いなかった。
事件はいよいよ奇怪な段階に突入した。いったいこれは何者の死体なのであろう。針目博士の身辺にいよいよ疑問の影がこい。
警部じれる
「おう、ここにも死骸《しがい》がかくしてある」
警部のそばにいた若い巡査が、おどろきの声をあげた。
針目博士は、しらぬ顔をして、回転いすに腰をかけている。
警部は、その死骸いりの大きな引出をひっぱり出した。消毒薬くさいカンバスにおおわれて若い男の死体がはいっていた。しかしその男の頭蓋骨は切りとられていて、その中にあるはずの脳髄もなく、中はからっぽであった。
警部は、この死体が、学術研究の死体であることに気がついた。
ねんのために、おなじような他の引出をかたっぱしからひっぱり出してみた。するとほかに、男の死体が一つ、女の死体が二つ、はいっていることがわかった。
「この死体は、どうして手にいれましたか」
川内警部は、やっぱりそのことを針目博士にたずねた。
「研究用に買い入れたんです。証書もあるが見ますか」
「ええ、見せていただきましょう」
警部はけっきょくその死体譲渡書《したいゆずりわたししょ》が、正しい手つづきをふんであることをたしかめた。
死体がこの部屋に四つある。そのうえに、もう一つなまなましい死体を、博士はほしく思ったのであろうか。
警部は、針目博士がいよいよゆだんのならない人物に見えてきた。このうえは、こんどの事件に直接関係のある証拠をさがしだして、なにがなんでも博士を拘引《こういん》したいと思った。
「針目さん。あなたのお使いになっている部屋は、まだありますか」
長戸検事が、タバコのすいがらを指さきでもみ消して、博士にたずねた。
「あとは、第二研究室と倉庫と寝室の三つです。やっぱり見るとおっしゃるんでしょう」
「そうです、見せていただきますよ」
「どうしても見るんですか」
博士の顔がくるしそうにまがった。
「見せろというなら見せますが、あなたがたがこの室や標本室でやったように、室内の物品に無断《むだん》で手をつけるのは困るのです。じつは第二研究室では、ぼくでさえ、非常に注意して、足音をしのび、せきばらいをつつしみ、はく呼吸《いき》もこころしているのです」
「それはなぜです。なぜ、そんなことをする必要があるのですか」
長戸検事が、口をはさんだ。
すると博士は、吐息《といき》とともに、遠いところをながめるような目つきになって、
「おそらく今、世界でいちばん貴重《きちょう》な物が、そこに生まれようとしているのです。荘厳《そうごん》と神秘《しんぴ》とにつつまれたその部屋です。あなたがたは、もしその荘厳神秘の中にひたっている主《あるじ》を、すこしでも、みだすようなことがあれば、あなたがたはとりもなおさず、地球文明の破壊者《はかいしゃ》、ゆるすべからざる敵でありますぞ」
それを聞いていた川内警部は、口のあたりをあなどりの笑《え》みにゆがめて、
(ふん、邪宗教《じゃしゅうきょう》の連中が、いつも使うおどかしの一手だ、なにが神秘《しんぴ》だ。わらわせる)
と、心の中でけいべつした。
「なんです、生まれ出ようとしている荘厳神秘のあるじ[#「あるじ」に傍点]というのは……」
検事は、顔をしかめて、博士を追う。
「生命と思考力とをもった特別の細胞が、人間の手でつくられようとしているのだ。もしこれに成功すれば、人間は神の子を作ることができる」
博士は、わけのわからないことをつぶやく。
「カエルの脳髄《のうずい》を切りとって、それを他の動物にうつしうえることですか」
検事は、一世一代の生命科学の質問をこころみる。
「そんなことはいぜんから行われている。ぼくが研究していることは、すでに存在する生命を、他のものに移し植えることではない。生命を新しくこしらえることだ。生命の創造だ。細胞の分裂による生命の誕生とはちがうのだ。それは神が、神の子をつくりたもうのだ。それではない、この場合は、人間の意志のもと、人間の設計によって、新しい生命を創造するのだ。ローマの詩人科学者ルリレチウスの予言したことは、二千年を経《へ》たいま、わが手によって実現されるのだ。自然科学の革命、世界宗教の頓挫《とんざ》、人間のにぎる力のおどろくべき拡大……」
川内警部は、にがり切って長戸検事のそで[#「そで」に傍点]をひいた。
「検事さん、あれは気が変ですよ。ちんぷんかんぷんのねごと[#「ねごと」に傍点]はやめさせて、となりの部屋部屋を、どんどん洗ってみようじゃありませんか。さもないと、この事件はさっぱり片づきませんよ。迷宮入《めいきゅうい》りはもういやですからね」
そういわれて、長戸検事も警部の意見にしたがう気になった。さっぱりわけのわからない博士のうわごと[#「うわごと」に傍点]に、
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