独リトナリタレドモ、『パチノ』マタ病ミ、命数ナキヲ知リ自ラ特製ノ棺ヲ造リテ土中ニ下リテ死ス――それからもう一つの文書《ぶんしょ》は比較的新らしいものですが、これには――『パチノ』ノ墓穴ハ頻々《ヒンピン》タル火災ト時代ノ推移ノタメニ詳《ツマビラ》カナラザルニ至リ、唯《タダ》『ギンザ』トイウ地名ヲ残スノミトハナレリ。マタ『パチノ』ガ『オスミ』と称スル日本婦人ト契リシガ、彼女ハ災害ニテ死シ、両人ノ間ニ生レタル一子(姓不詳)ハ生死不明トナリタリ。ソレト共ニ『パチノ』ノ墓穴ニ関スル重要書類ハ紛失シ、只本国ヘ送リタル二三ノ通信ト『パチノ』ノ墓穴|廓内《カクナイ》ノ建築図トヲ残スノミナリ――というのです。聞いてますか、青竜王《せんせい》」
「イヤ熱心に聴いているよ。それで分った。キャバレーの主人ポントスも、本国からそのパチノの墓穴探しに来ているのだ。その一方《いっぽう》、痣蟹もたまたまこの秘密を嗅《か》ぎだして、本国で墓穴の建築図などを手に入れ、日本へ帰って来たのだ。すべての秘密はそのパチノ墓穴に秘められているのだよ。パチノ墓穴の場所については、いささか存《ぞん》じよりがあるが、しかしパチノの遺族を捜し出すのはちょっと骨が折れるネ。しかし何事《なにごと》も墓穴の中に在ると思うよ。では勇君、――」
「待って下さい。青竜王《せんせい》はいま何処《どこ》にいるのです。これから何処へ行くのですか」
「僕のことなら、決して心配しないがいいよ。――」
 そういって青竜王は受話器をかけた。心配でたまらない勇少年は、電話局に問いあわせると、なんと不思議なことに、青竜王のかけた電話は、やはり竜宮劇場の中のものだった。彼は一体どこに姿を秘めているのだろう。
 それから空しく二日の日が過ぎた。
 事件は一向思うように解決しなかったが、その代り、新たな吸血鬼事件も起らなかった。とうとう吸血鬼は滅《ほろ》んだのであろうか。
 詳《くわ》しく云うと七日の午後になって、痣蟹の乗って逃げた気球が、箱根《はこね》の山林中に落ちているのが発見された。しかし変なことに、その気球は枯れ葉の下から発見されたのであった。そして問題の痣蟹の死体はどこにも見当らなかったという。――この報告に管下の警察は一斉に痣蟹の屍体発見に活動を開始した。
 同じくその夜のことであった。赤星ジュリアの楽屋に西一郎が来合せているとき、どこからともなく電話がジュリアの許に懸ってきた。電話口へ出てみると、相手は覆面探偵の青竜王だといった。
「青竜王ですって。まあ、あたくしに何の御用ですの」とジュリアは訝《いぶか》った。
 すると電話の声は、痣蟹の気球が発見されたが、屍体の見当らないこと、それから夕暮に箱根の山下である湯元《ゆもと》附近の河原《かわら》で痣蟹らしい男が水を飲んでいるのを見かけた者のあること、そして念のために後から河原へ行ってみると、紙片《かみきれ》が落ちていて、開いてみると血書《けっしょ》でもって「パチノ墓穴を征服」としたためてあったことを知らせた。
「パチノの墓穴を征服ですって」とジュリアはひどく愕《おどろ》いたらしく思わず声を高らげて問いかえした。
 電話の声は、そうです、なんのことか分らないが、確かにパチノと書いてありますよ、と返辞《へんじ》をして、その電話を切った。ジュリアは倒れるように、安楽椅子《あんらくいす》に身を投げかけた。
 西一郎は、電話の終るのを待ちかねていたように、ジュリアに云った。
「青竜王本人が電話をかけて来たんですか」
「ええ、そうよ。――なぜ……」
「はッはッ、なんでもありませんけれど」
 そういった一郎の態度には、明《あきら》かに動揺の色が見えたが、ジュリアは気がつかないようであった。
 青竜王の懸けた電話とは違って、本庁の方へは深更《しんこう》に及んでも「痣蟹ノ屍体ハ依然トシテ見当ラズ、マタ管下《カンカ》ニ痣蟹ラシキ人物ノ徘徊《ハイカイ》セルヲ発見セズ」という報告が入ってくるばかりで、大江山課長の癇癪《かんしゃく》の筋《すじ》を刺戟するに役立つばかりだった。
 その真夜中《まよなか》、時計が丁度《ちょうど》十二時をうつと間もなく、今は営業をやめて住む人もなく化物屋敷《ばけものやしき》のようになってしまったキャバレー・エトワールの地下室の方角にギーイと、堅《かた》い物の軋《きし》るような物音が聞えた。エトワールの表と裏とには、制服の警官が張りこんでいるのだったけれど、この地底の小さい怪音《かいおん》は、彼等の耳に達するには余りに微《かす》かであった。一体《いったい》誰がその怪《あや》しい音をたてたのだろう。
 このとき若《も》し地下室を覗《のぞ》いていた者があったとしたら、隅《すみ》に積《つ》んだ空樽《あきだる》の山がすこし変に捩《ね》じれているのに気がついたであ
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