をやったことがあると見え、帆《ほ》の張りかたも筏のあやつり方も、なかなか上手であった。
 氏の筏が、あと二十メートルばかりに近づいたとき、玉太郎はポチに泳いでわたるようにいいつけた。
 ポチは待っていましたとばかり、ざんぶと海中にとびこんだ。そしてあざやかに泳いで渡った。
 ラツール氏とポチとはだきあって喜んだ。それからポチは、何かたべものをもらったらしい。舌なめずりをしていた。
 それからしばらくして、ポチはまたざんぶりと海へととびこんで、玉太郎の方へもどって来た。
 筏の上にポチがあがったところを見ると、細い紐が背中にむすびつけてあった。この紐はどうするのかしらんと、玉太郎がラツールの方を見ると、
「その紐を、どんどんそっちに引張ってくれ」と叫んだ。
 玉太郎はそのとおりにした。紐は長かった。二十メートルどころではなかった。一つの紐の先に、次の太い紐が結んであった。それがおわりになるころ、また次の繃帯《ほうたい》らしい細長い布片がつないであった。そして最後には、りっぱな丈夫なロープが水の中から筏の上へあがって来た。どこまでつながっているのかと、玉太郎は一生けんめい、うんうんとうなりながらロープを手許《てもと》へたぐった。
「やあ、ごきげんいかがですな、玉太郎の王子さま」
 という声に、おどろいて顔をあげると、もうそのときには、手のとどきそうなところにラツールの筏が近づいていた。玉太郎はロープといっしょに、ラツール氏の筏をどんどん引張っていたわけだ。
 ラツールは、愉快そうに笑った。そして筏をどしんとつけた。
 二人は手をにぎりあって喜んだ。
 が、このままでは、ゆっくり手をにぎりあっていることも許されない。
「早いところ、筏は一つに組みなおすことが必要だ」
「やりましょう」
 玉太郎は、腹のすいていることも、のどのかわいていることも忘れて、ラツール氏と共に筏の組みなおしをやった。
 ラツールの方は、いろんな木を集めていた。また箱をいくつか持っていた。本もののカンバスもあった。どこにさがっていたものか、紅《あか》のカーテンの焼けこげだらけの布もあった。これらのものをラツールはみんな海からひろいあげたのだといった。彼は、ロープの先に、鍵のように曲った金具をむすびつけ、それを漂流物に投げつけては、手もとへひきよせたのだという。
「なんか食べものは漂流していなかったかしらん」
「ああ、それはほんのすこしばかりしか手に入らなかった。おお、そうか。君は腹ぺこなんだね」
「早くいえば、そうです」
「なんだ、えんりょせずに早くいえばいいのに。よし、ごちそうするよ、待っていたまえ」
「いや、筏の組みかえがすんでからで、いいんです」
「そうかね。じゃあ筏の方を急ごう。なんだかあそこに、いやな雲が見えるからね、仕事は急いだ方がいいんだ」
 ラツールのさす南西の方角の空が、いやに暗かった。黒い雲が重々しくより集まっている。熱帯に特有のスコールの雲だろう。
 そのうちに筏の方は出来あがった。
 前よりは大して広くはない。しかし支棒《ささえぼう》がしっかりはいったり、板が二重三重になり、筏はずっと堅牢《けんろう》に、そして浮力もました。大きなかげもできた。
「よろしい、そこで休もう。お茶の時間を開くことにしよう」
 それを聞いただけで、玉太郎の腹がぐーぐー鳴った。のども、いやになるほど鳴った。
 ラツールはその缶を二人のあいだにおいた。
「どれでも気にいったのをたべたまえ。すこし塩味《しおあじ》がつきすぎているものがあるかもしれないがね。それから、君がたくさんたべすぎても叱《しか》らないよ」
 ラツールは笑って缶の中をさした。
 玉太郎がのぞくと、空缶《あきかん》の中には、りんごとオレンジが四つ五つ、肉の缶詰のあいたのが二つばかり、それに骨のついた焼肉《やきにく》がころがっていた。すばらしいごちそうだ。
「ポチにたべさせるものはないでしょうか」
 玉太郎がたずねた。
「ああ、ポチならあっちでよろしくやっているよ。あれを見たまえ」
