のをしている。足でぽかんとけとばしているのは、丸味《まるみ》をおびた椰子の実であった。
「これならいいだろう。まだすこし青いから、最近おちたものにちがいない」
 ラツールはその実をかかえてきて、玉太郎から借りたナイフで皮をさいた。皮はそんなにかたくない。中心のところに、チョコレート色のまん丸い球がおさまっていた。彼は、そこで実をかかえて、実のへたに近い方に穴を二つあけた。そこはすぐ穴があくようになっているのである。
 それがすむと、ラツールは椰子の実をかたむけた。すると、穴からどくんどくんと光をおびたきれいな水かこぼれ落ちた。彼は、それをちょっとなめて首を前後にふった。
「これなら我慢ができるだろう。この椰子の水は、すこしくさいが、毒じゃないから、安心して腹いっぱい飲みたまえ。あまくて、とてもおいしいよ」
 そういってラツールは、椰子の実を玉太郎に手わたした。
 玉太郎はそれをうけとって、椰子の水がしとしとと流れだしてくる穴に唇をつけて、すった。
(うまい!)
 玉太郎は心の中で、せいいっぱいの声でさけんだ。ごくりごくりと、夢中ですすった。うまい、じつにうまい。あまくて、つめたくて、腸《はらわた》にしみわたる。世の中にこんなうまいものがあったことをはじめてしった喜びに、玉太郎はその場で死んでもいいと思ったほどだ。
「どうだ、いけるだろう」
 ラツールは、もう一つの椰子の実をさきながら、玉太郎にきいた。玉太郎は、かすかにうなずいただけで、椰子の実からくちびるをはなしはしなかった。
 だが、ようやくのどのかわきがとまる頃になって、玉太郎は椰子の水が特有ななまぐさいにおいを持っていることに気がついた。それは、かなりきついにおいであった。でも玉太郎はくちびるをはなさなかった。ついに最後の一滴まで飲みほした。
「ああ、うまかった。じつに、うまかった」
 玉太郎は胸をたたいて、はればれとした笑顔になった。ラツールの方を見ると、ラツール先生は、両眼をつぶって夢中になって椰子の実の穴から水をすすっていた。水がぽたぽた地上にたれている。
 それを見ると、玉太郎はポチのことを思い出した。ポチものどがかわいたであろう。水がのみたかろう。ポチにももらってやりましょう。あたりを見たが、ポチの姿は見えなかった。
「ポチ。ポチ」
 玉太郎は愛犬の名を呼び、口笛をくりかえし吹いた。だが、どうしたわけか、ポチは姿をあらわさなかった。玉太郎は、モンパパ号の上でも、椿事《ちんじ》の前にポチの姿が見えなくなったことを思い出して、不安な気持におそわれた。


