んたんであり、そして明瞭《めいりょう》であった。
 それによると、博士は昨夕《さくゆう》いらい、徹夜実験をつづけていたこと。犯行の音も聞かず、犯人のすがたも見なかったこと。そして博士はその徹夜のうち、二度ばかり実験室を出てかわや[#「かわや」に傍点]へいっただけで、他は実験室ばかりにいたことを述べた。
 検事は、博士のことばについて、いろいろとものたりなさを感じた。あれだけの殺人が、十|間《けん》ほどはなれているにしても、同じ屋根の下で行なわれたのに、被害者の声も耳にしなかったというのはおかしく思われた。
「じゃあ、誰がお三根を殺したと思われますか。ご意見を参考までにお聞きしたいのですが」
「知らんです。人の私行《しこう》については興味を持っていません」
「まさかあなたがその下手人ではありますまいね」
 検事のこのことばは、はじめてこの無神経な冷血動物《れいけつどうぶつ》のような博士を、とびあがらせる力があった。
「な、何ですって。ぼくが殺したというのですか。どこにぼくがこの女を殺さねばならない必要があるのです。さあ、それをいいたまえ、早く……」
 長身の博士が、髪をふりみだして、両手をひろげて検事の方へせまったかっこうは、とてもものすごいものだった。
 長戸検事はたじたじとうしろへ二、三歩さがってから、博士をおしもどすように手をふった。
「なぜそんなに興奮なさるんですか。わたしとしては、今の質問にイエスとかノウとか、かんたんにお答えくださればそれでよかったんです」
「失敬な……」
 と博士はやせた肩を波うたせて、ふうふう息を切っていたが、
「もちろん、ぼくはこんな女を殺したおぼえはない」
「この邸にはみょうな仕掛けがあるといっている者があるんですがね、お心あたりはありませんか。たとえば、するどい刃物を矢のさきにとりつけたものを、弓につがえて飛ばせる。そして人間に斬りけるという……」
「はっはっはっ」博士は笑いだした。
「きみはずいぶんでたらめ[#「でたらめ」に傍点]なことを聞くですなあ。それはおとぎばなしにある話ですか」
「いや、大まじめで、あなたのご意見をうかがっているのです。……そしてその恐るべき兇器《きょうき》は人目にもはいらない速さで、遠くへ飛んでいってしまう……」
「おとぎばなしならもうたくさんだ。ぼくはいそがしいからだだ。もうこれぐらいにしてくれたまえ」
「お待ちなさい」
 検事は手を前に出して博士を引き止めた。
「お三根さんがそのような兇器《きょうき》で殺されたばかりでなく、きょうここへきたわれわれの仲間がふたりまで、その同じ凶器によって重傷を負《お》っているのです。これでもおとぎばなしでしょうか」
「本当ですか」
 博士は、はじめて真剣な顔つきになった。
「本当ですとも。川内警部と田口巡査のあの傷を見てやってください」
「ああなるほど。それでその矢はどこにあるんですか」
「それがあるなら、事件はかんたんになります。それがどこにも見えないから、われわれは苦労しているのです。あなたにうかがえば、その恐るべき兇器のからくり[#「からくり」に傍点]がわかるだろうと思って、おたずねしているわけです」
「そんなことをぼくに聞いてもわかる道理《どうり》がない。捜査するのはあなたたちの仕事でしょう。徹底的にさがしたらいいでしょう。かまいませんから、邸内どこでもおさがしなさい」
「そういってくださると、まことにありがたいですが、どうぞそれをお忘れなく――」
 と検事はほくそ笑《え》んで、
「では、あなたの実験室も拝見したいですし、それからこの天じょう裏をはいまわってさがさせていただきたい」
「天じょう裏はいいが、ぼくの研究室をさがすことはおことわりする」
「今のお約束のことばとちがいますね。それはこまる。そしてあなたに不利ですぞ」
「……」
「研究室をさがすために強権《きょうけん》を使うこともできますが、なるべくならば――」
「よろしい。案内しましょう。しかしはじめにことわっておくが、後できみたちが後悔したって知りませんよ」
 博士は何事かを考え、気味のわるいことばをはなった。さて博士の研究室の中に、何があるのか。


   待っていた奇々怪々《ききかいかい》


 係官の一行は、うすぐらい廊下を奥の方へと進んでいった。
 先頭には、かなりきげんのわるそうな針目博士が肩をゆすぶって歩いている。そのすぐうしろに右頬を斬られ大きなガーゼをあてて、ばんそうこうで十字にとめた田口巡査がついていく。もしも博士が逃げだすようすを見せたら、そのときはすぐうしろからとびついて、その場にねじ伏《ふ》せる覚悟をしている田口巡査だった。
 それから少し歩幅《ほはば》をおいて、長戸検事を先に、残り係官一行が五、六名つきしたがっている。
 検事の顔色は
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