 ラツールのさす方を見れば、なるほどポチが帆の向こうがわで、ひしゃけた缶の中に頭をつっこんで、しきりにたべていた。


   暴風雨《あらし》来《きた》る


 ラツールが苦心をして拾いあげた食料品を、玉太郎は世界一のごちそうだと思いながら、思わずたべすごした。
「どうだ、塩味がききすぎていたろう」
「いや、そんなことは分りませんでしたよ」
 みんな海水につかっていたのだ。缶詰も、穴があいて浮んでいたのだ。しかし腹のへりすぎた玉太郎には、そんなことはすこしも苦にならなかった。
「もっとたべていいよ。そのうちには、どこかの船に行きあって、助けられるだろうから」
「もう十分たべました」
 ポチは、まだ缶の中に頭をつっこんだきりである。尻尾《しっぽ》がいそがしそうにゆれている、がつがつたべているのだ。
「十分に腹をこしらえておいた方がいいよ。これから一荒《ひとあ》れ来るからねえ」ラツールが空を見上げた。玉太郎もそれについてあおむいた。
 さっきの黒雲は、いつの間にか、翼《つばさ》を大きくひろげていた。南西の方向は、雲と海面との境界線が見えない。すっかり黒くぬりつぶされている。すうーっと日がかげった。黒雲はもう頭の上まで来ているのだ。
 突風《とっぷう》が、帆をゆすぶった。帆柱《ほばしら》がぎいぎいと悲鳴をあげた。
 筏は急にゆれはじめた。波頭《はとう》がのこぎりの歯のようにたってきた。
 ぽつ、ぽつ、ぽつ。大粒の雨が、玉太郎の頬をうった。と思うまもなく、車軸《しゃじく》を流すような豪雨《ごうう》となった。
 太い雨だ。滝つぼの下にいるようだ。あたりはまっくらに閉じこめられて、十メートル位から先の方はまったく見えなくなった。
 雨と浪《なみ》とが、上と下からかみあっているのだ。そこへ横合から風があばれこんでくる。ものすごいことになった。
 帆柱は、一たまりもなくへしおれた。帆は吹きとばされた。
 筏はばらばらになりそうだ。ラツールは玉太郎をはげましながら、筏の材料をむすびつけてある綱をしめなおし、なおその上に、あるものはみんな利用して筏の各部をしばりつけた。
 ポチは体が小さいので、いくたびか海の中へ吹きとばされそうになった。玉太郎はポチを、おれのこっった帆柱の根元に、綱でもってしばりつけた。大波が筏をのむたびに、ポチは波の下にかくれ、やがて潮《しお》がひくと、ポチは顔をだしてきゃんきゃんと泣いた。
 風雨は、だんだんひどくなった。
 山なす怒濤《どとう》は、筏をいくどとなくひっくりかえそうとした。あるときは奈落《ならく》の底につきおとされた。次のしゅん間には、高く波頭の上につきあげられた。
 刃物《はもの》のような風がぴゅうぴゅうと吹きつける。めりめりと音がしたと思ったら、筏の一部がかんたんにわれて、あっと思うまもなく荒浪《あらなみ》にもっていかれてしまった。
 もう誰も生きた心地がない。風と雨とにたたかれ怒濤にもてあそばれ、おまけに冬のような寒気がおとずれ、手足がきかなくなり、凍《こご》え死《じに》をしそうになった。
 天地はまっくらで、方角もわからなければ、太陽も地球もどこへ行ってしまったのかけんとうがつかない。ラツールと玉太郎とは、もう万事《ばんじ》あきらめ、たがいにしっかり抱きあい、ポチも二人のあいだへ入れて、最期《さいご》はいつ来るかと、それを待った。
 それから、かなりの時間がたった。
 もういけない、こんどの波で筏はばらばらになるだろう、この次は海のそこへつきおとされるであろうなどと気をつかっているうちに、両人ともすっかり疲労《ひろう》して、そのままぶったおれ、意識を失ってしまった。
 気がついたときは、風もしずまり、波もひくくなり、そして空は明るさを回復し、雲の間から薄日《うすび》がもれていた。
「おお、助かったらしい」一番先に気がついたのは玉太郎であった。すぐラツールをゆりおこした。
「ラツールさん。嵐はすみましたよ」
「ううーン」ラツールは目を開いた。そして玉太郎の顔をふしぎそうに眺めていたが、