   密林《みつりん》の奥《おく》


「また。ポチがいなくなったって。なあに、だいじょうぶ。硝石《しょうせき》なんか積んでいたモンパパ号とちがって、これは島なんだから、爆発する心配なんか、ありゃしないよ」
 ラツールは、なまぐさいおくびをはきながら、そういって、空《から》になった椰子の実を足もとにどすんとすてた。
 なるほど、そうであろう。しかしこの広くない島にしろポチは何にひかれて単身《たんしん》もぐりこんでしまったのであろうか。
「さあ、そこで第三の仕事にうつろう」
「こんどは何をするんですか」
「火がなくて、沖合《おきあい》へのろしもあげられないとなれば、いやでもとうぶんこの島にこもっている外ない。そうなれば食事のことを考えなければならない。何か空腹《くうふく》をみたすような果物かなんかをさがしに行こう」
「ああ、それはさんせいです」
「多分この密林の中へはいって行けば、バナナかパパイアの木が見つかるだろう」
「ラツールさんは、なかなか熱帯のことに、くわしいですね。熱帯生活をなさったことがあるんですか」
 玉太郎は、ラツールがどんな返事をするかと待った。
「熱帯生活は、こんどが始めてさ。しかしね、二三年前に熱帯のことに興味をおぼえて、かなり本を読みあさったことがある。そのときの知識を今ぼつぼつと思い出しているところだ」
「そうですか。どうして熱帯生活に興味をおぼえたんですか」
「それは君、例の水夫ヤンの――」
 と、ラツールがいいかけたとき、どこかで犬のはげしくほえたてる声が聞えた。ポチだ。ポチにちがいない。
 二人は同時に木蔭《こかげ》から立ち上った。そしてたがいに顔を見合わした。
「どこでしょう。あ、やっぱりこの林の奥らしい」
「どうしたんだろう。玉ちゃん、行ってみよう。しかし何か武器がほしい」
 ラツールは、筏《いかだ》の折れたマストに気がついて、そのぼうを玉太郎と二人で、一本ずつ持った。そして林の中へかけこんだ。
 が、二人は間もなく、走るのをやめなければならなかった。というのは密林の中は、もうれつにむんむんとむし暑かった。汗は滝のようにわき出るし、心臓はその上に砂袋をおいたように重くなり、呼吸をするのも苦しくなった。そのうえに、玉太郎の頭のてっぺんまでをかくしそうな雑草がしげっていて、もちろん道などはない。
 ポチはこの草の下をくぐって、方角が分らなかったのではなかろうかと思ったが、それだけではないらしく、あいかわらずわんわんとはげしくほえ立てている。
 玉太郎は両手を口の前でかこって、メガホンにし、ポチを呼ぼうとした。
「おっと、ポチを呼ぶのは待ちたまえ」
「ええ、やめましょう。でもなぜですか」
「犬が吠えているところを見ると、あやしい奴《やつ》を見つけたのかもしれない。今君が大声でポチを呼ぶと、あやしい奴がかくれてしまうかもしれない。そしてぼくたちが近よったとき、ふい打ちにおそいかかるかもしれない。それはぼくたちにとって不利だからねえ」
 ラツールのいうことはもっともだった。
「だから、ポチにはすまないが、しばらくほっておいて、犬の吠えているところへ、そっと近づこうや」
「いいですね。こっちですよ」
 二人は、息ぐるしいのをがまんして、雑草の下を腰をひくくしてほえている方へ近づいていった。その間に、蟻《あり》、蠅《はえ》、蚊《か》のすごいやつが、たえず二人の皮膚を襲撃した。
 やがて密林がきれた。目の前が急にひらいて、沼の前に出た。むこう岸に褐色《かっしょく》の崖《がけ》が見えている。そこから上へ、例の丘陵《きゅうりょう》がのびあがっているのだ。
 ポチの声はしているが、それに近づいたようには聞こえない。
「どこでほえているのかなあ」玉太郎は首をかしげた。
「まるで地面《じめん》の下でほえているように聞える」
「地面の下なら、あんなにはっきり聞えないはずだ。どこかくぼんだ穴の中におちこんでほえているのじゃなかろうか」
「ほえているのは、こっちの方角だが、どこなんでしょう」
 玉太郎は沼のむこう岸をさした。
 そのときだった。とつぜん大地がぐらぐらっとゆれはじめた。
「あっ、地震だ。大地震だ」
 二人はびっくりしてたがいにだきついた。鳴動《めいどう》はだんだんはげしくなっていく。沼の水面にふしぎな波紋がおこった。が、そんなことには二人とも気がつかないで、しっかりだきあっている。


