たまま、うつらうつらといねむりをしていた。
ところが、とつぜん怪しい物音がして、警官をねむりから引き起こした。
「やッ。今のは、何の音……」
と、すばやく部屋の中を見わたすと、意外な光景が目にうつった。
「あッ」
警官は、おそろしさのあまり、全身に水をあびせられたように感じた。
見よ。そこに収容《しゅうよう》されてあった二つの死体が並べてあったが、それにかぶせてあった布《ぬの》がとり去られてあった。そして警官が目をそこへやったとき、男の死体が、上半身をつつーッと起こしたかと思うと、警官の方へ顔を向け、上眼《うわめ》でぐっとにらんだのである。
「わッ」
警官はおどろきの声をたてた。そして気が遠くなりかけた。
すると、その男の死体は、よろよろと立ちあがった。そしてあやつり人形のような動きかたをして警官の方へふらふらと近づいた。
「南無阿弥陀仏《なむあみだぶつ》」
警官は、おそろしさに、たまらなくなって、合掌《がっしょう》してお念仏《ねんぶつ》をとなえ、目をとじた。
ばさり。
「うーむ」
ばさりというのは、死体が冷たい手で、警官の横面《よこつら》をなぐりつけた音であった。
「うーむ」という呻《うな》り声《ごえ》は、とうとうこらえきれなくなって、その警官が目をまわしてしまったのである。
その警官は、それから三十分ほど後、交代の同僚がやってきたときに発見され、手当《てあて》をくわえられて、われにもどった。
「おお、気がついたか。しっかりしなくちゃいかんよ。いったいぜんたいどうしたんだ」
同僚が警笛《けいてき》を吹いたので、たちまち宿直《しゅくちょく》の連中がかけつけて、人事不省《じんじふせい》の警官をとりまいて、元気をつけてやった。
「あーッ、おそろしや。死体が棺の中に起きあがって、ふらふらとこっちへやってきた。そしてわたしをにらんだ。わたしは、死体にくいつかれると思った。おそろしいと思ったら、気が遠くなって、あとのことはおぼえていない」
「なるほど、そういえば、死体が一つたりないが、どこへ行ったんだろう」
死体の行方が問題となって、警官たちはお手のものの捜査を開始した。
しばらくすると、さっき目をまわした警官は、もうすっかり元気をとりもどしたが、行方をたずねる男の死体は、どこにも見あたらなかった。
ふしぎだ。
どこへ行ったんだろう。第一、死体が歩くというのはおかしい。
だが、死体がなくなったことは、まちがいない。出口は、方々にある。そのどこかを抜けて通ったものにちがいない。
死体置場は、さらに念入りにしらべあげられた。そのけっか、二つの新しい発見があった。
その一つは、議事堂の塔から落ちた怪少年の死体――これは死体といっても、マネキン人形のからだなのであるが――その死体が、それを入れてあった箱の中にはなく、手や足や胴などがばらばらになって、箱の外にほうりだされていたことである。
そして、それを集めてみると、マネキン人形の首だけが足りなかったのである。
もう一つのこと。それは、たずねるマネキン人形の首の破片《はへん》と思われるものが、なくなった男の死体のはいっていた棺《かん》のうしろのところに、散らばって落ちていたことだ。
この二つのことが、なぜ起こったのか、すぐにはとけそうもなかった。
紛失《ふんしつ》した死体の主は、上野駅のまえで、トラックに追突《ついとつ》されてひっくりかえり、運わるく頭を石にぶつけて、脳の中に出血を起こして頓死《とんし》した四十に近い男であって、どこの何者ともわからず、ただ服の裏側に「猿田《さるた》」と刺繍《ししゅう》したネームが縫《ぬ》いつけてあるだけであった。職業もはっきりしないが、からだはがんじょうであるけれど、農業のほうではなく、手の指や頭部《とうぶ》の発達を見ても、文筆労働者《ぶんぴつろうどうしゃ》でもなく、所持品から考えても商人ではない。けっきょく、わりあい財産があって、のんきに暮らしている人ではあるまいかと察《さっ》せられた。そして東京の人ではなく、地方から上野駅でおりたばかりのところを、やられたのであろうと思われた。