「やあ、君か。きたない面の天使があればあるものだと感心していたら何のことだ、玉太郎君か。天国じゃなくて、ここはやっぱり筏の上なんだね」と、にこにこしながら半身をおこした。
 ポチもおきあがって、ぶるぶる身体についている水をふるったので、それが玉太郎の顔にまともにあたった。
「ポチ公。おぎょうぎが悪いぞ。ぺッ、ぺッ」
 玉太郎は顔をしかめた。ラツールは大きな声で笑った。玉太郎も笑った。生命を拾った喜びは大きい。


   恐《おそ》ろしい丘影《おかかげ》


 雲がどんどん流れさって、太陽が顔を出した。
 太陽の高さから考えると、嵐は五時間ぐらい続いたことになる。
「いったい、どこなんでしょう」玉太郎がきいた。
「さっぱり方角が分らない。太陽が、もうすこしどっちかへかたむいてくれると、見当がつくんだが、なにしろ太陽は今、頭のま上にかがやいているからね」
 赤道直下《せきどうちょっか》だから正午には太陽は頭のま上にあるのだ。筏の上に立つと影法師《かげぼうし》が見えない。よく探して見れば、影法師は足の下にあるのだ。
「どっちを見ても空と海ばかり……おや、島じゃないでしょうか[#「ないでしょうか」は底本では「ないでょうか」]、あれは……」
 玉太郎は、筏のまわりをぐるっと見まわしているうちに雲の下に、うす鼠色《ねずみいろ》の長いものが横たわっているのを見つけた。
「あれかい。あれは雲じゃないかなあ、僕もさっきから見ているんだが……」
「島ですよ。山の形が見える」
 雲はどんどん動いていったので、やがて島であることがはっきりした。二人の喜びは大きかった。筏の上で、おどりあがって喜んだ。筏の上には食料品が、もうほとんどなかった。水もない。だからあの島へ上陸することが出来れば、なにか腹のふくれるものと、そしてうまい水とにありつくことが出来るだろう。
「また帆をはろうや」ラツールがそれをいいだしたので、玉太郎もさんせいして、すぐさま残りの材料をあつめて二度目の帆を張り出した。
 島との距離は、あんがい近い。海上三キロぐらいだ。はじめはそうとう大きい島だと思ったのが、空がすっかり晴れてみると、小さな島であることが分った。
 風が残っていたので、帆が出来ると、筏はかるく走りだした。それに、やはり潮流《ちょうりゅう》が、その方へ流れていると見え、筏をどんどん島の方へ近づけていった。
 だが、いよいよ島の近くに達《たっ》するまでには四五時間かかった。太陽はすでに西の海に沈み、空は美しく夕焼している。その頃になって、島の上に生《は》えている椰子《やし》の木が、はっきりと見えるようになった。
「明るいうちに、島へつきたいものだね」
「こぎましょうか」
「こぐったって、橈《かい》もなんにもない」
 風と海流の力によるしかない。
「家らしいものは見えないね。煙もあがっていない」
 島の方をながめながら、ラツールは失望のていである。
「無人島《むじんとう》でしょうか」
「どうもそうらしいね」
「人食《ひとく》い人種がいるよりは、無人島の方がいいでしょう」
「それはそうだが、くいものがないとやり切れんからね」
 二人は、日が暮れるのも忘れて、夢中になって島をながめつくした。
「ほう、無人島でもないようだ」ラツールが、声をはりあげた。
「人がいますか」
「いや、そんなものは見えない。しかし島の左のはしのところを見てごらん。舟《ふな》つき場《ば》らしい石垣が見えるじゃないか」
 島は中央に、山とまではいかないが高い丘がとび出していて、それが方々にとんがっている。そのまわりは一面に深い密林だ。椰子もあるし、マングローブ(榕樹《ようじゅ》)も見える。その間に、ところどころ白い砂浜《すなはま》がのぞいている。ラツールが発見した石垣は、ずっと左の方にあり、なんだかそこが、密林の入口になっているようでもある。正確なことは上陸してみれば、すぐ分るであろ
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