   赤黒《あかぐろ》い島


 その地震は、三十秒ぐらいつづいて終った。ほっとするまもなく、また地震が襲来《しゅうらい》した。
「あッ、また地震だ」
「いやだねえ、地震というやつは……」
 ラツールは地震が大きらいであった。玉太郎としっかりだきあって、目をとじ、神様にお祈りをささげた。
 そのような地震が前後四五回もつづいた。そしてそのあとは起らなかった。いずれも短い地震で、三十分間つづいたのはその長い方だった。
 地震とともに、沼の水面に波紋が起ったことは前にのべたとおりだが、二度目の地震のときは、その波紋の中心にあたるところの水面が、ぬーッともちあがった。
 いや、水面がもちあがるはずはない。水の中にもぐっていたものが浮きあがったのであろうが、その色は赤黒く、大きさは疊三枚ぐらいもあり、それがこんもりとふくれあがって河馬《かば》の背中のようであったが、河馬ではなかった。
 というわけは、その茶褐色《ちゃかっしょく》の楕円形《だえんけい》の島みたいなものの横腹に、とつぜん窓のようなものがあいたからである。その窓みたいなものが、密林のしげみをもれる太陽の光線をうけて、ぴかりと光った。
 それは一しゅんかん、探照灯《たんしょうとう》の反射鏡のように見えた。それからまた巨大なる眼のようにも見えたが、まさか……
 が、とつぜんその赤黒い島は、水面下にもぐってしまった。その早さったらなかった。電光石火《でんこうせっか》のごとしというたとえがあるが、まさにそれであった。
 それのあとに新しい波紋がひろがり、それからじんじんゆさゆさと、次の地震が起ったのであった。
 いったい沼のまん中で浮き沈みした赤黒い島みたいなものは、何であったろうか。
 玉太郎もラツールも、目をつぶってだきあっていたから、この重大なる沼の怪事《かいじ》をついに見落としてしまった。このことは二人にとって大損失《だいそんしつ》だった。
 地震がもう起らなくなったので、二人はようやく手をといて、立ち上った。
「いやなところだね。赤道《せきどう》の附近には火山脈《かざんみゃく》が通っているんだが、この島もその一つなのかなあ」
 ラツールは首をひねった。
「しかしラツールさん。地震にしては、へんなところがありますねえ」
 玉太郎がいった。
「へんなところがあるって。なぜ?」
「だって地震は、たいてい一回でおしまいになるでしょう。何回もつづく場合は、はじめの地震がよほど大きい地震でそのあとにつづいて起る余震《よしん》は、どれもみなくらべものにならないほどずっと小さい地震なんでしょう。ところがさっきの地震は、そうでなかったですね。どの地震も同じくらいの強さの地震だったでしょう。だからへんだと思ったんです」
 玉太郎は、地震が名物の日本に、いく年かを暮したことがあって、地震の常識をしっていた。
「ふーン。どうかねえ」
 ラツールは首を左右にふった。彼には、わからなかった。
 そのとき二人の注意を急にうばったものがあった。ポチのわんわんとほえる声だった。
 それは遠くの方であった。二人は顔を見あわせた。
「ポチは、あやしいものを見つけて、ほえているんですよ」
「そうらしい。この沼の向うがわだ。そして地面の下でほえているように思う」
「ラツールさん。ぼくはこれから沼のむこうへ行って、ポチを早く助けだしてやりたいです」
「行くかね。きみが行くなら、わたしも行く。しかし玉ちゃん。すこしのことにも深く注意して、すこしずつ前進するんだね。もしもこの島が恐竜島だったら、われわれはすぐさまこの島をあとにしてのがれなければならないんだ。命の危険、いやそれいじょうのおそろしいことが恐竜島にはあるんだ」
 勇敢で沈着なラツール記者も、恐竜島と地震の話になると、人がかわったように身ぶるいするのだった。
 恐竜島とは、いったいどのような島であろうか。
 それについて玉太郎は、前からききたいと思っていた。今もそれをしりたくなったが、ラツールのいうように、今は全身の神経をあたりへくばって前進しないと、どんな目にあうかも知れない。それゆえ聞くのは後のことにして、玉太郎はラツールのあとについて、沼のふちをまわりはじめた。
 前方に茶褐色のきたならしい地はだを見せている断崖《だんがい》がどうも気になってならなかった。二人の目は、ゆだんなくその崖のまわりを捜査《そうさ》している。


   スコール来《きた》る


 沼のふちをようやくまわって、問題の崖《がけ》の下にでた。
 茶褐色の土の下から、雑草がのぞいているところもある。大きなゴムの木や、太い椰子《やし》の木が重《かさ》なりあって、土の下に半ばうずまっているところもある。
「玉ちゃん。ふしぎだとは思わないか」
 と、ラツールはそれらのものを指して、自分の考えをのべた。
「この島は、わりあいに近頃出来たもののようだ。土が上から島をすべり落ちて来て、密林の一部をうずめたように見える」
 玉太郎は、うなずいた。ラツールの説明のとおりだと
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