見つめた。
「昨日、玉川で一緒にゴルフをしたジュリアがそうだったか。……」
そこで課長はもどかしそうに叫んだ。
「キャバレーの主人オトー・ポントスはいつかの夜のキャバレーの惨劇《さんげき》で、ジュリアの殺人を見たのが、運のつきだったんですネ。ジュリアは夜陰《やいん》に乗《じょう》じてポントスの寝室を襲い、まずナイフで一撃を加え、それからあのレコードで『赤い苺の実』を鳴らしたんです。ポントスはジュリアの独唱《どくしょう》を聞かせられながら、頸部《けいぶ》から彼女に血を吸われたんです。それから秘密の壁に抛《ほう》り込まれたんですが、あの巨人の体にはまだ血液が相当に残っていたため、暫くは生きていた――というのですネ」
検事は黙々《もくもく》として肯《うなず》いた。
「ではこれから、逮捕に向いたいと思いますが……」と課長はいった。
「よろしい。――が、いま時刻は……」
「もう三分で午後九時です」
「そうか。ではもう三分間待っていてくれ給え、儂《わし》が待っている電話があるのだから」
大江山課長は、後にも先にも経験しなかったような永い三分間を送った。――ボーン、ボーンと遠くの部屋から、正《しょう》九時を知らせる時計が鳴りだした。
「遂《つい》に電話は来ない。――」と検事は低い声で呻《うめ》くように云った。「では不幸な男の手紙を開いてもよい時刻となったのだ」
そういって彼は、机のひき出しから、白い四角な封筒をとりだし、封を破った。そして中から四つ折の書簡箋《しょかんせん》を取出すと、開いてみた。そこには淡い小豆色《あずきいろ》のインキで、
「赤星ジュリア!」
という文字が浮きだしていた。
「それは誰が書いたのですか」大江山課長は不思議に思って尋《たず》ねた。
「これは青竜王が預けていった答案なのだ。君の答案とピッタリ合った。儂は君にも青竜王にも敬意を表《ひょう》する者だ!」
といって検事は、大江山課長の手を強く握った。
「それで青竜王はどうしたんです」
と大江山が不審がるので、雁金検事は一伍一什《いちぶしじゅう》を手短かに物語り、九時までに彼の電話が懸《かか》って来る筈だったのだと説明した。
「では青竜王は、吸血鬼の犠牲になったのかも知れないじゃないですか。それなら躊躇《ちゅうちょ》している場合ではありません。直《ただ》ちに私たちに踏みこませて下さい」
「うん。……それでは儂も一緒に出かけよう」
そういって雁金検事は椅子から立ち上った。
検察官は重大な決心を固めて、奮《ふる》い立った。――そして丸ノ内の竜宮劇場へ――。
一行の自動車が日比谷の角《かど》を曲ると、竜宮劇場はもう直ぐ目の前に見えた。その名のとおり、夜の幕の唯中《ただなか》に、燦然《さんぜん》と輝《かがや》く百光を浴びて城のように浮きあがっている歓楽の大殿堂《だいでんどう》は、どこに忌《い》むべき吸血鬼の巣があるかと思うほどだった。その素晴らしく高く聳《そび》えている白色の円い壁体《へきたい》の上には、赤い垂れ幕が何本も下っていて、その上には「一代の舞姫《まいひめ》赤星ジュリア一座」とか「堂々|続演《ぞくえん》十七週間――赤き苺の実!」などと鮮《あざや》かな文字で大書《たいしょ》してあるのが見えた。ああ真に一代の妖姫《ようき》ジュリア!
大江山捜査課長の指揮下に、整然たる警戒網が張りまわされた。こうなれば如何に戦慄《せんりつ》すべき魔神《まじん》なりとも、もう袋の鼠同様だった。
「赤星ジュリアは、ちゃんと居るのかい」
と、雁金検事は入口にいた銀座署長に尋ねた。
「はア、すこし元気がないようですが、ちゃんと舞台に出ています。一向逃げ出す様子もありません」
「そうかネ、フーム……」
と検事は大きな吐息《といき》をした。そして秘《ひそ》かに覗《のぞ》き穴から、舞台を注視した。なるほど、ギッシリと詰《つま》った座席の彼方《かなた》に、見覚えのある「赤い苺の実」の絢爛《けんらん》たる舞台面が展開していた。扉《ドア》の隙間を通じて、
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「あたしの大好きな
真紅《まっか》な苺の実
いずくにあるのでしょう
いま――
欲しいのですけれど……」
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と、豊潤《ほうじゅん》な酒のような歌声が響いてくるのであった。――ジュリアは確かにいた。同じような肢体をもったダンシング・チームの中央で一緒に急調《きゅうちょう》なステップを踏んでいた。
「幕を締めさせましょうか。そして舞台裏から一時に飛び掛《かか》るんですか……」
「うん、――」と、雁金検事は覗き穴から目を離さなかった。
「検事さん。早くやらないと、青竜王の生命が請合《うけあ》いかねますよ。――」
と、大江山も日頃の競争意識を捨てて、覆面探偵の身の上を案ずるのであった
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