そのうちに、地方から、「猿田なにがし」という人物の捜査願《そうさねがい》が出てくるであろう。そうしたらその身分もあきらかになる。それを当局は待つことにして、「猿田」の死体の方は、ひきつづきげんじゅうに捜査をすすめていたのである。
だが、死体の行方は、いつまでたっても知れなかった。
蜂矢探偵《はちやたんてい》の決心
蜂矢探偵《はちやたんてい》は、ようやくからだがあいたので、ひさしぶりに、怪金属Qの事件の方にかかれることとなった。
探偵は、カーキー色の服を着、シャベルとつるはし[#「つるはし」に傍点]とをかついで、針目博士邸《はりめはくしてい》へ行った。
博士邸は、あの爆発事件で、第二研究室が跡かたなくとんでしまって以来、住む人は留守番のほかに、検察庁から警官が詰めていたが、その人々もだんだんにへり、最後はただのひとりとなったが、今はそのひとりも常に詰めかけてはいず、三日に一度ぐらい、巡回《じゅんかい》にちょっと寄ってみるくらいだった。
警戒の方も、このくらいかんたんになっていることゆえ、世間《せけん》も、この事件をもはやわすれかけていた。
はじめ事件の捜査《そうさ》の指揮《しき》をとっていた長戸検事《ながとけんじ》は、もちろん、この事件をわすれてはいなかった。ひそかに毎日毎夜、頭をひねるのがれいになっていた。しかし表面にあらわれたところは、検事はやはりこの事件をわすれているように見えた。それは、この事件の捜査を蜂矢探偵に肩がわりをしたので、検事は任務から解放されたのだと、みんなはそう思っていた。
さて、蜂矢探偵のきょうのいでたちや、肩にかついだ道具は、なにを語るであろうか。
かれは、これまで針目博士邸につぎつぎに起こった怪事件を、くりかえし考えた。そのけっか、結論にたっすることができなかった。
(まだ方程式《ほうていしき》の数がたりないんだ)
結論をだすには、まだしらべがたりないところがあることが、はっきりわかったのだ。
そのたりない方程式の一つは、博士の第二研究室あとを掘りかえしてみることである。あの土の下から、かれは何ものかを発見したいと思っているのであった。
その爆破跡は、これまでに検察庁やその他の方面の人々の手によって、いくどとなく念入りに掘りかえされたのだ。しかし、ついに重大なる手がかりと思われるものは、発見されなかったのである。それなれば、これから遅ればせに、蜂矢が掘ってみたところが、何も出てくるはずがない。ところが蜂矢探偵は、あえてもう一度掘りかえす決心を立てたのだ。
かれは、博士邸《はくしてい》のさびついた門を押して、中へはいった。
貞造《ていぞう》じいさんに、まずことわっておく必要があると思い、かれをたずねた。
「やあ。どなたかね。わしは、このところ腰がいたくて、ずっと寝こんでいますでな。ご用があれば、こっちへずっと入ってください」
貞造は、そういって、ふとんの中から声をかけた。
そこで蜂矢は中へはいって、見舞《みまい》をのべた。それからかんたんに、その後、邸内《ていない》におけるかわったことはないかとたずねた。
「いやあ。さっぱりございませんな。どなたも、ずっと見えませんですよ。あまり静かで、墓地《ぼち》のような気がしてまいりますわい」
貞造は、そうこたえた。
蜂矢は、それからいよいよ第二研究室のあとに立った。かれは首をひねって、焼跡《やけあと》の四隅《よすみ》にあたるところをシャベルで掘った。下からは土台石《どだいいし》らしいものが出てきた。その角のところへ、かれは竹を一本たてた。それからなわをもちだして、竹と竹とを一直線にむすんだ。
するとなわばり[#「なわばり」に傍点]の中が、第二研究室の跡になるわけであった。
