は軽く駭《おどろ》いた身振りをして「あたくしは、いま劇場の昼の部と夜の部との間で、丁度身体が明いているのよ。一日中であたくしはそのときがいちばん楽しいの。……で、ドライヴしていたんですわ、ホラごらん遊ばせ、ここから見えるでしょう、あたくしの自動車《くるま》が……」
なるほどジュリアの指《ゆびさ》す方に、一台の自動車が、小径を出たところに停っていて、座席には彼女の連れらしい、ずっと年の若い少女が乗っていた。それはジュリアの妹分にあたる矢走千鳥《やばせちどり》という踊り子であったけれど。
「貴女は自動車でここを通りかかったというのですか。よくこれが分りましたネ。……」
と弟の死骸を指した。
「ええ、それは誰かが叫んでいたからですわ。なにごとか大事件が起ったような叫び声でしたわ。だもんで、自動車を停めて、ここまで来てみると、この有様なんですのよ。貴方《あなた》、たいへんだわ。この学生さん、死んでいましてよ」
「そうです。死んでいるというよりも、殺されているといった方がいいのです。これは僕の本当の弟なのです」
「ええ、なんですって。貴方がこの方の兄さんだと仰有《おっしゃ》るのですか」
「そのとおりです。僕は四郎の兄の一郎なんです」
「アラマアあたくし、どうしましょう」とジュリアは美しい眉《まゆ》を曇らせたが「とんだお気の毒なことになりましたわネ」
といって目を瞑《と》じ、胸に十字を切った。
「そうだ、貴方はいまその辺に見なかったですか、怪しい男を……」
「怪しい男? 貴方以外にですか」
「ええ、もちろん僕のことではないです。こう顔の半面に恐ろしい痣《あざ》のある小さい牛のような男のことです」
「いいえ。あたくしは今、車を下りて、真直《まっすぐ》にここまで歩いたばかりですわ」
ジュリアはまるでレビュウの舞台に立っているかのように、美しい台辞《せりふ》をつかった。側に立つルネサンス風の高い照明灯は、いよいよ明るさを増していった。
「その痣のある男がどうかしたのですか」
「いや、僕がいま追駈《おいか》けていたのです。もしや犯人ではないかと思ったのでネ」と一郎は云ってあたりの木立を見廻わした。夕闇はすっかり蔭が濃くなって、これではもう追駈けてもその甲斐《かい》がなさそうに見えた。
そこへバラバラと跫音《あしおと》が入り乱れて聞えた。二人がハッと顔を見合わせる途端に、夕闇の中で定かに分らないが、十歳あまりの少年が駈けこんできた。そして後方《うしろ》をクルリとふりむいて大声に叫んだ。
「オーイ、早くお出でよ、大辻さーん」
向うの方からも、別な跫音がバタバタと近づいてきた。
「待て待て、勇坊《いさぼう》、ひとりで駈けだすと、危いぞオ」
そういう声の下《もと》に、大入道のような五十がらみの肥満漢が、ゼイゼイ息を切りながら姿を現わした。――どうやら二人は連《つれ》らしい。
「大辻《おおつじ》さん。赤星ジュリアの外に、もう一人若い男が殖《ふ》えたぜ」
と、少年は小慧《こざか》しい口を利いた。
「ほう、そうじゃなア」
そういうところを見ると、既に二人はジュリアが屍体のところへ来たのを知っていたらしい。
「皆さん。そこにある屍体を見るのはかまわないけれど、手で触っちゃ駄目だよ。折角の殺人の証拠がメチャメチャになると、警官が犯人を探すのに困るからネ」と少年は大真面目《おおまじめ》でいってから、大辻と呼ばれる大男の方に呼びかけた。「どうだい大辻さん。この殺人事件において、大辻さんは何を発見したか、それを皆並べてごらんよ」
「オイよさねえか、勇坊。みなさんが嗤《わら》っているぜ」
と大辻は頭を掻いた。
「まあ面白いこと仰有るのネ。あなた方は誰方《どなた》ですの」
ジュリアは、眼のクルクルした少年に声をかけた。
「僕たちのことを怪しいと思ってるんだネ、ジュリアさん。僕たちは、ちっとも怪しかないよ。僕たちはこれでも私立探偵なんだよ。知っているでしょ、いま帝都に名の高い覆面探偵の青竜王《せいりゅうおう》ていうのを。僕たちはその青竜王の右の小指なんだよ」
「まあ、あなたが小指なの」
「ちがうよ。小指はこの大辻さんで、僕が右の腕さ」
「青竜王がここへいらっしゃるの?」
「ううん」と少年は急に悄気《しょげ》て、かぶりを振った。「青竜王《せんせい》がいれば、こんな殺人事件なんか一と目で片づけてしまうんだけれど。だけれど、青竜王《せんせい》はどうしたものか、もう十日ほど行方が分らないんです。だから僕と大辻さんとで、この事件を解決してしまおうというの」
「オイオイ勇坊。つまらんことを云っちゃいけないよ」
「そうだ。それよりも早く結論を出すことに骨を折らなければ……」と勇《いさむ》少年は再び大辻の方を向いていった。「大辻さんには分っているかどうかしらないけれど、
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