「ぼくは総督ではありませんよ」
 と、玉太郎ははにかむ。
「いや、あなたは総督です。われわれは総督がおられる、この島へ昨日上陸をゆるされたのですからねえ」
 伯爵は大げさな身ぶりともののいい方で、玉太郎へ敬意を表した。玉太郎は昨日のことを思い出した。
 さびしく海岸にひとり火をたいて睡《ねむ》りについた玉太郎は夢の中で、ラツールと愛犬ポチの姿をもとめていた。そのうちに大きな音がしたので目がさめた。波打際《なみうちぎわ》がさわがしい。多人数のののしる声やおびえた声。それにさくさくと、砂をふむ足音。玉太郎はおどろいて枯葉の寝床のうえにすっくと立ち上った。
 そのときである。一人の老いたる白人が、銃を手に持って彼の方へ突進してきた。焚火《たきび》が老人を赤々と照らした。老人は、焚火の前まで来ると、はたと膝を折って砂の上にふした。
「お助け下さい。神の子よ」
 老いたる人は祈りの声をあげた。それは玉太郎の姿にむかって、なげられたことは疑いない。火の向こうにすっくと立っている玉太郎の姿は、神々《こうごう》しかったにちがいない。
「神の御子《みこ》ではありません。この島に住んでいる人の子です」
 と、玉太郎はこたえた。
「ああ、それでは総督閣下だ。おお閣下。恐竜に追われてかろうじてこの海岸へたどりついたわれわれ十名の者をあわれみたまえ。閣下の庇護《ひご》の下に、われわれ十名の者をおかせたまえ」
 この芝居じみた対話がはじまって、玉太郎はあやういとこを脱したタイガ号ボートの一団とひきあわされ、そしてその間にもセキストン伯爵から、さかんに「総督閣下」とよばれたのであった。
 幸いに彼ら十名は、けがもしていないで、無事だった。しかし心身《しんしん》の疲労はひどく、火のそばへは寄ったものの、誰も立っていられる者はなかった。そのまま、そのところに彼らは泥のような睡りに落ちていったのだ。これから暁がきて、前にものべたように、それらは一人一人起き出して、朝のさわやかな空気をすい、そして自分が平和な島の上に居ることを知って、元気をもりかえしていったのである。
 朝食は、玉太郎にとって、この数日中一番の豪華版《ごうかばん》だった。探検団がボートに積んで来た食糧はここ四五日間をふつうにまかなうに十分であった。空缶の隅についたバターをほじくったり、椰子の実の白い油をかじって空腹をしのいでいた玉太郎にとっては、たいへんな御馳走であり、そしてまた彼に新しい元気をつけたことはたしかであった。
 玉太郎は、朝食をとりながら、探検団の人々にむかって、これまでの話をのこらずして聞かせた。話が、ラツール記者と愛犬ポチの行方《ゆくえ》が今なお分らないというところまですすむと、探検団の連中はざわめきだした。
「これはたいへんだ。恐竜とこの島に同居《どうきょ》するのでは、たいへんだ」
「やっぱり恐竜は人間をくうんだね。そこまでは考えなかった」
「人間をくうとは、まだはっきり断定できないだろう」
「いや、あの小さい総督が今いった話によると、ラツールとかいうフランス人がくわれ、ポチという犬が恐竜にくわれたそうじゃないか」
「目下《もっか》行方不明だというんだろう。くわれたかどうか、そこまではまだわかっていない」
「くわれたにきまっているよ。こんな小さな島で、行方不明もないじゃないか。それにわれわれは母船《ぼせん》を失った。あのとおり親船《おやぶね》のシー・タイガ号はまっぷたつにちょん切られて、もう船の役をしない。われわれはこれから恐竜島に缶詰めだ。そこで今日は一人、あすは次の一人という工合に、恐竜の食膳へのぼっていくのだ。はじめの話とはちがう。ああ、これはたいへんだ」
「なるほど。これはゆだんがならないぞ」
 このざわめき話に、水夫のフランソアとラルサンの二人は、絞首台の前に立った死刑囚のように青くなった。


   いがみあい


 玉太郎ひとりのときと違い、ともかく十名の探検団員が島の生活にくわわったこととて、仕事はどんどんすすんだ。
 この島の小さな社会の中心人物は、やはり実業家のマルタン氏だった。氏は、でっぷりふとった体をかるくうごかして、孤島《ことう》に半永久《はんえいきゅう》の安全な生活をつづけるために、色々と計画をたて、その指揮をして人々を動かした。
 マルタンに比べると、団長の伯爵セキストンなんかは隠居《いんきょ》の殿様みたいであった。
 マルタンの命令により、組員はかわるがわるボートに乗り、沖合の難破船へ漕《こ》ぎつけては、船に残っている食糧や布片《ぬのきれ》や器具などをボートにうつして持って帰った。
 彼らは、不幸な乗組員には、ついに会うことがなかった。みんな波間に沈んでしまったらしい。もうすこしボートの出発がおそかったら、自分たちはもうこの世の者ではなかったんだ
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