蜂矢は、それをしばらく見ていたが、こんどは別のなわ[#「なわ」に傍点]の切《き》れ端《はし》を手に持って、第二研究室跡のうしろへまわった。そこは、すこしばかりの土地をへだてて、石造りのがんじょうな塀《へい》が立っていた。そして塀の内側には、樹齢《じゅれい》が百年近く経ている大きなケヤキが、とびとびに生《は》えていた。
ちょうど、その研究室跡に近いところに一本のケヤキが、むざんにも枝も葉もなくなって、まる裸になって立っていた。それはもちろんあの爆発のために吹きとばされ、焼かれてしまったものであった。
蜂矢探偵は、なわの切れはしを持って、塀と枯《か》れケヤキとの間や、枯れケヤキと研究室跡の外壁《がいへき》のあったところと思われるあたりとの間をはかったり、いろいろやった。そのうちについに答えが出たものと見え、かれはつるはし[#「つるはし」に傍点]をふりかぶって、大地《だいち》へはっしとばかり打ちこんだ。
そこは、枯れケヤキの立っているところから研究室の壁へ向かって、四十五度ほどななめに線をひき、そのまん中にあたる地点であった。
かれはどんどん掘った。上衣をぬいで、シャツ一枚になって、えいやえいやと熱心に掘りつづけた。それがすむと、シャベルで土をすくって、わきの方へどかした。
自分の掘っている穴の中へ、かれの頭がだんだんかくれていった。ずいぶん深い穴を掘っている。まちがいではないのか。かれは自信を捨《す》てなかった。そして探さ四メートル近くにたっしたとき、かれは穴の中で思わず、
「しめた。とうとう見つけた」
と、思わずよろこびの声をあげた。直径《ちょっけい》七十センチばかりの、マンホールのふたのようなものが掘りあてられたのだ。
かれは、この重い鉄ぶた[#「ぶた」に傍点]をあけるために、地上においてきた道具をとるために、穴からはいあがった。ついでに汗をふいて、大きく深呼吸をし、それからポケットから紙巻《かみまき》タバコを出して火をつけた。
かれは、生まれてはじめて、すばらしい味のタバコを吸ったと思った。かれはしばらくすべてをわすれて、タバコの味に気をとられていた。
「ああ、もしもし。きみは蜂矢君でしたね」
とつぜん、蜂矢のうしろから声をかけた者があった。それは蜂矢が油断《ゆだん》をしていたときのことだったので、かれはぎくりとして、手にしていた短かいタバコをその場へとり落とし、うしろへふりかえった。
そこに立っていた人物がある。誰だったであろうか。
意外な一人物
蜂矢がふりかえって顔を見あわしたその人物は、黒い服を着、白いカラーの、しかも昔流行したことのある高いカラーで、きゅうくつそうにくび[#「くび」に傍点]をしめ、頭部には鉢巻《はちまき》のようにぐるぐる繃帯《ほうたい》を巻きつけ、その上にのせていた黒い中折帽子《なかおれぼうし》をとって、蜂矢にあいさつした。
「ほう。やっぱり蜂矢探偵でしたね。わたしをごぞんじありませんか、針目《はりめ》です」
「ああ、やっぱりそうでしたか」
蜂矢は、うれしそうに目をかがやかして、針目博士にあいさつをかえした。
「なかなかご活躍のようですね。とうとう地下室へはいる口を掘りだされたんですね。感心いたしました」
「これは、ごあいさつです」
と蜂矢はあたまをかいて、
「ご主人がいらっしゃるのを知らないままに、わたしが勝手《かって》なことをしてしまいまして申しわけありません。しかし、じつは針目博士は、あの爆破事件のとき、粉砕《ふんさい》したこの研究室と運命をともになすったように聞いていたのですから、もう博士はこの世に生きていらっしゃらないと思っていました。いや、これはとんだ失礼を申しまして、あいすみません」
「やあ、さあそれもしかたがありません。わたしはあの事件いらいきょうまで、姿をみなさんの前に見せなかったのですから、そういううわさ[#「うわさ」に傍点]の出たことはしぜんです。悪くはとりません」
博士は、冷静な顔つきで、そういった。
「どうされたんですか、博士は、つまりあの爆発の
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