古めかしい煉瓦建《れんがだて》ではあるが、ひじょうにりっぱな研究室や標本室、図書室、実験室、手術室などがひとかたまりになった別棟《べつむね》の建物があったのである。当主《とうしゅ》である彼、左馬太青年がそこを仕事場にえらんだことは、しごく自然であった。
 不幸なことに――他人が見たら――かれは、もっか身よりもなく、ただひとりであった。両親と弟妹《ていまい》の四人は、戦争中に疎開先《そかいさき》で戦災《せんさい》にあって死に、東京で大学院学生兼助手をして残っていた、かれ左馬太だけが生き残っているのである。そういう気の毒なさびしい身の上であったが、かれ自身はいっこう気にかけていないように見え、その広い邸宅に、四人の雇人《やといにん》とともに生活していた。
 博士論文が通過するまでの約一年間に、かれがまとめあげた研究論文は五つ六つあった。その中に、特にここでごひろう[#「ごひろう」に傍点]しておきたいのは「細胞内における分子配列と、生命誕生の可能性、ならびにその新確率論《しんかくりつろん》による算定《さんてい》について」というのであった。
 この論文といい、また博士論文に提出したあの論文とい
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