兵器を没収することを内外に宣言いたしました。これによって対外関係はいよいよ悪化し、帝国政府は遂に宣戦布告を決意したものと見られています。……」
 孤立の日本の上には、もう今日明日に迫って爆弾の雨が降ろうとしているのだ。
「僕は洋服に着換えていよう」
 夫は妻君の方へ、緊張しきった面を向けたのだった。


   米露中からの空襲計画


 ――昭和×年、某国某所のナイト・クラブの一室にて――

「ねえジョン。お前さん、いよいよ出掛けるのかい」
 女は男の膝の上で突然に尋ねた。
「そうさ、メアリーよ。もう命令一つで、|吾が国《ユナイテッド・ステーツ》におさらばだよ」
「大丈夫? 日本の兵士達は強いというじゃないの」
「なに心配はいらない。いくら強くても、わが国の飛行機の優秀さにはかなわないよ。ボーイング機、カーチス機、ダグラス機、こんなに優秀な飛行機は、世界中探したってどこにもない。そして乗り手は、このジョン様だもの、日本を粉砕するなんざ、わけはないさ」
「そう聞くと、たのもしい気もするけれど、あの東洋の島国を、どう攻めてゆくつもり?」
「そりゃ判っているよ」そこで男は女を側に下ろすと、ソファの上で肘を張った。「サラトガ、レキシントンなどという航空母艦四隻は勿論のこと、目下建造下のものも出来るだけ間に合わせ、太平洋を輪形陣《りんけいじん》で攻めてゆくのさ。母艦の上空には、アクロン、メーコン、ロスアンゼルス、などの大飛行船隊を飛ばしてさ、その周囲は、いつも航空母艦の上から、俺たちが交《かわ》る交る飛び出して警戒の任に当っている。これの偉力は、映画『太平洋爆撃隊』にも撮ったことがあるが、知るものぞ知るで、まず空中無敵艦隊だね」
「しかし、そう容易に太平洋が渡れるの、ジョン」
「そこはプラット提督が、永年研究しているところだよ。大西洋艦隊が太平洋に廻って、一緒に練習をやっているのは、伊達《だて》じゃない。わが国の兵器は、正確で恐ろしい偉力をもっている。演習で、その正確さについてもよく合点がいったし、われわれも訓練上の尊い経験を得た」
「ハワイまでは行けても、それから先は、日本の潜水艦が襲撃してきて、サラトガの胴中に穴があきゃしないこと」
「なアに、優秀な航空隊、それに新造の駆逐艦隊に爆雷を積んで、ドンドン海中へ抛《な》げこめばわけはないんだよ。そして現にわれわれは、ハワイの線を越えて、もっと日本の近海に接近したことがあるんだよ。自信はある。小笠原群島に、われわれの根拠地を見出すことも簡単な仕事だ。東京を海面から襲撃するのも、きっと成功するよ」
 男は得意の絶頂にのぼりつめて、この上は往来へ飛び出して演説をしたいくらいだった。
「アラスカの方からは、攻めて行かないのかしら」
 女は又訊いた。
「アラスカからも行くとも。飛行場はウンと作ってあるからね。千島群島から、北海道を経て、本州へ攻めてゆくのだが、ブロムリー中尉、ハーンドーン、バングボーン両君、わがリンドバーク大佐、などという名パイロットが日本へ行って、よく調べて来てあるんだ。今にその人達の知識が素晴らしく役に立つときが来るのだよ」
「ほう。何て勇ましい、あの人たちの働きでしょう」
「日本だけではない、中国へも行って、調べてある。ロバート・ショートは上海《シャンハイ》で死んだが、リンドバーク大佐は残念がっていられる。大佐は中国まで行って
次へ
全4ページ中1ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
海野 十三 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング