青黒い。細く見ひらいたまぶたのうしろに、眼球《がんきゅう》がたえずぐるぐる動いている。
それはかれが気持わるく悩んでいることを意味する。
(手がかりらしいものは、なんにもない。犯行だけが、二つ、いや三つもある。こんなことではこの事件はいつとけるかわからない。ぼやぼやするなよ、長戸検事)
そんな声が、検事の頭の中でどなり散らしている。これまで彼が現場へのぞめば、事件解決のかぎとなる証拠物《しょうこぶつ》を、たちどころに二つや三つは見つけたものである。そして犯人はすぐさま図星《ずぼし》をさされるか、そうでないとしても、犯人のおおよその輪廓《りんかく》はきめられたものである。
しかるに、こんどの場合にかぎり、そうではなく、さっぱり犯人の見当がつかないのである。そればかりか、事件そのものの性質がよくのみこめないのだ。
が、そんなことで考えこんで、多くの時間をつぶすわけにはいかない。事件の性質がどうあろうと、お三根はむごたらしく斬殺《きりころ》されて冷たいむくろ[#「むくろ」に傍点]となって隣室によこたわっているんだし、部下の川内警部は足を斬られて、げんに足をひいてうしろからついてくる。田口巡査はほおを切られて、あのとおり、かっこうのわるいガーゼを顔にはりつけているのだ。検事はいよいよくさらないでいられなかった。
だから検事としては、このうえは、あやしい針目博士の研究室の中を徹底的に家探しをして、犯人としての、のっぴきならぬ証拠物件を手に入れたいものと熱望していた。
かぎをまわす音が検事の胸をえぐった。
気がつくと、針目博士が研究室のドアの錠《じょう》をはずし、そこを開いた。そして博士はゆっくりと部屋の中へすがたを消した。検事は全身がかっとあつくなるのをおぼえた。取りおさえるか逃がすか、それはこれからの室内捜査のけっかできまる。
「なぜ、すぐはいらんのだ。しりごみしていてどうする」
検事は、入口のところに足をとめてしまった田口巡査を、低い声で叱《しか》りつけた。しかし検事は冷汗《ひやあせ》をもよおした。ぐずぐずしている自分の方を、もっときびしく叱りつけたいことに気がついたからである。
田口巡査は、はっとおどろいて、ウサギのようにぴょんとひとはねすると、研究室の中へとびこんだ。とたんにかれは、
「あっ」
という叫び声を発した。
長戸検事の顔は、いっそう青ざめた。そしていそいで部下のあとを追って中へはいった。
「うむ」
検事はうなった。あやうく大きな叫び声が出そうになったのを、一生けんめいに、のどから下へおしこんだ。
かれらはいったいなにを見たのであろうか。
それはなんともいいようのない奇妙な光景であった。窓のないこの部屋の四つの壁は、隣室《りんしつ》につうずる二つのドアをのぞいたほかは、ぜんぶが横に長い棚《たな》になっていた。下は床のすこし上からはじまって、上は高い天じょうにまでとどいて、ぜんぶで十段いじょうになろう。
そしてこの棚の上に、厚いガラスでできた角型《かくがた》のガラス槽《そう》が、一定のあいだをおいてずらりとならんでいるのだったが、その数は、すくなくとも四、五百個はあり、壮観《そうかん》だった。
しかもこのガラス槽の中には、それぞれ活発に動いている生物がはいっていた。検事が最初に目をとどめたガラス槽の中には、頭のない大きなガマが、ごそごそはいまわっていた。もっともそのガマは、背中にマッチ箱ぐらいの大きさの、透明な箱を背おっていた。その箱の中には、指さきほどの灰白色のぐにゃぐにゃしたものがはいっていたが、検事はそこまで観察するよゆうがなく、ただふしぎな頭のない大きなガマがガラス槽の中で、あばれまわっているのにびっくりしたのであった。
検事は、おどろきの目を、つぎつぎのガラス槽に走らせた。その結果、かれのおどろきはますますはげしくなるばかりだった。かれはもうひとつのガラス槽の中において、たしかに木製《もくせい》おもちゃにちがいない人形が、やはり透明な小箱を背おってあるきまわっているのを見た。
それはゼンマイ仕掛けの人形とはちがい、どう見ても昆虫《こんちゅう》のような生きものに思えた。
つぎのガラス槽の中では、やはり頭のないネズミが、透明の小箱を背おって、人間のように直立し、のそりのそりと中を散歩しているのを見た。またそのお隣のガラス槽《そう》の中では、一本足のコマが、ゆるくまわりながら、トカゲのように、あっちへふらふら、こっちへちょろちょろと走りまわっているのを見た。なんという奇怪な生物の展覧会場であろう。
いや、展覧会場ではない、これは針目博士が、他人にのぞかせることをきらっている密室のひとつなのであるから、極秘《ごくひ》の生きている標本室《ひょうほんしつ》といった方がいいのだろう。
前へ
次へ
全44ページ中9ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
海野 十三 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング