もなく電話がジュリアの許に懸ってきた。電話口へ出てみると、相手は覆面探偵の青竜王だといった。
「青竜王ですって。まあ、あたくしに何の御用ですの」とジュリアは訝《いぶか》った。
 すると電話の声は、痣蟹の気球が発見されたが、屍体の見当らないこと、それから夕暮に箱根の山下である湯元《ゆもと》附近の河原《かわら》で痣蟹らしい男が水を飲んでいるのを見かけた者のあること、そして念のために後から河原へ行ってみると、紙片《かみきれ》が落ちていて、開いてみると血書《けっしょ》でもって「パチノ墓穴を征服」としたためてあったことを知らせた。
「パチノの墓穴を征服ですって」とジュリアはひどく愕《おどろ》いたらしく思わず声を高らげて問いかえした。
 電話の声は、そうです、なんのことか分らないが、確かにパチノと書いてありますよ、と返辞《へんじ》をして、その電話を切った。ジュリアは倒れるように、安楽椅子《あんらくいす》に身を投げかけた。
 西一郎は、電話の終るのを待ちかねていたように、ジュリアに云った。
「青竜王本人が電話をかけて来たんですか」
「ええ、そうよ。――なぜ……」
「はッはッ、なんでもありませんけれど」
 そういった一郎の態度には、明《あきら》かに動揺の色が見えたが、ジュリアは気がつかないようであった。
 青竜王の懸けた電話とは違って、本庁の方へは深更《しんこう》に及んでも「痣蟹ノ屍体ハ依然トシテ見当ラズ、マタ管下《カンカ》ニ痣蟹ラシキ人物ノ徘徊《ハイカイ》セルヲ発見セズ」という報告が入ってくるばかりで、大江山課長の癇癪《かんしゃく》の筋《すじ》を刺戟するに役立つばかりだった。
 その真夜中《まよなか》、時計が丁度《ちょうど》十二時をうつと間もなく、今は営業をやめて住む人もなく化物屋敷《ばけものやしき》のようになってしまったキャバレー・エトワールの地下室の方角にギーイと、堅《かた》い物の軋《きし》るような物音が聞えた。エトワールの表と裏とには、制服の警官が張りこんでいるのだったけれど、この地底の小さい怪音《かいおん》は、彼等の耳に達するには余りに微《かす》かであった。一体《いったい》誰がその怪《あや》しい音をたてたのだろう。
 このとき若《も》し地下室を覗《のぞ》いていた者があったとしたら、隅《すみ》に積《つ》んだ空樽《あきだる》の山がすこし変に捩《ね》じれているのに気がついたであ
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