たわ。ほんとにあたし感謝しますわ。でもこのことは、誰にも云わないで下さいネ」
「ええ、大丈夫です。その代《かわ》り、何か犯人らしいものを見なかったか、教えて下さい」
「犯人? 犯人らしいものは、誰もみなかったわ――」
 といっているところへ、電話がかかってきた。それは出てきた支配人が、直《す》ぐ西一郎に会おうという電話だったのである。
 それから一郎は、支配人の室に行った。ジュリアの口添《くちぞ》えがあったから、すべて好条件で話が纏《まとま》った。今日は見習かたがた「赤い苺の実」の三|場《ば》ばかりへ顔を出して貰いたいということになった。そして大部屋《おおべや》の人たちに紹介してくれた。
 一郎はそれを報告のために、ジュリアの部屋に行ったが、鍵がかかっていた。それも道理《どうり》で、ジュリアはいま舞台に出て喜歌劇《きかげき》を演じているところだった。舞台の横のカーテンの陰には批評家らしい男が二人、肩を重《かさ》ねんばかりにして、ジュリアの熱演に感心していた。
「ジュリアはたしかに百年に一人出るか出ないかという大天才だ。見給え、どうだい、あの熱情《ねつじょう》とうるおいとは……。今日はことに素晴らしい出来栄《できば》えだ」
「僕も全く同感だ。どこからあの熱情が出てくるんだろう。ちょっと真似手《まねて》がない。――」
「ジュリアには非常に調子のよい日というのがあるんだネ。今日なんか正にその日だ。見ていると恐《こわ》い位《くらい》だ」
「そうだ。僕もそれを云いたいと思っていた。僕は毎日ジュリアを見ているが、調子のよい日というのをハッキリ覚えているよ。この一日に三日、それから今日の四日と……」
「よく覚えているねえ」
「いやそれには覚えているわけがあるんだ。それが不思議にも、あの吸血鬼《きゅうけつき》が出たという号外《ごうがい》や新聞が出た日なんだからネ」
「ははア、するとああいう事件が何かジュリアを刺戟《しげき》するのかなア。だが待ちたまえ、今日は何も吸血鬼が犠牲者《ぎせいしゃ》を出したという新聞記事を見なかったぜ。はッはッ、とうとう君に一杯《いっぱい》担《かつ》がれたらしい。はッはッはッ」
「はッはッはッ」
 一郎は批評家に嫌悪《けんお》を催《もよお》したのか、怒ったような顔をして、そこを去った。


   痣蟹《あざがに》の空中葬《くうちゅうそう》


 丁度《ちょう
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